「北国の春」を聞くと、千昌夫さんの故郷である岩手県の景色を思い浮かべる人は多いでしょう。
ところが、歌詞の原風景は岩手ではありません。
作詞したいではくさんが思い描いたのは、自身の故郷である信州でした。
歌の中にも特定の県名は出てきません。
それでも千さんが歌うと、同じ東北出身の歌手には「岩手の北国の春」と感じられるそうです。
声の太さだけでは説明できない、土地と言葉の結びつきがあるからです。
作詞家が信州を描き、歌手が岩手の匂いを入れた
「北国の春」は、都会で暮らす人が故郷から届いた小包をきっかけに、家族や昔の恋人を思い出す歌です。
モデルになったのは信州の風景と、地方から都会へ出た若者たちでした。
一方、歌った千さんは岩手県陸前高田市の出身です。
十代で上京し、遠藤実さんの門下へ入りました。
歌詞と歌手の故郷は違うのに、作品は千さんの「望郷演歌」として定着しました。
これは、出身地の表示だけで起きたことではありません。
同業歌手や歌唱解説が共通して注目するのは、千さんが整った標準語へ歌を寄せ切らない点です。
言葉を少し曲げ、音の入口を下から迎え、長く伸ばす場所には故郷で話す時の粘りが残ります。
書かれた場所より、歌っている人の暮らしが先に見えてくる歌い方です。
福田こうへいが一節変えると、見える雪国まで変わった
この個性を分かりやすく説明したのが、同じ岩手県出身の福田こうへいさんです。
福田さんは「北国の春」をカバーする際、千さん特有の言葉の伸ばし方をそのまま使わず、冒頭をまっすぐ歌う選択をしました。
しゃくりもあえて減らすと、歌に清潔感が生まれる。
その結果、表現の意味は同じでも、千さんの岩手から、自分が知る秋田や青森の風景へ変わると話しています。
同じ音程と歌詞でも、言葉の立ち上げ方だけで場所が変わる。
ここが千昌夫さんの歌唱を考える面白いところです。
一般に、しゃくりは低い音から目的の音へ滑り上がる装飾です。
しかし千さんの場合は、上手さを見せる飾りというより、普段の言葉が歌へ入る時の助走として捉えると、その役割が分かりやすくなります。

派手な高音より、低めの声が遠くまで届く
千さんの代表曲は、男性が歌うには比較的低い音域へ収まるものが多いとする音域資料があります。
「北国の春」も、最高音を競うような曲ではありません。
ところが、生の舞台では、マイクを腰の近くまで離しても声量を感じたという驚きが観客の記録に残っています。
発声研究の資料でも、昭和の歌手を代表する「生の声の力」の例として千さんの名が挙げられています。
低い声と小さい声は同じではありません。
無理に音を高くしなくても、母音の輪郭を保ち、息の流れを途中で止めず、語尾まで声を運べば、歌は広い会場へ届きます。
千さんの迫力を参考にするなら、鼻にかかった音色だけを誇張するより、低い一節を最後まで弱らせない点を見る方が本質に近づけます。
「星影のワルツ」では、大きな声を近くへ置く
「星影のワルツ」は、のちの望郷演歌とは違い、別れを受け入れようとする静かな歌です。
もともとはシングルのB面でしたが、千さん自身が気に入り、各地で売り込み続けた末に大ヒットしました。
この曲では、声の力を前へ押し出し続けません。
三拍子の流れへ言葉を預け、長い音の揺れが、決心し切れない気持ちを残します。
にぎやかな公演でも、この曲が始まると涙が出たという反応が、観客の記録に繰り返し残っています。
大きな声を持つ人が、近い距離で話すように歌うから、別れが大げさな悲劇ではなく、聞き手自身の記憶になります。
「津軽平野」は借金の担保から、本人以上の代表曲になった
1984年の「津軽平野」は、吉幾三さんが作詞・作曲した作品です。
誕生の話は、歌そのものと同じくらい人間くささがあります。
吉さんは金策のため千さんを訪ね、担保になる歌があると言って冒頭だけを歌いました。
続きを聞かせず、先に金を貸すか決めてほしいと迫ったそうです。
千さんは、その短い歌い出しで作品の価値を感じ取りました。
後に「もう代表曲」と自ら語るほど、この歌を自分のものにしています。
吉幾三さんが書いた出稼ぎの父の物語を、千さんの声が受け取ると、作家と歌手の故郷が一つの景色になります。
吉さん自身の言葉と歌の背景は、吉幾三さんの歌い方・発声でも掘り下げています。

千昌夫らしさは、鼻声だけを真似しても残らない
ものまねでは、額のほくろと独特の鼻にかかった声が分かりやすい記号になります。
しかし、そこだけを強めると「北国の春」は急に狭い歌になります。
注目したいのは、最初の名詞を急がずに置くこと、言葉の一部を土地の話し言葉へ引き寄せること、そして最後の疑問を言い切らないことです。
「帰る」と断言せず、帰ろうかと自分へ問い続ける歌だから、強い声の中に迷いが残ります。
福田さんが歌い方を少し変えただけで別の土地が見えたように、千さんの個性は一種類の声色ではありません。
音程、言葉、出身地、聞き手との距離が重なった結果です。
千昌夫の声は、地名のない歌に故郷を作る
千昌夫さんの歌い方には、低めでも遠くまで届く生声、言葉を下から迎えるしゃくり、長い語尾の揺れがあります。
それらは目立つ技法ですが、一番大きな働きは別にあります。
信州をもとに書かれた歌を、岩手から上京した一人の物語として聞かせることです。
土地の名前を書き足さず、歌い方だけで故郷を作りました。
「星影のワルツ」を自分で売り歩き、「北国の春」のために次の録音まで止めた執念も、その声と切り離せません。
歌い方の変化と、二つの遅咲きヒットを守り抜いた60年は、千昌夫さんの歌声の変遷で時代順にたどります。






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