秋山黄色の歌声は、荒々しさを捨てて穏やかになったのではありません。
初期には自分の怒りを曲へ収めることで精いっぱいだった声が、作品を重ねるにつれ、物語の登場人物、待っていた観客、そして自分以外の人が抱える日常的な悲しさまで運べるようになりました。
変化の始まりは、歌が上手くなった瞬間ではなく、「叫びすぎると声だけが曲から浮く」と気づいた瞬間にあります。
2023年の「蛍」では、変わらないために変わるという考えを歌へ託し、2026年の『Magic if』では、長く向き合ってきた死の恐怖から少し距離を取りました。
最新曲「SUMMER BUG」にあるのは、深刻さを正面から叫ぶ声だけではありません。
楽しいはずの夏に忍び込む喪失感を、遊びのある音楽へ変える余白です。
秋山黄色の歌唱変遷とは、声を丸くした歴史ではなく、同じ衝動で語れる世界を広げた歴史です。
ライブ以前は、歌もギターも宅録を作るための素材だった
秋山黄色は、中学生の頃にベースを始め、高校生になると初めてオリジナル曲を作りました。
DTMで一人の音楽を組み立て、ネットへ発表する方法が先に身につきます。
この頃の本人にとって、歌うことやギターを弾くことは、ステージで披露する特技というより録音の素材でした。
自分の部屋で曲が完成すればよく、誰かとバンドを組んで歌手になる計画が先にあったわけではありません。
だからこそ、初期の声には、聴き手との距離を計算する前の直接性がありました。
嫌なことが起きた後に曲を作り、歌ううちに怒りが出る。
本人は当時の感情を、喜怒哀楽がすべて「怒」に集まるような状態として振り返っています。
2017年にライブを始めると、歌の役割が変わります。
録音の部品だった声が、目の前の人へ一曲を届けるための声になりました。
人前へ立つ怖さより、作った後も音楽の楽しさが続く感覚の方が大きかったと語っています。
2018〜2019年、「やさぐれカイドー」で叫びが歌になった
初期を代表する「やさぐれカイドー」は、最初から現在の形で録れた曲ではありません。
初回のボーカルは激しく叫びすぎ、声だけが伴奏から浮いたため録り直されました。
ライブ経験を通じて覚えたのは、叫びたい本能を消すことではなく、曲へ合う歌い方まで戻すことです。
本人は、叫びではなく歌声になるようになったと説明しています。
2019年の『Hello my shoes』には、宅録の自由さと、ライブで届く強さの両方が入りました。
声の荒さは残っていますが、感情が歌を壊す一歩手前で止まります。
秋山黄色の現在の発声を知りたい場合は、秋山黄色の歌い方・発声分析で、この録り直しを起点に詳しく整理しています。
変遷記事で重要なのは、完成した技法の名前より、失敗を通じて「感情の強さ」と「曲の強さ」を分けられるようになったことです。
2020年、『From DROPOUT』で部屋の声がテレビの向こうまで届いた
2020年のメジャー1stアルバム『From DROPOUT』には、「やさぐれカイドー」「Caffeine」「モノローグ」などが収録されました。
一人で作る姿勢を保ったまま、ドラマ主題歌を通じて、秋山黄色を知らなかった人にも声が届く時期です。
「モノローグ」という題名は、この時期をよく表しています。
聴き手が増えても、歌の出発点は外へ向けた立派な演説ではなく、自分の内側から漏れる独白でした。
ただし、タイアップ作品へ入るには、本人だけが分かる感情をそのまま投げるだけでは足りません。
初期に身につけた「曲へ収める」感覚が、今度は物語やテレビという、自分より大きな枠へ声を収める力になりました。
ネット発の一人制作から広い聴き手へ進む流れは、キタニタツヤの歌唱変遷にもあります。
秋山黄色の場合、制作環境が広がっても、独白の切迫感を消さなかった点に個性があります。

