ダリル・ホールは、自分のヒット曲をレコードと同じように歌うとは限りません。
2023年の来日公演で、トッド・ラングレンと互いの曲を歌ったときにも、面白い違いがありました。
二人とも、相手の曲では元のメロディーを大切にし、自分の曲では自由に節回しを変えていたのです。
ホール&オーツの声として親しまれてきたダリルには、覚えやすいメロディーを届ける顔と、そのメロディーをその場で歌い直す顔があります。
では、自由に歌える人が、録音では自分のアドリブを削られても構わないと考えていたのはなぜでしょうか。
この二つの姿を見ていくと、ダリルにとって「うまく歌う」が、声の見せ場を増やすことだけではないと分かってきます。
1981年の「I Can’t Go for That (No Can Do)」は、後年もさまざまな共演相手と歌ってきた代表曲です。
MVで親しんだ歌い方があっても、後年の演奏がその再現になるとは限りません。ダリルは、曲として決まった部分を持ちながら、ライブで歌い方を変えてきました。
どこまで決めて、どこから自由に歌うのか
自由に歌うといっても、ダリルが曲のすべてをその場で作っているわけではありません。
本人は2007年のインタビューで、曲のヴァースやコーラスには決まった形があり、終盤のアドリブは頭に浮かぶままに歌う、と説明しています。
繰り返すたびに同じ歌を再現する部分と、その瞬間に変える部分を分けているのです。
ここでいうアドリブは、メロディーや言葉の運びに、その場の変化を加えることです。
サビを覚えて一緒に口ずさめることと、歌手の次の一声が予想どおりではないこと。その両方が、一曲の中で楽しめます。
ダリルのライブを聴くときには、レコードとの違いを間違い探しのように追うより、曲のどの部分で自由に歌い始めるのかに注目すると、変化の意味がつかみやすくなります。
こうした歌の土台には、フィラデルフィアで身につけたソウル・ミュージックがあります。
ダリルにとってソウルは、ポップ歌手になってから外側から取り入れた味つけではありませんでした。
本人は、地元の音楽家たちの中で育ったことが、自分の音楽の根本にあると話しています。
だから、どんな曲でも同じ飾りを足して「ソウル風」にする、という説明では足りません。
彼が重視しているのは、自分の音楽の根本を保ちながら、違う曲や違う相手と歌うことです。
その考えがよく表れた場所が、音楽番組『Live from Daryl’s House』でした。

相手が変われば、自分の曲も変わる
『Live from Daryl’s House』は、ダリルがゲストを迎え、互いの曲などを一緒に演奏する番組です。
本人は歌い手であると同時に、その場を用意するホストでもあります。
ゲストに自分のヒット曲を歌ってもらうだけでなく、自分もゲストの曲を歌う。いつも同じ持ち歌を歌うライブとは、条件が違います。
ダリルによると、収録で演奏するゲスト自身の曲は、基本的にゲストが選びます。
自分の曲についても、相手の希望を聞きながら決める。
さらに演奏は、多くの場合、一度のテイクで収録し、ときには二度演奏する程度だといいます。
何度も歌って完成形を固めるより、初めて一緒に演奏したときの反応を残す方法です。
相手が変われば、同じ歌詞でも言葉の伸ばし方や間の取り方は変わります。
その相手と歌う以上、自分のレコードにあった歌い回しをすべて持ち込むことが、いつも最善とは限りません。
ダリルが番組で楽しんでいるのは、さまざまな人と歌い、自分がどんな音楽に対応できるのかを試すことだといいます。
自分の曲を熟知しているからこそ、いつもの歌い方から離れても試せる。
一方で、他人の曲を歌えば、自分が作ったメロディーでは出てこない歌い方を求められます。
冒頭のトッドとの共演も、こうした行き来として見ると分かりやすいでしょう。自分の曲を変える自由と、相手の曲の形を尊重することが、一つのステージにあったのです。

録音では、得意なアドリブを削ることもできた
では、自由に歌えば歌うほど、ダリルのよさが出るのでしょうか。
録音エンジニアのケヴィン・ドイルが明かしたエピソードは、そう単純ではないことを教えてくれます。
ドイルによると、ダリルは主旋律の合間にも、声量を抑えた細かな即興を加えていました。
ところが制作側は、その即興の半分ほどを削ることを試します。ダリルはそれを嫌がらず、必要な部分を選んで使えばいいという姿勢だったそうです。
たくさん歌えることと、その全部を一曲に残すことは別なのでしょう。
歌手が用意した表現から、曲に合うものを選ぶ。ダリルは、自分の歌を編集する余地も制作側に渡していました。
この話を知ると、完成した録音の聴き方も少し変わります。
アドリブが少ない箇所を聴いて、そこで思いつかなかったとは限りません。候補はいくつもあり、その中から残された歌が聞こえている可能性もあるのです。
もちろん、すべての曲が同じ方法で作られたわけではありません。それでも、得意な歌い回しを惜しまず減らせる人だったことは、よく伝わります。
ライブで生まれたやり取りには、その場だからこその面白さがあります。
一方、録音では、何度も聴く一曲として、どの歌を残すかを考えられる。
ダリルの即興は、いつでも最後まで全部聴かせることを目的にしているのではありませんでした。
曲を覚えているから、歌い直す面白さが分かる
長く歌い続ければ、声そのものも変わります。
ダリルも、若い頃のような高音の出しやすさは一部失ったと認めています。その一方で、今の声で表現できる感情にも手応えを持っています。
若い頃の録音と近年の歌を比べるときは、こうした声の変化と、本人が意図して歌い回しを変えることを分けて考えたいところです。
その歩みは、ダリル・ホールの歌声の変遷で、同じ曲の別の歌唱や近年の公演を通してたどっています。
ダリルの歌い方の面白さは、自由に歌えることだけではありません。
曲の形に沿って歌い、その場で新しい節回しを足し、録音では必要なら削る。歌うことにも、選ぶことにも関われるところにあります。
次に彼のヒット曲を聴くときは、覚えているメロディーがいつ戻ってきて、どこから知らない歌い回しが始まるのか。その移り変わりを追ってみると、よく知った一曲にも、もう一度耳を傾けたくなるはずです。
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