まふまふさんの歌声の変化は、昔より高い音が出るようになったというだけではありません。
長く活動を共にするそらるさんは、初期の歌い方を現在より男性的だったと振り返り、本人も今の歌い方の方が自然に出せると話しています。
2010年に始まった投稿活動では、既存曲へ自分の声を合わせる歌い手でした。
2026年には作詞、作曲、編曲、録音まで担う制作者として、アコースティック編成のソロツアーへ向かっています。
声が高くなったことは、この変化の一部です。
より大きいのは、無理をして作る高音から、作品世界を組み立てるために自然に選べる声へ変わったことです。
2010年から2012年、歌い手として曲へ自分を合わせた
まふまふさんは2010年にインターネット上で歌の投稿を始めました。
この頃は、自分の音域に合う曲だけを選ぶのではなく、ボーカロイド曲をできるだけ原曲キーのまま歌う姿勢を強めていきます。
本人によれば、活動開始時から現在のような高音が出ていたわけではありません。
人間の歌手を前提にしないほど高いボカロ曲へ挑戦するうち、少しずつ歌える範囲が広がりました。
2012年には同人アルバム『夢色シグナル』を発表しています。
歌ってみたの投稿者から、自分の名前で一枚の作品をまとめる歌手へ踏み出した時期です。
初期の声は、後年より男性的だったと近しい共演者から語られています。
現在の軽い高音を最初から完成品として持っていたのではなく、歌う曲と活動の場に応じて声の置き方を探していました。
2013年から2015年、自分で作る曲が声へ新しい課題を出した
2013年の『明鏡止水』、2015年の『闇色ナイトパレード』では、自作曲の比重がはっきり増えます。
公式の作品情報でも、多くの曲で作詞と作曲を本人が担っていることが確認できます。
他人が作った高い曲へ挑戦するだけなら、難しすぎる場合に選曲を変えられます。
自分が作曲者になると、頭の中で鳴ったメロディーが、そのまま自分への課題になりました。
歌いやすさを優先せず作品を形にする姿勢は、この時期から後年まで続きます。
声に合わせて創作の範囲を狭めるのではなく、作りたい音楽へ声を追いつかせる方向が定まったのです。
この関係は、現在の発声を説明するうえでも重要です。
まふまふの歌い方・発声分析では、ボカロ原キーと制作工程が高音へ与えた影響を詳しく整理しています。
2016年、After the Rainで一人の声から二人の会話へ
2016年、そらるさんとのユニットAfter the Rainが本格始動し、アルバム『クロクレストストーリー』を発表しました。
ここで歌声は、一人で曲の世界を完成させるものから、低さや質感の異なる声と対話するものへ広がります。
本人は当時、人間には歌えないような曲を自分でも作り、歌いやすさや難しさを度外視して一つの作品を作ると説明していました。
高音は技巧を披露する装飾ではなく、そらるさんの声との距離や、非現実的な世界を作る材料になっていきます。
『夢のまた夢』のようなソロ曲も発表され、繊細な声と高い声を一つの物語へ置く方向が明確になります。
この頃の作品は、後年の自然体へ至る前の、声の可能性を強く押し広げていた時代として位置づけられます。
2017年から2019年、ライブで録音の高音を再現する声へ
2017年にはソロアルバム『明日色ワールドエンド』を発表し、初のワンマンツアーを行いました。
同年のAfter the Rain日本武道館公演、2018年のさいたまスーパーアリーナ、2019年のメットライフドームへと、会場は急速に大きくなります。

