川上洋平さんの歌声は、英語中心の初期から日本語を取り込む過程で大きく変わりました。
ただし、英語を捨てて日本向けになったわけではありません。
声を出しやすい英語で作った流れを日本語へ移し、路上やフェスで遠くへ届けるために高音を磨き、聴き手が増えるほど歌詞と声の相手を広げてきました。
近年は、広がり続けた視線をもう一度自分の内側へ戻し、初期の衝動と現在の経験を結び直しています。
その歴史の中央にある「ワタリドリ」の公式映像から、初期へさかのぼってみましょう。
2007~2010年、英語の方が自然に声を出せた初期
[Alexandros]は2007年から本格的に活動し、2010年に[Champagne]名義の1stアルバム『Where's My Potato?』を発表しました。
当時の川上さんは会社員として働きながら、メンバーとの共同生活で夜ごと練習と制作を重ねています。
デビュー作には英語詞の曲が多く並びます。
後年の本人説明では、海外志向を演出したかったからだけでなく、日本語より英語の方がボーカリストとして発声しやすかったことが大きな理由でした。
「For Freedom」には、その時期の英語中心の作風と、後の高音へつながる勢いがあります。
初期の歌詞は、まだ大勢の反応を意識しすぎず、自分が吐き出したいことを等身大のまま書いていました。
現在のように幅広い聴き手との対話を背負う前で、声と言葉の相手はまず自分自身でした。
ここで生まれた英語の流れと反骨心は、後に日本語の曲が増えても消えません。
バンド名や会場の規模が変わっても残る、川上さんの歌の原型です。
2010~2013年、日本で勝負するため日本語を自分のリズムへ変えた
1stアルバムから約半年後、バンドは日本語が前面に出た「city」を発表します。
英語のバンドだと思われた直後に、日本語でもできると示す方向転換でした。
本人は、日本の舞台で活動するなら日本語で書かなければならないと考えたと振り返っています。
2ndアルバム『I Wanna Go To Hawaii.』以降、英語と日本語が一つの曲で行き来する現在の特徴がはっきりします。
2012年の3rdアルバム『Schwarzenegger』頃からは、聴き手が増えたことで、自分だけでなく、より大きな範囲を見て歌詞を書くようになりました。
自分の衝動だけで進む声が、まだ会ったことのない人へ届く方法を探し始めます。
2013年の「starrrrrrr」では、英語と日本語を役割で分断せず、同じ勢いの中へ置く作風が広く知られるようになりました。

変化したのは歌詞の比率だけではありません。
日本語の一音一音を均等に読むのではなく、英語のように音をつなぎ、語尾や子音をリズムへ組み込む歌い方が育ちました。
2014~2016年、改名と「ワタリドリ」が声の届く範囲を変えた
2014年、[Champagne]は[Alexandros]へ改名します。
本人たちの希望による変更ではなく、川上さんは長く一緒にいたメンバーが欠けるような寂しさを感じていました。
それでも四人の音や気持ちは変わらないと切り替え、改名前の方が良かったと言われないための力に変えます。
外から名前を変えられた出来事が、バンドの自己像を弱めるのではなく、むしろ強くしました。
同年の「Adventure」には、インディーズ期の速さを保ちながら、大きな会場へ声を投げる形が表れています。
2015年には「ワタリドリ」でメジャーデビューしました。
発売直後に一気に代表曲になったのではなく、翌年のCM起用を経て、多くの人へ届いていきます。
川上さんは当時、高い歌が好きで、歌えるようになるため歌い込み、よりきれいに響かせる方法を勉強してきたと話しています。
作曲時に頭の中で鳴る女性の声へメロディを合わせるため、録音時に自分で高さへ驚くこともありました。
さらに、路上ライブやフェスで遠くの人まで振り向かせたいという気持ちが、声質へ影響したとも捉えています。
初期の高音が自分の衝動を解放する音だったとすれば、この時期の高音は、不特定多数へ届くための旗印になりました。
2017~2019年、高さを競う歌から「曖昧な今」を歌う声へ
「ワタリドリ」以降も、川上さんの作るメロディは高くなっていきました。
一方で、歌詞と声の向かう先には別の変化が起きます。
アメリカやアジアを往復する時間が増え、自分がどこにいて、どこへ向かうのか分からない感覚を抱えるようになりました。
2019年の「月色ホライズン」は、明確な未来を叫ぶより、現在地の曖昧さをそのまま置いた曲です。
以前は未来へ進むことや過去を捨てることを、はっきりした言葉で示そうとしていました。
この頃から、今いる場所を味わい、答えを決め切らない表現へ重心が移ります。
声量や音域を縮小したという話ではありません。
高音で聴き手を振り向かせた後に、どこへ連れて行くのかが変わったのです。
大きな結論へ向かう声だけでなく、ため息や独り言のような入口を残すことで、川上さんの歌は前進だけではない時間を持ち始めました。
2020~2021年、バンドの形が変わる中で言葉を近くした
