一条貫太の歌声はどう変わった?元気な新人から「北の三代目」へ

一条貫太の歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

一条貫太さんは、演歌一家に育った歌手ではありません。
物まね番組を入口に一人で昭和の歌へ潜り、小学生の頃には体育館で自分の歌を披露し、高校では全国優勝を経験しました。

それでも、すぐにプロへの扉が開いたわけではありません。
賞を取っても声がかからず、大学へ進学し、先生について歌い方と覚悟を作り直した後、「歌唱王」3位をきっかけにようやくデビューへ進みます。

2018年の声に求められたのは、若さと元気でした。
その後は、男の情念、コロナ禍で歌えない時間、海の歌、千人の客席、家族の物語を順に引き受けています。
一条さんの歌声の変化は、太さが増しただけではありません。
「元気な新人」という一つの役から、昭和の歌と令和の客席をつなぐ舞台全体の担い手へ変わった歩みです。

小学生から2016年|物まねの向こうに、本物の演歌を見つけた

家族の音楽の好みはばらばらで、両親はフォークやロックを聴いていました。
一条さんが演歌へ近づいた入口は、コロッケさんらが出演する物まね番組です。

最初は面白い物まねを再現していましたが、やがて、元になった演歌歌手の歌へ関心が移ります。
同世代にとって古い音楽だった演歌が、本人には新鮮に感じられました。
小学生の頃には、給食の時間に体育館へ人を集め、自分で歌を披露していたと振り返っています。

高校3年で全国カラオケボックス大賞の全国優勝を果たし、NHKのど自慢チャンピオン大会にも出場しました。
ところが、期待していたスカウトは来ません。
歌一本へ進むか迷い、大学で学びながら次の機会を待つことになります。

2016年の「歌唱王」を前に、デビュー曲を後に作る二人の先生からレッスンを受け始めました。
そこで変わったのは音の出し方だけではありません。
歌手として何を背負うかを教わり、本番で自分の力を前へ出せるようになった結果、決勝3位とレコード会社からの声につながりました。

2018〜2019年|若さを前面へ出した「ふたりの始発駅」

2018年3月、21歳の現役大学生として「ふたりの始発駅」でデビューします。
キャッチフレーズは「平成生まれの昭和なボイス」でした。

この時期に求められたのは、若さを隠して熟練者のように歌うことではありません。
本人は高音と長い伸ばしを自分の武器としながら、デビュー曲では元気よく歌うことを意識しました。

もう一つの課題は、歌っていない時間です。
客席と会話のキャッチボールをしているように見せ、身近な存在になることを目標にしました。
翌2019年には地元・千葉で初コンサートを開き、歌の技術だけでなく、一人で公演の空気を作る経験を重ねます。

2020〜2021年|「いのちの花」で元気な新人を卒業した

3年目の「いのちの花」は、本人が「第二章」と位置づけた転機です。
それまでの元気はつらつとした人物像から離れ、硬派な男性の熱い思いを、主人公になりきって歌うことになりました。

歌の指導では、言葉と発音を明確にし、最後列へ届ける基本が引き続き求められました。
そのうえで、声を伸びやかに保ち、流れるように物語を運ぶ役割が加わります。
声量を見せる新人から、曲の人物を見せる歌手へ動き始めたのです。

ただし発売直後、コロナ禍で人前に立つ機会が急減しました。
家でギターを弾き、時には父がベースで参加しながら配信する時間も生まれます。
会場で客席との距離を縮めようとしてきた歌手にとって、歌えない期間は大きな断絶でした。

その一方、2020年の「いのちの花」は演歌・歌謡シングルランキングで初登場1位を獲得します。
舞台へ出られない時期に、作品は本人の活動範囲を越えて届きました。

2022年|「旅路の先に」が、止まった時間を再び動かした

2022年の「旅路の先に」は、自身2度目のランキング初登場1位となり、日本作曲家協会音楽祭の奨励賞も受けました。
嵐が来ても先へ進む男性を描く歌は、活動が止まった時期を経た本人の歩みとも重なります。

この頃には、デビュー時の「若さを見せる」だけでは説明できない時間が声の背景に加わっていました。
客席が戻り、歌えること自体が当たり前ではなくなったため、一曲を届ける意味も変わります。

