尾藤イサオさんの歌い方を一言で表すなら、声をきれいに管理する歌唱より、歌をその場で生きた出来事に変える歌唱です。
「悲しき願い」の荒々しさも、「あしたのジョー」の叫びも、単に大声を出した結果ではありません。
その本質をよく示すのが、「あしたのジョー」で最も有名なハミングです。
あの「ルルル」は、最初から周到に設計されていたのではなく、尾藤さんが歌詞を忘れた瞬間に生まれました。
失敗を止まる理由にせず、その場で歌へ変えてしまう。
この反射神経をたどると、曲芸師からロック歌手、俳優まで続く尾藤イサオの発声が、なぜ整いすぎず、それでも人をつかむのかが見えてきます。
「ルルル」は、歌詞を忘れた瞬間に生まれた
「あしたのジョー」の主題歌を初めて歌った時、尾藤さんは作曲家の前で途中まで気分よく歌っていました。
周囲が褒める声を耳にした途端、歌詞が頭から飛んでしまいます。
普通なら演奏を止め、最初からやり直す場面です。
ところが尾藤さんは、その空白を「ルルル」でつなぎました。
作曲家の八木正生さんは、その偶然を面白がり、正式なハミングとして残したと本人が回想しています。
ここにあるのは、ミックスボイスや共鳴といった一つの発声用語では説明しきれない力です。
歌詞を忘れても、曲の熱を落とさない。
声が言葉を失った瞬間にも、役の感情だけは手放さない。
尾藤さんは後年、この曲を歌う時の気分はいまも矢吹丈だと話しています。
年齢を重ねても、主題歌を懐かしい持ち歌として眺めるのではなく、歌い始めればその人物へ戻るのです。
歌手になる前に、客前で失敗することを覚えていた
尾藤さんは10歳の頃、太神楽の曲芸師へ弟子入りしました。
皿回しやジャグリングでは、道具を落とさない技術だけでなく、落とした後も客を白けさせないことが求められます。
本人の回想では、修業を始めた頃は皿を落としてばかりでした。
それでも子どもが失敗する姿を客が面白がり、高座は成立したといいます。
完璧でなければ舞台が壊れるのではなく、失敗まで見せ方に変えられると、歌手になる前に身体で知っていたのでしょう。

13歳頃にエルヴィス・プレスリーの歌を聴き、曲芸の伴奏までロックンロールへ変えました。
のちに歌手を目指した時も、英語の発音を学校で体系的に習ったのではありません。
レコードがすり減るほど何百回、何千回と聴き、耳で覚えたと語っています。
この経歴から「曲芸で鍛えた体幹が高音を生んだ」とまでは断定できません。
ただ、音を聞いてすぐ身体へ移すこと、客の反応を受けて演技を変えること、舞台上で止まらないことは、歌い手としての土台になりました。
「悲しき願い」は、翻訳曲を本人の失恋へ引き寄せた
1965年の「悲しき願い」は、アニマルズで知られる英語曲の日本語カバーです。
カバー曲は、原曲の雰囲気をなぞるだけでは借り物に聞こえやすくなります。
この曲を録音した頃、尾藤さんは失恋した直後でした。
食事も喉を通らないほど落ち込んでいたため、自分を責める日本語詞が当時の感情と重なったと話しています。
荒い声、強いアクセント、前へ突っ込む勢いだけを取り出すと、昔のロック歌唱に見えるかもしれません。
しかしヒットの核には、翻訳された言葉を自分の出来事として歌える理由がありました。
声を歪ませたから切実になったのではなく、切実な言葉を渡された結果、尾藤さんの舞台感覚と声が一つになったのです。
聴き手による説明は「シャウト」「ハスキー」「和製プレスリー」などに分かれます。
どれも一面は捉えていますが、声の種類だけで曲の説得力を説明すると、失恋という個人的な接点が抜け落ちます。
強い声の正体は、音量よりも引き受け方にある
尾藤さんの歌は、大きな声の見本として語られがちです。
実際、近年の公演記事でも、叫ぶような声や年齢を感じさせない勢いが繰り返し紹介されています。
ただし、すべての音を同じ力で押しているわけではありません。
「あしたのジョー」ではハミングが言葉より深い余韻を残し、「悲しき願い」では短い言葉を畳みかけ、舞台では歌だけでなく動きや語りまで使います。
技術名に置き換えるなら、声帯の閉じ方、息の量、子音の強さ、声の歪みなど複数の要素が関わります。
ところが、資料だけから個々の音を地声、ミックスボイス、シャウトと断定することはできません。
むしろ確かに言えるのは、曲が要求する役を引き受けるたび、声の出し方まで変えてきたことです。
82歳まで残ったのは、若い声ではなく舞台に出る習慣だった
2018年のインタビューで、尾藤さんは毎日のウォーキング、ストレッチ、ダンベル運動を続けていると話しました。
ホテルでも腹筋や背筋の運動を行い、移動中も身体を止めないようにしていたそうです。

81歳の時には、一か月に17公演ほどあるツアーを回っていると語っています。
声を保つ秘訣として本人が挙げたのは、特別な発声法ではなく、仕事を続けて声を使うことでした。
これは、毎日大声を出せばよいという意味ではありません。
本人には長年の舞台経験があり、身体づくりと公演の管理を含めて継続しています。
表面のしゃがれや叫びだけを真似し、喉に痛みや強いかすれが出るまで歌うのは別の行為です。
高音の張り上げを直す考え方でも、強さと押し上げを分けて説明しています。
尾藤さんから参考にしたいのは、声の荒さではなく、長く舞台へ戻れる状態を作ることです。
三つの代表曲で、同じ声が別の人物になる
「悲しき願い」では、失恋した若者の焦りが歌の勢いへ変わりました。
「あしたのジョー」では、矢吹丈という人物を背負い、言葉が消えた場所にも感情を残しています。
さらに「また逢う日まで」を歌う時は、尾崎紀世彦さんの代表曲を自分の持ち歌のように奪うのではなく、親しかった歌手への敬意を込めたステージになります。
同じ太い声でも、役割が違えば、聞こえる意味は変わります。
尾崎紀世彦の歌い方・発声と比べると、その差は分かりやすいでしょう。
尾崎さんが一曲の旋律を大きく整えて届ける歌手なら、尾藤さんは舞台上の出来事ごと歌へ巻き込む歌手です。
発声を学ぶ読者が見るべきなのも、声の太さだけではありません。
歌詞を忘れた時に何を残したか、別人の歌を歌う時にどんな役を引き受けたかを見ると、歌唱力が音程や声量の点数だけでは測れないことが分かります。
尾藤イサオの歌い方は、失敗しても歌を止めない
尾藤イサオさんの歌い方は、整った音を並べることより、その場の熱を失わないことに強みがあります。
曲芸師時代に客前の失敗を経験し、レコードを繰り返し聴いて歌を身体へ入れ、失恋も歌詞を自分の言葉にする材料へ変えました。
「あしたのジョー」のハミングは、その人生が偶然一音に現れた場面です。
歌詞を忘れたのに、歌は止まらなかった。
しかも、その失敗が作品から消されず、最も忘れられない場所として残りました。
尾藤さんの強い声を理解する時、最初に探すべきなのは地声かミックスかという名前ではありません。
何が起きても曲の中に居続ける力です。
その姿勢があるからこそ、荒々しい声もハミングも、ただの効果ではなく一人の人物の声として届きます。
デビューから82歳の新曲までの変化は、尾藤イサオの歌声の変遷で年代順にたどります。
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