柳ジョージの歌い方・発声|ハスキーなのに声が薄くならない理由

マイクで歌う柳ジョージ シンガー

柳ジョージさんの歌声は、よく「渋い」「しゃがれている」「和製クラプトン」と表現されます。
どれも間違いではありませんが、それだけでは一番不思議なところが残ります。

あれほど表面がざらついているのに、なぜ声の中心は消えないのでしょうか。
息だけのかすれなら伴奏に埋もれやすいはずなのに、柳さんの声はバンドの中で太い輪郭を保ちます。

録音技術者の業界資料では、柳さんの声は倍音や高調波の成分が非常に多い声として挙げられました。
簡単にいえば、一つの音の中にさまざまな高さの響きが重なっているということです。

柳ジョージさんの個性は、喉を荒らして作るノイズではありません。
厚い響きを持つ声を、ブルースやR&Bのリズム、日本語の物語、泣くようなギターと一体にしたところにあります。

ハスキー声なのに「息だけ」にならない

ハスキーな声というと、息を多く漏らした弱い声を想像する人もいます。
しかし、柳さんの声を語る記録には、骨太、ワイルド、力強いという言葉も繰り返し現れます。

ここには矛盾がありません。
声の表面にざらつきがあっても、その内側に音程と言葉を運ぶ芯があれば、弱くは聞こえないからです。

柳さんの場合、録音の専門家が注目したのは、声に含まれる成分の多さでした。
倍音が豊かな声は、単純に大きい声とは違います。
低い響き、高い響き、少し金属的な成分が重なり、音量以上の存在感を生みます。

そのため、声を小さくすれば繊細さが現れ、強く出せばざらつきが前へ出ても、同じ人の声だと分かります。
個人の楽曲評でも、「さらばミシシッピー」には柔らかい声があり、「青い瞳のステラ、1962年 夏…」には骨太さとやるせなさが同居すると受け取られてきました。

ハスキーという一色ではなく、ざらつきの奥に何色も残っている声です。
だから曲調が変わっても、単なる同じ歌い回しには聞こえません。

声を理解するには、まず本牧のフェンスを見る必要がある

柳さんが育った横浜・本牧では、フェンスの向こうに米軍施設がありました。
若者にとってアメリカは遠い外国であると同時に、すぐ隣から音楽が流れてくる現実でもありました。

当時の日本ではまだ珍しかったR&Bがクラブで鳴り、後にザ・ゴールデン・カップスとなるバンドも本牧で演奏していました。
柳さん自身もパワー・ハウス、ジプシー・アイズ、ゴールデン・カップスを通り、ギター、ベース、ヴォーカルを担います。

この経歴を知ると、歌だけを習って完成した声ではないことが分かります。
リズム隊の中で低音を支え、ギターで間を作り、バンド全体のうねりを身体で覚えた後に、歌が前へ出てきました。

柳さんの日本語が独特に聞こえるのも、英語風に発音しているからだけではありません。
言葉を拍の上へ均等に並べるのではなく、バンドの流れの中へ置く感覚が先にあるからです。

「FENCEの向こうのアメリカ」は、その成り立ちを象徴する曲名です。
向こう側の音楽をそのまま持ち込んだのではなく、フェンス越しに憧れた横浜の記憶へ変えて歌いました。

横浜を背景にギターを持つ柳ジョージ

「和製クラプトン」だけでは収まらない

柳さんは、ブルースを基調としたギターとハスキーな歌声から「和製エリック・クラプトン」と呼ばれました。
分かりやすい呼び名ですが、本人はデイヴ・メイスンを好んでいたという記録も残っています。

ここが面白いところです。
有名な海外歌手の日本版を目指したのではなく、複数の音楽を吸収しながら、自分が生きた横浜の歌へ作り替えていました。

「雨に泣いてる…」も、もともとは英語詞の「WEEPING IN THE RAIN」です。
日本語詞へ変わり、ドラマの主題歌として広く届いた時、洋楽的な声が日本語の情景を運ぶ形になりました。

もし発音まで海外歌手のコピーに寄せていたら、曲はここまで身近な記憶にならなかったかもしれません。
雨、夜、港、別れという日本語の風景に、ブルースの湿度が重なったからこそ、柳さんにしかない場所ができました。

