氷川きよしの歌声はどう変わった?喉を取り戻した2014年からKIINA.へ

氷川きよしの歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

氷川きよしさんの変化は、衣装や名義が変わった2019年ごろに始まったように見えます。
けれど歌声の歴史をたどると、もっと早い場所に大きな境目があります。

2014年、喉のポリープを取り除く手術を受け、本来の音域と高音を取り戻したことです。
それ以前は10年近く、喉を傷めた状態で歌っていたと本人は明かしています。

声の選択肢が戻った後に「限界突破×サバイバー」と出会い、演歌の外にいた自分も表へ出せるようになった。
活動休止を経た現在は、KIINA.としてポップスを歌いながら、低音の良さを生かした演歌にも戻っています。

これは演歌歌手が別人になった物語ではありません。
長く求められた姿を守った人が、失った声と自分の意思を順番に取り戻し、演歌まで自分で選び直した物語です。

2000年、「箱根八里の半次郎」は新人に完成形を求めた

氷川さんは、高校へ進むまで演歌をほとんど歌っていませんでした。
福岡から上京し、水森英夫さんのもとで修業した後、2000年に「箱根八里の半次郎」でデビューします。

22歳の新人に与えられたのは、同世代の日常を歌う曲ではありません。
股旅ものの言葉と節回しを背負い、年上の演歌ファンへ届く人物にならなければなりませんでした。

若々しい顔立ちと、古い様式を迷いなく運ぶ声の組み合わせは強烈でした。
「演歌界のプリンス」という呼び名も定着し、デビュー曲は大きな成功を収めます。

ただし、この成功は自由の始まりであると同時に、守るべき完成形の誕生でもありました。
本人は後年、周囲から求められる氷川きよし像へ追いつくことに精いっぱいだったと振り返っています。

デビュー曲箱根八里の半次郎の氷川きよし

2002〜2003年、掛け声の歌と静かな城が声の幅を示した

2002年の「きよしのズンドコ節」は、客席の掛け声が曲の一部になる作品です。
難しい演歌を鑑賞する距離から、歌手と客席が一緒に場を作る距離へ近づきました。

翌2003年の「白雲の城」は反対側にあります。
言葉と余白を長く取り、明るいキャラクターだけでは届かない孤独や時間を歌う作品です。

この二曲が早い時期に並んだことは重要です。
後のポップス挑戦だけが多面性を生んだのではなく、初期から、客席を沸かせる声と静かに立ち止まらせる声の両方を求められていました。

「白雲の城」は、2024年の活動再開後、紅白歌合戦で再び選ばれます。
若い頃には理解し切れなかった言葉の深さを、年齢を重ねて一つずつ大切に歌えるようになったと本人は語っています。

同じ曲が変化を測る物差しになったのは、録音当時より音が高くなったからではありません。
長く歌ってきた時間が、一語の意味を変えたからです。

2000年代半ばから2014年、華やかな成功の裏で声は傷んでいた

全国ツアーを続け、演歌の中心的な歌手として活動する一方、喉には問題を抱えていました。
本人によれば、ポリープを除去するまでの約10年間は、傷んだ状態で歌うつらさが続いていました。

外からは成功が途切れていないため、この期間は順調な成熟期に見えます。
しかし歌手本人にとっては、出したい音を自由に選べない時間でもあったのです。

2014年、15周年の日本武道館公演を終えた後に手術を受けます。
その後、本来の音域へ戻り、高音も使えるようになってきたことで、ロックやポップスへ歌う範囲が広がりました。

氷川きよしさんの歌声の変化を、年齢や心境だけで語れない理由がここにあります。
表現を変えたい意思と、それを実現できる声の回復が、ほぼ同じ時期に動き始めました。

2017〜2019年、「限界突破」が回復した高音に意味を与えた

2017年、「限界突破×サバイバー」で初めてアニメ主題歌を担当します。
高音が出るようになった後に必要だったのは、音域の広さを証明する曲ではなく、その声で何を言うかを決める曲でした。

当初から現在と同じ見せ方だったわけではありません。
歌詞にある「限界を突破して可能性を広げる」という意味を残すため、自分自身を前へ出す衣装とパフォーマンスへ発想を変えました。