2021〜2022年、怒り以外の色と物語の声が増えた
2021年の『FIZZY POP SYNDROME』では、前作より明るく、ジャンルの幅がある作品を目指しました。
状況が明るかったから陽気な曲だけを書いたのではありません。
世界が止まりかけた時期に、自分まで同じ方向へ暗く沈む必要はないと考え、音楽の色を増やしました。
「アイデンティティ」では、傷ついた生命を必死に肯定する歌が、アニメ作品の扉を開く声になります。
自分の怒りだけを叫ぶ初期から、物語の緊張を背負いながら、多くの人が入れる大きなメロディーを歌う段階へ進みました。
2022年の『ONE MORE SHABON』では、さらに歌い方の理由が複雑になります。
「シャッターチャンス」の流れるようなフロウには、人前で歌う恥ずかしさを隠すために身についた歌唱が関係していました。
弱点を消してから前へ出たのではなく、恥ずかしさをリズムへ変えています。
同年の「SKETCH」は、『僕のヒーローアカデミア』の物語へ寄り添う曲です。
強いロック声だけでなく、叫ぶようなファルセットや温かいメロディーまで一曲の中へ入り、秋山黄色の声が怒り以外の感情を運べることを示しました。
2023年の「蛍」は、変わらないために変わる転機だった
2022年末から活動を自粛し、2023年に音楽活動へ戻りました。
この期間の詳細を歌唱の物語へ必要以上に持ち込むべきではありません。
重要なのは、本人が戻る場所を残したファンへの感謝と、信頼を取り戻す意思を公にし、その後の作品で視線の向きを変えたことです。
「蛍」には、強すぎる光も過剰になれば影を作るという考えが置かれています。
変わらないように変わるため、光りながら光を探す。
初期のように怒りを吐き切るのではなく、自分の価値観さえ強くなりすぎないよう疑う声です。
本人は後に、「蛍」を一つのターニングポイントとして振り返りました。
自分一人の世界から始まった歌が、他人のことを考えて書く方向へ動いたからです。
同年のツアーでは、「蛍」を弾き語りで始め、途中からバンドが加わる構成も採られました。
一人で作っていた声と、多くの人に支えられる現在を、同じ曲の中でつないだような場面です。
2024年、『Good Night Mare』で広げた視線を自分の痛みへ戻した
他者へ視線を向けられるようになった後、2024年の『Good Night Mare』では、あえて自分の痛みと絶望へ深く戻りました。
後退したのではありません。
聴く人の痛みに輪郭を与え、少しでも和らげるためには、自分の痛みに嘘を混ぜず歌う必要があると考えた作品です。
アルバムは、痛みそのものを歌う曲と、その痛みを一時的に吹き飛ばす曲の二方向に絞られました。
初期の怒りが制御されずあふれたのに対し、ここでは痛みの役割まで設計されています。
さらに「BUG SESSION」では、東京公演を秋山黄色のバンド編成とソロ編成の対決として構成しました。
部屋で一人の録音を作った出発点と、ライブで育った歌手の両方を、どちらかに決めず一つの舞台へ置いたのです。

2026年、『Magic if』で死の恐怖から日常の悲しさへ近づいた
2026年3月、5枚目のアルバム『Magic if』が発表されました。
本人は治療を続ける中で状態が以前より整い、長く歌ってきた死の恐怖がかなり薄くなり、現実へ没頭している感覚があると説明しています。
内面が変われば、以前と同じ言葉をなぞる方が不自然になります。
そこで「もし別の人生だったら」という仮説を置き、これまでより一般的な悲しさや幸せを冷静に書ける余白を作品にしました。
「DO NOT DISTURB」は、前作の悪夢と新作の現実をつなぐ入口です。
以前は死にたくないという恐怖を繰り返し歌ってきましたが、今回は苦しい現実の中にいる人物を立て、反対側から生を見つめました。
この変化は、声が明るくなったという単純なものではありません。
自分の感情だけでは書けない人物を仮定し、それでも最後は現実へ戻る。
歌う声が、自分の告白であると同時に、別の人生を試す役者の声にもなりました。
2026年8月の「SUMMER BUG」では、楽しいはずの夏に感じる喪失感を、遊びのあるサウンドへ入れています。
重い主題を重い顔のまま差し出すだけでなく、踊れる形へ変えられる現在地です。
変わらない衝動が、怒り以外の景色を歌えるようになった
秋山黄色の歌唱変遷には、分かりやすい「昔は下手、今は上手」という境目がありません。
最初の大きな変化は、叫びすぎた「やさぐれカイドー」を録り直し、感情を曲の中へ戻したことでした。
2020年には独白を広い聴き手へ運び、2021〜2022年には明るい色と物語の声を増やしました。
2023年の「蛍」で他者へ視線が動き、2024年にはその力を持ったまま自分の痛みへ戻ります。
2026年になると、死の恐怖だけでなく、普通の悲しさ、幸せ、夏の喪失感まで歌える余白が生まれました。
WurtSの歌唱変遷が、一人制作からライブの第二章へ進む物語だとすれば、秋山黄色の歴史は、一人の怒りから始まった声が、他人の世界まで語れるようになる物語です。
荒い立ち上がりも、速い言葉も、細いファルセットも消えていません。
変わったのは、それらが仕える感情の数です。
衝動を丸くして個性を失ったのではなく、衝動を扱えるようになったから、怒り以外の景色まで同じ声で描けるようになりました。






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