2020年、バンドはデビュー十周年を迎えます。
同年に長く活動したドラマーの庄村聡泰さんが脱退し、コロナ禍でライブの前提も崩れました。
「Philosophy」は、大きな答えを掲げるより、一人ひとりが持つ考え方へ視線を向けた曲です。
会場で遠くへ届けるために育った声が、映像やイヤホンの向こうにいる一人へ届く必要が生まれました。
バンドは過去をまとめたベストアルバムを制作しながら、自分たちが何者かを改めて言葉にします。
2021年にはリアド偉武さんが正式加入し、「閃光」が国内外の新しい聴き手へ広がりました。
英語と日本語を混ぜ、言葉が分からなくてもメロディで伝えたいという初期からの考えが、アニメ作品を通して大きな範囲へ届いた時期です。
2022~2024年、聴き手との対話から自分の内側へ戻り始めた
活動が広がるにつれ、川上さんの歌詞は自分だけのものではなくなりました。
聴いてくれる人と対話するように書ける一方で、もっと自分のことを書きたいという葛藤も生まれます。
2022年のエッセイ『余拍』は、これまでの半生を振り返る作業でした。
自分が今書きたいことをメモのように置く経験が、後の作詞方法にも影響します。
同年の「Rock The World」では、外へ開くバンドの規模と、川上さん個人が立ち止まって自分を見る時間が同居しています。
デビュー初期は周囲を意識せず、自分へ向けて書いていました。
聴き手が増えた後は相手を広く見すぎる状態が続き、『余拍』をきっかけに、初期の自分へ戻る入口を見つけます。
これは若い頃の歌い方を再現する後退ではありません。
大勢へ届ける技術を持ったまま、歌う理由を再び個人の内側へ近づける変化です。
2025年、『PROVOKE』と喉の不調が完成形を問い直した
2025年4月、アルバム『PROVOKE』が発表されました。
川上さんは、この作品へ約三年にわたって向き合い、初期のように自分が本当に書きたいことを出す感覚を取り戻していきます。
「超える」は、過去の自分を単純に否定せず、長く活動したバンドが次の場所へ進む意思を示した曲です。
同年6月には喉の不調が回復せず、東京に続いて大阪公演も延期されました。
公式発表は療養が必要であることだけを伝えており、病名や原因は公表していません。
その後の十五周年公演では、歴代ドラマーと現在のメンバーが同じ舞台へ集まりました。
複数のライブレポートは、初期曲から近作までを現在の四人が受け止め、川上さんの声が会場へ強く伸びたと記録しています。

不調を、昔より声が衰えたという物語へ短絡させることはできません。
曲の高さ、ツアーの密度、身体の状態、本人の表現意図は別々の要因であり、公開されていない原因を外から決めるべきではないからです。
重要なのは、順調に広がり続けた声が一度止まり、自分の内側と身体の両方を見直す時間が生まれたことです。
2026年現在、初期へ戻るのではなく「初期の自分」を連れて進む
2025年末、川上さんは二冊目のエッセイ『次幕』を発表しました。
そこで語られたのは、若い頃と同じ書き方へ完全に戻ることではありません。
初期には相手が自分だけのような感覚で言葉を書き、三作目頃から聴き手を大きく意識するようになりました。
現在は、その両方を経験した上で、自分を通して曲を見てもらう方法を選び直しています。
『PROVOKE』後の川上さんは、作品を急いで次へ送るより、一度立ち止まり、じっくり作りたいと考えています。
高く、遠くへ届く声を拡張し続けた十五年の先で、何を歌わないか、どこに余白を残すかが新しい課題になりました。
変わったのは音域だけでなく、声が向いている相手だった
川上洋平さんの歌声は、英語の方が発声しやすかった初期から始まりました。
日本で勝負するため日本語を増やし、二つの言語を同じリズムへ入れる歌い方を作ります。
改名とメジャーデビューを越えた「ワタリドリ」期には、路上やフェスで遠くの人を振り向かせる高音が大きな武器になりました。
「月色ホライズン」以降は、未来を断言する声だけでなく、現在の曖昧さを残す表現が増えています。
聴き手が増えたことで自分だけの言葉から対話へ移り、『余拍』『PROVOKE』『次幕』を通して、現在は再び自分の内側へ近づいています。
2025年の喉の不調も含め、完成した声を保存するのではなく、活動と身体に合わせて次の形を選ぶ途中です。
現在の高音、英語と日本語の発音、声区に関する複数の見方は、川上洋平さんの歌い方・発声分析で初心者向けに整理しています。
野田洋次郎さんの歌声の変遷や山口一郎さんの歌声の変遷と比べると、同じ時代を歩んだバンドでも、海外経験、言葉、観客との距離が歌声へ与えた影響は異なります。
川上さんの変化は、英語のロックシンガーが日本語を上手に歌えるようになった歴史ではありません。
自分、まだ見ぬ聴き手、巨大な会場、そして再び自分へと、声を向ける相手を何度も選び直してきた歴史です。
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