2019年の紅白歌合戦では、長く親しまれた演歌歌手の姿と、新しい姿のどちらか一方を選びませんでした。
氷川きよしとして、自分のままで力を出し切る場にします。

昔からのファンが離れるのではという不安もありました。
実際には、年配の観客からもっとロックを歌ってほしいという声が届き、若い世代も曲から入ってきます。

変化を受け入れたのは新しい客だけではありません。
20年かけて関係を作った客席が、歌手の次の姿を一緒に面白がり始めたのです。

2020〜2021年、ポップスは別名義ではなく自分を説明する場所になった

2020年のアルバム『Papillon -ボヘミアン・ラプソディ-』では、ポップスを一時的な企画ではなく、作品全体の軸にしました。
演歌では見せにくかった言葉、衣装、身体の見せ方まで、一つの表現として結び直していきます。

翌年の「You are you」は、他人の期待へ自分を合わせる苦しさから離れ、そのままの自分を肯定する曲になりました。
歌唱の変化と生き方の変化が、初めて同じ題名の中へ入った作品です。

You are youの氷川きよし

ここで重要なのは、演歌を否定してポップスへ逃げたわけではないことです。
本人は、演歌で学んだものが今の自分を作ったと繰り返し話し、演歌作品も歌い続ける意思を示していました。

新しい声を手に入れることより、すでに持っている声のうち、隠していた部分を使えるようになること。
この時期の変化は、その方が近いでしょう。

2022〜2024年、休止は歌を捨てる時間ではなく選び直す時間になった

2022年1月、同年末をもって歌手活動を一時休止すると発表しました。
デビューから22年間、毎年のように全国を回り続けた後の休止でした。

活動を止めた期間には日本の外でも過ごし、自分が受け継いできた日本の美しさをあらためて考えます。
離れて初めて、演歌や時代劇が、押しつけられた古い型ではなく、自分の表現の一部だと見えました。

2024年8月、約1年8か月ぶりのコンサートで活動を再開します。
年末の紅白歌合戦で選んだのは、派手な復活を告げる新曲ではなく、2003年の「白雲の城」でした。

若い頃に歌った同じ曲へ、休止を経た現在の自分で戻る。
それは原点回帰というより、かつて与えられた歌を、自分の意思で受け取り直す場面でした。

2025年、KIINA.はポップスだけの名前ではなくなった

2025年は「Party of Monsters」「白睡蓮」、アルバム『KIINA.』と、ポップスを前面に出しました。
まず新しい名前と表現を知ってもらうため、意識的にポップスへ比重を置いた一年です。

「Party of Monsters」では小室哲哉さん、「白睡蓮」では松本隆さんとTAKUROさんという異なる作家と組みます。
ジャンルを越えること自体より、誰とどんな自分を作るかを選ぶ段階へ進みました。

活動再開後の本人は、以前を用意されたレールの上だったと表現し、現在は自分でレールを敷き、自分で運転している感覚だと話しています。
KIINA.は氷川きよしを消す別名ではなく、その運転席に座る人の名前になったのです。

2026年、「ほど酔い酒」で演歌へ戻ったことが変化を完成させた

2026年の最初に選んだ新曲は、王道の演歌「ほど酔い酒」でした。
前年にポップスを集中的に歌った直後だからこそ、この選択には意味があります。

演歌を待っている人がいる。
ならば中途半端に混ぜず、王道として届けたい。
ただし、昔と同じではなく、今の時代に響く歌にしたい。

師匠から低音が良くなったと評価され、曲のキーは少し低く設定されました。
かつての大きな転機は、高音を取り戻したことでした。
現在の変化は、取り戻した高音だけに頼らず、低い音と経験で聞かせられるようになったことです。

休止前は、演歌とポップスの間でどちらが本当の自分かを問われました。
今は、どちらも全力で歌うことが答えになっています。

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氷川きよしの変遷は、自分の声を自分で選べるようになった歴史

2000年の「箱根八里の半次郎」は、新人へ演歌歌手としての完成形を与えました。
「きよしのズンドコ節」と「白雲の城」は、明るさと静けさの両方を早くから求めました。

その成功の裏で喉を傷め、2014年の手術後に本来の音域と高音を取り戻します。
そこへ「限界突破×サバイバー」が届き、回復した声は、自分を隠さず生きるための声になりました。

活動休止から戻った後は、ポップスだけに進まず、若い頃の「白雲の城」と新しい演歌「ほど酔い酒」を自分で選んでいます。
変わったのは声の色以上に、どの声をいつ使うかを本人が決められるようになったことです。

現在の演歌とロックで言葉の届け方がどう変わるかは、氷川きよしさんの歌い方・発声分析で詳しく説明しています。
坂本冬美さんが休業後に歌声の意味を変えた歩みや、水森かおりさんが崖っぷちから全国173曲へ進んだ変遷と比べると、演歌歌手の「変化」が一つの形ではないことも見えてきます。

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