弘田三枝子の歌声には、唸るような響きと、ことばへの独特な入り方があります。
ただ強い声を出し続けるのではなく、静かな出だしから感情を深めることも、その迫力を支えています。
声の質感、発音、一曲の展開を分けて見ると、個性がより具体的になります。
つのだ☆ひろ/弘田三枝子|第46弾リレー歌謡祭(「人形の家」は2015年公演)
同時代の歌手も驚いた、唸るような声
伊東ゆかりは、弘田と同じ曲を歌っていた頃、録音で彼女のように歌うことを求められたと話しています。
しかし、試しても咳き込んでしまい、同じようにはできなかったそうです。
2023年掲載の対談では、「ヴァケーション」などを振り返りながら、弘田の唸るような歌い方への驚きを語りました。
伊東自身は、弘田と比べると自分の歌はさっぱりしている、と受け止めていました。
同じ曲でも、声にざらつきや唸りを感じさせるかどうかで、勢いの印象は変わります。
この証言が伝えるのは、弘田の迫力が音量だけでなく、声の質感にもあったということです。
伊東は「子供ぢゃないの」の途中にも、その唸るような歌い方があると振り返っています。
「ヴァケーション」だけの印象ではなく、複数のカバーポップスで感じていた個性でした。
同じ曲を歌う立場だったからこそ、旋律を覚えることと、あの声の表情を出すことの違いが、はっきりしたのでしょう。
声の迫力を考える際は、大きさと質感を分けてみると役立ちます。
音量が増すことに加え、滑らかな響きの中にざらついた音が入ると、言葉の勢いも変わって感じられます。
伊東の体験は、弘田らしさを音符だけでは説明しきれないことを示しています。
母音への入り方にも、独自の響きがある
「人形の家」では、弘田本人が発音の具体例を残しています。
母音の「あ」で始まることばが、無意識に「は」で始まるような発音になっていた、というものです。
録音時には気づいておらず、細かく音をつなぎ直すのではなく、一度の歌唱を録る形だったと振り返っています。
「あ」から直接響きを立ち上げるのと、先に「は」のような音が入るのとでは、ことばの入口の印象が異なります。
弘田が語ったのは、この入口に自分でも意識していなかった癖が表れた経験でした。
作詞のなかにし礼は、発音も含めて歌い方を任せてくれたといいます。
ことばを一音ずつ均一に整えることより、歌い手から出てくる表現が生きた例として捉えられます。
静かな歌い出しが、濃い表情を引き立てる
「人形の家」の迫力には、出だしの静けさも関わっています。
糸井重里は、おとなしい始まりと、思い入れの強い歌い方に注目しました。
歌の人物は、相手に嫌われたことを信じられずに語り始め、やがて、自分の深い思いと見捨てられた悲しみを露わにしていきます。
この気持ちの進み方を踏まえると、静かな出だしは、その後の濃い表情が立ち上がるための大切な部分です。
唸るような声は、響きの質感。
母音への入り方は、ことばの表情。
静けさから強い思いへ進む展開は、一曲全体の表現です。
弘田の歌の迫力は、こうした異なる働きが重なったところにあります。
伴奏にも目を向けると、静けさから盛り上がる道筋を追いやすくなります。
レコード音源を解説するブログの筆者・ぽぽんたは、この曲を三連のリズムを持つロック・バラードとして捉えています。
一拍の中を三つに分けるような流れがあり、イントロのチェンバロや女性コーラスから、サビの激しいドラムへと、曲の表情が変わるという評です。
歌声の強まりだけでなく、伴奏も一緒に感情の高まりを形づくっています。
サビだけを取り出すと強烈な歌に聞こえても、出だしから通して追えば、そこへ至るまでの静かな時間があります。
どこで声が前に出てきたと感じるかを、楽器の動きと照らしてみるのも、この曲の聴きどころです。

画像出典:写真掲載元
速いスキャットと、ゆっくりした歌い回し
弘田の迫力には、音を細かく動かす速さも関わっています。
『弘田三枝子・じゃずこれくしょん』の公式解説で、後藤誠一は、速いスキャットやフェイクと、バラードの情感豊かな歌い回しを、両方取り上げています。
速い曲を圧倒的に歌うことと、ゆっくりした曲の感情を伝えることを、同じ歌手の長所として評価しています。
スキャットは、決まった歌詞の代わりに、意味を持たない音節で歌う表現です。
フェイクは、もとの旋律を変化させて歌うことを指します。
言葉の意味を伝える場面から離れても、声の立ち上がりや音の長さ、音程の動かし方そのものが、歌の内容になるのです。
後藤の評を手がかりにするなら、速い音が何個入るかだけでなく、その音が伴奏とどんな弾みを生むかにも注目したいところです。
反対にバラードでは、細かな動きを待つより、長い音をどう保ち、ひとまとまりの旋律をどんな表情で結ぶかを追えます。
弘田の技術は、速さを見せることだけに向けられていたわけではありません。
同じ作品集の新録音盤『MICO JAZZING』には、「CARAVAN」「SUMMERTIME」「ANGEL EYES」などが収められています。
日本語の歌で強く印象に残る発音と、ジャズで声が動く感覚を、別の角度から捉える入口になります。
この作品集は2006年に発売され、過去のアルバム復刻と新録音を組み合わせています。
『MICO JAZZING』は新録音の側です。
曲が最初に発表された年と、その盤で歌った時期を分けて選ぶと、聴き比べる対象がはっきりします。
最初のフレーズまでに、自分の歌をつくる
自由に響く歌い方を、準備のないまま出てくるものと考えるのも違います。
弘田は「自分らしく生きるプロジェクト」のインタビューで、受け取った曲を自分の歌にすることを大切にしていると話しています。
何度も練習し、自分なりの表現を重ねて、一曲の世界をつくっていくという姿勢です。
そのうえで、録音では最初のフレーズを歌うときが、最も緊張すると述べています。
歌の入口は、単に声が出るかを確かめる場所ではありません。
練習してきた表情を、実際の一声として示す場所でもあります。
「人形の家」で母音への入り方が自然に表れた話と、この準備の話は、併せて考えたいものです。
一つの発音を計算していなかったからといって、曲全体への向き合い方まで偶然だったわけではない。
十分に歌い込んだ先で、その人らしい音が表れるという見方ができます。
弘田の歌を聴くときは、唸る響きだけを待つより、まず最初の言葉が置かれる瞬間から追ってみたいところです。
声が静かな時間、発音に特徴が出るところ、旋律が細かく動くところ。
その違いがあるからこそ、強い一声の印象も深く残ります。
時期による表情の広がりは、弘田三枝子の歌唱変遷で取り上げています。







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