2012年、ジョーイ・テンペストは新作『Bag of Bones』での声について、インタビュアーから「長時間歌い続けたり、ウイスキーを飲んだりして作ったのか」と聞かれました。1986年の「The Final Countdown」で華やかな高音を聴かせた歌手の声が、以前と違って聞こえたからです。ジョーイも、かすれやざらつきが増えたと認めました。
けれど本人の答えは、特別な方法で荒らしたのではない、というものでした。ツアーを重ねるうちに少し深く、かすれを帯びた声になり、メンバーもスタッフも、そしてジョーイ自身もその声を気に入っていたのです。昔の高音を失って仕方なく方向を変えた、という話でもありません。ソロ時代にはいったん落ち着いた歌から力強い歌へ戻っています。彼はどの時期に、何を歌いたくて声を使ったのでしょうか。
1980年代|ギターの大音量が、高い声への入口になった
Europeの初期、ジョン・ノーラムのギターは練習でも大きな音で鳴っていました。ジョーイは2006年の取材で、その音に向き合ううちに高いキーで曲を書くようになったと振り返っています。最初から「高音の歌手」という完成した型があったわけではありません。
初期の二作ではいろいろな歌手を手がかりに声を探し、1986年の『The Final Countdown』の頃には、憧れていたスティーヴ・ペリーの高い歌声からも着想を得ました。本人によれば、その試みの中で、高い音にも力を持たせられると気づいたのです。周囲の大きな音に対して伸ばした声が、やがて彼の名刺代わりになりました。
ただし、その録音は何の苦労もない絶好調の記録ではありません。後年の本人の話では、歌を録る頃に体調を崩し、ストックホルムの指導者から声を整える練習を習いました。教わった方法は、年を重ねてからも必要なときに使っているといいます。高音を探した時代には、同時にその声を支える準備を覚えた時期もありました。
1992〜2002年|ソロで離れ、また力強い歌へ近づいた
Europeが1992年に活動を休むと、ジョーイはソロで曲を作り始めます。1995年の『A Place to Call Home』は、1980年代のEuropeと同じ勢いを求める人には意外な作品でした。本人も、最初の二枚のソロではバンドとまったく違うことをしたかった、と2002年に語っています。
世界的なヒット曲の歌手から離れた時間に、ジョーイはジャクソン・ブラウンやランディ・ニューマンらの作品に耳を傾けました。ハードロックからいったん距離を取り、違う音楽で自分の歌を探すための時間でした。
それでも、声の歩みは「若い頃は高く、その後は静かに」という一本道ではありません。2002年のソロ作『Joey Tempest』を出した頃、以前より高く歌っているのではと問われた本人は、Europeのときに近い力強さが戻ったと答えました。ミック・ミカエリらと演奏を重ね、以前のソロ作より重い方向へ少し戻りたくなったそうです。バンドを離れた経験は、高音を捨てることではなく、選べる歌を増やすことにつながりました。
2004〜2006年|再結成は、昔の声の再現ではなかった
2004年、Europeは『Start from the Dark』で新しい作品を作ります。ジョーイは再結成を、懐かしい曲だけを演奏して終える計画とは考えていませんでした。2006年の取材では、最初の再結成作を、飾らない新たなデビュー作のように振り返っています。
続く『Secret Society』では、楽器の調弦を少し低くしたこともあり、ジョーイは以前とは違う声の置き方を試しました。本人の言葉では、歌はよりリラックスした、まっすぐなものになり、詞に合う声も育ってきたと感じていました。これは、かつての高音を出せなくなったという説明ではありません。新しく作る曲に、今の声をどう乗せるかを考えた結果です。
同じ取材でジョーイは、歌の合間をアドリブで埋めすぎず、言葉を届かせることも話しています。それは一曲の中で声をどう使うかという問題なので、詳しくはジョーイ・テンペストの歌い方の記事で取り上げています。ここで起きていた大きな変化は、再結成後の作品に合わせて、1980年代とは別の声の居場所を見つけたことです。
2009〜2012年|ツアー後のかすれを、録音で隠さなかった
2009年の『Last Look at Eden』からツアーを続けたあと、ジョーイは自分の声が少し深く、ざらつきとかすれを帯びたことに気づきました。スタッフにもメンバーにも変化が分かり、みんな好意的だったと2012年に話しています。その時点で本人も、変わった声を気に入っていました。
『Bag of Bones』では、古くから好きだったブルースや1970年代のロックへ近づきました。ジョーイは、ツアーと作品を重ねてきた今だからこそ、歌に痛みやブルースの表情を込められるようになったと言います。若い頃には、このアルバムは作れなかったという本人の説明は、声質だけでなく、生きてきた時間が歌う題材も変えたことを示しています。
その表情を、録音では磨いて消さずに残しました。プロデューサーのケヴィン・シャーリーはバンド全員が一緒に演奏したテイクを重視し、ジョーイはその演奏が終わった直後の気分で歌を入れたと説明しています。「Not Supposed to Sing the Blues」を聴いた本人たちも、こうした歌の表情を自分たちで作れるとは思っていなかったそうです。
ウイスキーや長時間の歌唱で人工的に荒らしたのかと聞かれたジョーイは、それを否定しました。彼が選んだのは、新しくなった声と、その声が合う曲を録音することでした。

2015〜2016年|新しい声で歌い、昔の曲も歌い続ける
2015年の『War of Kings』でも、Europeは「The Final Countdown」の成功を繰り返すだけの曲は作りませんでした。ジョーイがその録音で求めたのは、舞台で歌うような勢いと、かすれや温かみのある声です。プロデューサーのデイヴ・コブと一行ごとの表現を試した経緯は歌い方の記事に譲りますが、この作品は2012年に受け入れた声で、さらに別の物語を歌った一作でした。
2016年、本人は若い頃の声を、細く、よく曲がる声だったと振り返りました。今は少し丸みと、かすれがある、とも言っています。「昔のように高く歌えなくなった」とは説明していません。1980年代に探し当てた高音と、後年に好きになったざらつきは、同じ歌手の別々の時期を伝える声です。
その年のロンドン公演では、2015年の『War of Kings』と1986年の『The Final Countdown』を、それぞれアルバムの曲順で全曲演奏しました。新しい作品に合わせた声を育てながら、昔の曲も今のジョーイが歌う。二つの時代を一晩に並べた公演は、彼が一方を捨ててもう一方を選んだわけではないことをよく示しています。

2026年に発表した「One on One」について、ジョーイは、旋律の一部には初期へ戻ったような感触がある一方、歌詞は昔ほど現実逃避的ではなく、今生きる時代を映したと語りました。昔の響きを思い出させることと、今の自分の言葉で歌うことは両立します。
高い音を見つけた1980年代から、別の歌を試したソロ時代、声のかすれを喜んだ再結成後まで。ジョーイの変遷を、ただ「昔より低くなった」とまとめると、2002年に力強い歌へ戻ったことも、2012年に新しい声を歓迎したことも見落としてしまいます。彼は声の変化に合わせて作品を変え、作品を変えるたびに、また声の使い道を増やしてきたのです。

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