坂本九さんの歌い方は、きれいな日本語を滑らかに歌う方法とはかなり違います。
言葉を小さく揺らし、母音の間へ息や子音を挟み、まっすぐな旋律を歩くようなリズムへ変えてしまいます。
その癖は「上を向いて歩こう」の制作時、周囲から変だと反対されました。
ところが直されなかった歌唱が、日本語のまま全米1位になりました。
坂本九さんのすごさは高い声より、言葉を音楽へ作り替える力にあります。
作詞家が怒り、作曲家が守った「変な歌い方」
「上を向いて歩こう」を初めて聴いた永六輔さんは、自分の言葉が別物になったように感じたと伝えられています。
坂本九さんは「上を向いて」を、会話のように一息で読まず、音を跳ねさせながら独特の形に崩して歌ったからです。
普通なら、作詞家が望む発音へ直されても不思議ではありません。
しかし作曲した中村八大さんは、その歌い方のままでよいと支持しました。
担当ディレクターも個性を消さず、録音を進めました。
結果だけを知る私たちには、この判断が当然のように見えます。
実際には、まだ誰も世界的成功を予想していない段階で、正しい日本語より一人の歌手の癖を選んだのです。
坂本九さんの歌唱を理解する入口は、発声用語ではなく、この制作現場の賭けにあります。

音を切っているのに、歌全体は前へ進む
歌唱を扱う複数の解説では、「上を向いて歩こう」の特徴として8ビートの感覚、細かな区切り、声の明るさが挙げられています。
一音ずつ均等に並べるのではなく、ある音を短くし、次の音へ少し早く寄りかかるため、ゆっくりした曲でも止まりません。
ここが、単なる「ぶつ切り」と違うところです。
言葉の表面は細かく分かれていても、フレーズの目的地は先にあります。
歩幅は不ぞろいなのに、足取りは一定という感覚に近いでしょう。
声の間に聞こえる軽い息や、小さな笑いのような音についても、分析者ごとに説明は異なります。
声の切り替えと見る人もいれば、リズムを作る癖、邦楽的な揺らぎ、ロカビリー由来の装飾と捉える人もいます。
声帯の動きを録音だけから一つに決めることはできませんが、音をまっすぐ伸ばさないことが坂本九さんらしさを作る、という点は共通しています。
エルヴィスと母の小唄が、同じ一節に入っている
坂本九さんは10代でエルヴィス・プレスリーに憧れ、米軍施設でもロックンロールを歌いました。
学校の掃除中、ほうきをギターに見立てて歌っていたという同級生の記憶も残っています。
一方で、独特な節回しには母親から教わった小唄の影響もあったと、制作関係者は振り返っています。
海外の音楽をそのまま日本語へ移したのではありません。
英語圏のリズムと、日本語を揺らして聞かせる感覚が、本人の中で混ざりました。
だから「上を向いて歩こう」は、洋楽風とも純粋な歌謡曲とも言い切れません。
全米で受け入れられた理由も、歌詞の意味だけでは説明できません。
英語が分からなくても声の表情とリズムが届くように、日本語が意味と同時に音として働いていたのです。
明るい声が、悲しい歌を暗くしすぎない
坂本九さんの歌には、笑顔を想像させる明るさがあります。
「上を向いて歩こう」は涙をこらえる歌ですが、声まで沈み込まないため、悲しみの底へ落ちずに前へ進めます。
「見上げてごらん夜の星を」や「ともだち」でも、立派に歌い上げる人というより、隣から声をかける人に近く聞こえると評されてきました。
テレビが家庭へ広がった時代に、親しみやすい表情で積極的に出演したことも、この距離感を強めました。
発声だけで作られた魅力ではありません。
音を深く重く構えず、言葉の途中に遊びを残し、画面の向こうへ呼びかける姿まで含めて「九ちゃん」の声になりました。
代表曲を並べると、同じ明るさにも役割の違いがあります。
「ステキなタイミング」では弾む身体を見せ、「上を向いて歩こう」では涙をこらえる足取りを作り、「見上げてごらん夜の星を」では隣にいる誰かを励まします。
「明日があるさ」になると、声は一人の感情より、皆で口ずさめる合図へ近づきます。
声色を大きく変えずに主人公を替えられるのは、言葉の意味だけでなく、曲ごとの歩く速さを変えているからです。
坂本九さんを聴く時は、最高音より先に、どこで足が弾み、どこで一瞬立ち止まるかに注目すると、四曲が別の表情を持つ理由が分かります。
坂本九の声を、ミックスボイスだけで説明しない方がよい
現代の検索では、有名歌手の高音をすぐ「地声かミックスボイスか」に分けたくなります。
坂本九さんにも、軽い高音、裏返るような装飾、息を含む瞬間はあります。
ただし、残された資料が強く語っているのは、声区の名称ではありません。
リズム、発音、明るい音色、ロカビリーと小唄の混在です。
一曲の中でも音量や母音によって声の使い方は変わるため、全体を一つの発声法で固定するのは無理があります。
尾藤イサオの歌い方・発声と比べると、同じロカビリーを出発点にしても違いが見えます。
尾藤さんは舞台の熱を太い声へ集め、坂本九さんは言葉の角を揺らして親しさへ変えました。
ジャンル名が同じでも、個性の作り方は同じではありません。

真似るなら、訛りではなく「自分の癖を音楽にする判断」
坂本九さんの発音だけを誇張すると、ものまねにはなっても、本人の歌唱には近づきません。
専門的な歌唱解説でも、喉の動きや細かな揺れをそのままコピーするより、自分の声の特徴を生かすべきだという注意があります。
参考にできるのは、変だと言われた癖を無条件に押し通したことではありません。
曲のリズムを前へ運び、悲しい言葉を明るい声で支え、聞き手との距離を縮める働きがあったから残されたのです。
歌手の個性は、標準から外れれば自動的に生まれるものではありません。
その外れ方が曲の意味を深くした時、初めて表現になります。
坂本九さんの場合、「正しく発音しないこと」が目的ではなく、言葉を自分の音楽として生かすことが目的でした。
坂本九の歌い方は、直されなかった欠点ではなく作品の中心だった
坂本九さんの歌い方が世界へ届いたのは、癖が偶然見逃されたからではありません。
周囲が反対するほど目立つ歌い回しを、中村八大さんと制作陣が作品の力だと判断し、録音に残したからです。
その声には、エルヴィスから受け取ったリズム、母の小唄、日本のテレビ時代に合った笑顔が同居していました。
音を細かく崩しても歌は止まらず、悲しい言葉を歌っても声は暗くなりすぎません。
「上を向いて歩こう」の成功は、変な歌い方が正解だったという単純な話ではありません。
一人の歌手にしかない違和感を、曲の意味へ変えた制作の物語です。
その個性が後年どのように大人の歌へ向かったのかは、坂本九の歌声の変遷で年代順にたどります。
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