矢沢永吉さんの歌い方も、日本語をロックのリズムへどう置くかという点で比較できます。
矢沢さんが言葉を短く切り、前へ飛ばして勢いを作るのに対し、柳さんは語尾の余韻を残し、次の音まで夜の空気をつなぐタイプとして語られてきました。

ギターと歌が、二人のボーカルのように並ぶ

柳さんは歌手であると同時にギタリストでした。
ファンの記録では、長く伸びる歌声と「むせび泣くようなギター」が一つの音世界を作ると表現されています。

ギターが伴奏に徹し、歌だけが感情を説明するのではありません。
歌い終わった後にギターが続きを話し、ギターの余韻を受けて次の言葉が始まる。
声と楽器のどちらか一方を派手にするのではなく、交互に前へ出す構造です。

これが、柳さんの歌をものまねしにくくしています。
声のかすれだけを再現しても、フレーズの後に残す時間や、バンドへ歌を戻す感覚までは生まれないからです。

世良公則さんの歌い方では、言葉が身体から勢いよく飛び出す瞬発力が大きな魅力です。
柳さんの声は反対に、一つの言葉が消えた後の空白まで曲の一部にします。

同じ1970年代後半に注目されたロックボーカルでも、熱の見せ方は正反対です。
大声や高音だけで「ロックらしさ」を測れないことが、二人を比べるとよく分かります。

シャイな人物が、ステージでは声で居場所を作った

柳さんを長く取材した音楽評論家は、本人を非常に恥ずかしがり屋で、人に心を開くのが苦手だったと回想しています。
ステージでギターを弾きながら歌う姿からは想像しにくい人物像です。

ヒット後には、周囲が成功の理由を言葉にしようとするほど、本人は「音楽だけをやらせてほしい」と感じていました。
歌声について説明され続けることそのものが、重荷になった時期もあったのでしょう。

しかし、言葉で自分を説明するのが得意でなかったからこそ、声とギターが本人の代わりになりました。
ざらついた声には派手な自己演出より、普段は外へ出しにくい感情がそのまま残ります。

柳さんの歌に「やるせなさ」や「孤独」を感じる人が多いのは、暗い曲が多いからだけではありません。
話す時には隠れていた人物が、歌う間だけ前へ出てくる落差にも理由があります。

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晩年まで残ったのは、かすれではなく声の役割だった

2005年と2008年には柳ジョージ&レイニーウッドが再結成されました。
昔の曲をもう一度歌うだけなら、若い頃の声と比べられる懐古公演になりがちです。

ところが、再結成を見た人々の記録では、長い時間を経ても「ジョーちゃんの曲」が人を集め、男性客が曲名だけで沸く様子が語られています。
声は過去の音色ではなく、聴き手の人生と時代を呼び戻す合図になっていました。

2008年には「鉄のララバイ」という新しい作品も発表します。
代表曲の再演だけに閉じず、年齢を重ねた荒い声を、別の物語へ置き直しました。

柳さんの声を年代順に見ると、楽器の一部だった声が主役になり、スターの看板になり、最後には長い記憶を呼び戻す声へ変わっています。
その流れは柳ジョージさんの歌唱変遷で詳しくたどります。

晩年のステージで歌いギターを弾く柳ジョージ

柳ジョージに近づくなら、喉ではなく「声の居場所」を考える

柳ジョージさんの歌い方から学べるのは、喉をこすってかすれを増やす方法ではありません。
あの声は、豊かな倍音、バンドで培ったリズム、横浜の物語、ギターとの受け渡しが重なって成立しています。

自分の声で歌う時も、最初に考えたいのはノイズの量ではなく、その声がどんな伴奏とどんな言葉の中で生きるかです。
きれいな声の人が無理に荒らしても、柳さんの孤独やブルースには近づきません。

もんたよしのりさんの歌い方にも強いかすれがありますが、高い旋律の中で言葉を浮かべる設計は異なります。
ハスキーな歌手を一括りにせず、声が置かれた音楽まで見ることが、いちばん安全で面白い聴き方です。

発声中に痛みや急な声枯れが出た場合は、その場で歌うのを止めてください。
話し声の異常が続く時は、耳鼻咽喉科などの専門機関へ相談しましょう。

柳ジョージさんの魅力は、傷んだ声を武勇伝にしたことではありません。
複雑な響きを持つ自分の声に、横浜とブルースと日本語が同時に住める場所を作ったことです。

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