同年には、フォーク調の「でっかい東京」にも挑戦しました。
演歌の直線的な高音だけでなく、ギターと親和性のある歌へ広がったことで、小学生時代から親しんだ昭和歌謡の幅が表へ出てきます。

2023〜2024年|「海の歌」が、声の居場所になった

鳥羽一郎さんから海の歌を歌い継ぐよう背中を押され、2023年の「男の漁場」から海を題材にした流れが始まります。
2024年の「大漁太鼓」では、地元・千葉の銚子で撮影し、跳ね込み太鼓へ挑戦しました。

ここでは歌声だけでなく、太鼓、掛け声、法被、客席の参加が一つになります。
高音を長く響かせるデビュー時の武器が、祭りの熱気をまとめる役割へ変わりました。

同年11月には、東京で初めて約1000人規模のワンマン公演を開催します。
昭和演歌だけでなく、フォーク、ギター、テナーサックス、トーク、衣装替えを組み合わせ、本人は目指す舞台を「歌のテーマパーク」と表現しました。

先輩の歌を上手に再現するだけではなく、自分の色で見せられるかという宿題にも向き合っています。
一曲の歌唱者から、長い公演を設計する座長へ。
この時期は、声の変化以上に、声を置く器が大きくなった時期です。

法被姿で大漁太鼓を披露する一条貫太

2025年|「凪か 嵐か」で、海の先に自分の覚悟を置いた

海のシリーズ第3弾「凪か 嵐か」は、結果が分からなくても一歩を踏み出す歌です。
本人にとっても、8周年から10周年へ向かう決意を示す作品になりました。

同年の故郷・千葉でのリサイタルでは、デビュー曲から当時の新曲、昭和の名曲まで約30曲を選びました。
失敗も急成長も一度に消すのではなく、一言一言を大切にして、じわじわ進むという姿勢を語っています。

水前寺清子さんから贈られたのも、突然大舞台へ出るタイプではなく、一歩ずつ続ければ大丈夫だという言葉でした。
華々しい飛躍より積み重ねを肯定する考え方が、「凪か 嵐か」の主人公と本人を結びます。

2026年|「兄弟波止場」で、海の歌が家族の物語になった

2026年の「兄弟波止場」も海を舞台にしていますが、前作までとは焦点が違います。
成功へ向かう男や祭りの集団ではなく、寂れた漁港で生きる家族と命のドラマを歌います。

海の歌を任された若手が、同じ題材を繰り返しているのではありません。
仕事、祭り、人生の選択、家族へと、海から見える人物を替えてきました。
元気のよい声は残しながら、その声で背負う物語が重く、近くなっています。

海を描いた幕の前で歌う一条貫太

現在の一条さんは、自分を「北の三代目」と呼び、10周年の先を見ています。
鳥羽一郎さんの後ろ姿をそのまま再現するのではなく、昭和の歌を大量に聴いてきた自分の知識、客席との軽妙な会話、楽器や舞台企画を組み合わせた継承です。

一条貫太さんの現在の歌い方では、高音と長い伸ばし以上に、言葉と客席が重要な理由を詳しく整理しています。
鳥羽一郎さんの歌唱変遷と比べると、海の歌が世代を越えてどう受け渡されているかも見えてきます。

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まとめ|変わったのは声の太さより、背負える人物の数だった

一条貫太さんは、物まねから演歌へ入り、コンクールで結果を出しても声がかからない時期を経て、レッスンで歌い方と覚悟を作り直しました。
2018年のデビューでは若さと元気を前へ出し、2020年には主人公になりきる歌へ進みます。

コロナ禍を越えた後は、「旅路の先に」で再び歩き始め、海のシリーズで舞台と客席を巻き込み、2026年には家族と命の物語を引き受けました。
初期から残る高音と長い伸ばしは、今も大きな武器です。

それでも歌声の変化を決めたのは、音の高さだけではありません。
元気な青年、硬派な男、祭りの担い手、迷いながら進む人、家族を思う人。
歌の中で生きられる人物が増えるたび、「昭和なボイス」は懐かしい看板から、現在を動かす声へ変わってきたのです。

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