録音では、一曲ごとに休みながら最良の歌を残せます。
大規模ライブでは、難しい高音曲を何曲も続け、観客へ言葉を届け、最後まで公演を成立させなければなりません。
2019年の『神楽色アーティファクト』は20曲を収め、ロック、和風、軽いキャラクター曲、物語性の強い曲を一枚に並べました。
声の高さだけで統一せず、曲ごとに役柄を持ち替える歌手像が大きな会場でも共有されます。
この時期に育ったのは、最高音そのものより再現性です。
後年、作った当時は高すぎてライブで歌えなかった曲を「今ならいける」と話せるようになったことにも、長い公演経験がつながっています。
2021年、昔より自然な歌い方だと本人が言葉にした
2020年に予定されていた東京ドーム公演は中止となりましたが、2021年には同会場から無料配信ライブを行いました。
同年末にはNHK紅白歌合戦へ初出場し、インターネット発の歌い手という枠を越えて声が届きます。
その年のAfter the Rainライブで、そらるさんは昔のまふまふさんがもう少し男性的な歌い方だったと話しました。
本人は、現在の歌い方の方が自然に出せて、自分自身も自然体になっていると答えています。
この発言は、歌声の変遷を考えるうえで最も重要です。
女性的に聞こえる声を新しいキャラクターとして被せたのではなく、活動の中で広がった高音が、以前より力まず選べる自分の声になったことを示します。
初期より男性らしさが減ったという印象は、弱くなったことと同じではありません。
低い声へ戻ることも、高い声で強く押すことも含め、曲に必要な重さを選べる範囲が広がったと考える方が自然です。
2022年の休止は、歌声の原因へ短絡させない
2022年6月、東京ドーム2日間公演を区切りに、療養のためソロ活動を無期限で休止しました。
2023年6月には公式に活動再開が発表されています。
この期間を、発声が悪かった、休んだから声が変わったという単純な説明へ結びつけることはできません。
公開されているのは心身を休める必要があったという事実であり、声帯や発声方法の変化まで本人が医学的に説明したわけではないからです。
変遷記事で大切なのは、事情を推測することではありません。
11年間続けてきた活動を一度止め、戻った後にどの作品と舞台を選んだかを見ることです。
2024年から2025年、復帰後は過去の声を取り戻すだけではなかった
2024年にはAfter the Rainのライブやソロ公演へ戻り、12月にアルバム『世会色ユニバース』を発表しました。
収録曲は新曲だけでなく、長い活動の中で生まれた曲を二枚組で再配置しています。
活動再開後の歌唱は、休止前の続きをそのまま再演するだけではありません。
過去の高音曲、近年のタイアップ曲、静かな曲を同じ現在の声で並べ直し、自分の十五年を一つの作品として見せる段階へ進みました。
2025年には日本武道館のソロ公演に加え、歌ってみたを中心にした代々木第一体育館公演も行っています。
自作曲の制作者として大きくなった後に、活動の出発点であるカバーへ戻る選択です。

昔へ巻き戻ったのではありません。
歌い手と作曲家、ソロとユニット、録音とライブを経験した現在だからこそ、初期の文化を別の大きさで引き受け直せます。
2026年、超高音の次にアコースティックを選んだ
2026年にはAfter the Rainの10周年ツアーに加え、ソロのアコースティックツアー『叙情』が発表されました。
ソロツアーとしては2017年以来9年ぶりであり、必ず着席して鑑賞する公演として設計されています。
巨大な音響と派手な演出で高音を見せてきた歌手が、次の節目に選んだのは、声と言葉が隠れにくい編成です。
これは高音を捨てる宣言ではなく、高さ以外の部分まで聴かせられる現在地を示す選択と考えられます。
まだ開催前の公演について、歌い方がどう変わるかを断定はできません。
それでも、初期に曲へ追いつくため伸ばした声が、現在は編成そのものを選び、聴かせ方を設計する側へ回ったことは確かです。
変わったのは高さより、高音との距離だった
まふまふさんは、最初から現在の高音を自然に出せたわけではありません。
初期には比較的男性的な歌い方をし、ボカロ原キーと自作曲へ声を合わせながら、音域と表現を広げました。
2016年以降は二人の声の対比を知り、2017年から2019年には大規模ライブで再現性を育て、2021年には現在の歌い方を自然体だと言葉にしています。
活動休止と再開を経た後は、過去の曲を回収し、2026年のアコースティックツアーへ進みました。
高い音へ無理に手を伸ばしていた時期から、高音を作品に必要な色として自然に選べる時期へ移ったことが、歌唱の変遷の中心です。
まふまふさんの声は別物になったのではなく、自分が作る音楽の広がりに合わせて、自分らしい範囲を少しずつ広げてきました。






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