新沼謙治の歌い方・発声|「嫁に来ないか」を歌いたくなかった声が届いた理由

新沼謙治の歌い方と発声を解説する記事のアイキャッチ シンガー

新沼謙治さんの代表曲「嫁に来ないか」は、まっすぐな求婚の歌として知られています。
ところが本人は、発売当時この曲を歌うのが嫌だったと明かしています。

まだ結婚する気がなかったため、歌うたびに心の中で謝っていたというのです。
それでも曲は大ヒットし、純朴な青年が未来を約束する声として長く愛されました。

本人の気持ちと歌の主人公が一致していないのに、なぜ嘘っぽく聞こえなかったのでしょうか。
答えは、役になり切った演技より先に、新沼さん自身の明るい声、飾らない言葉、どこか申し訳なさそうな人柄まで歌に入っていたからです。

特別な訓練なしで17社が手を挙げた「完成前」の声

歌手になる前は左官職人でした。
町内のカラオケ大会で優勝し、勤め先の親方に勧められて「スター誕生!」へ挑みます。

最初から順調だったわけではありません。
予選に落ちても再挑戦し、5回目で決戦大会へ進みました。
そこで男性出場者として最多とされる17社から指名を受けます。

本人は後年、特別なレッスンは受けず、カラオケの練習をした程度だったと振り返っています。
発声理論を身につけた完成品ではなく、磨く前から人が耳を向ける何かを持った声だったのです。

当時つけられた言葉は「気持ちよく悲しい男」でした。
暗く沈み切った声でも、明るさだけで押す声でもありません。
悲しい歌なのに、聞いた後に息苦しさを残さないという、新沼さんの声の立ち位置をよく表しています。

「嫁に来ないか」は演歌らしい重さより、明るい艶で進む

「嫁に来ないか」の主人公は、決して余裕のある男性ではありません。
持っているものは少なく、それでも相手へ人生を差し出そうとします。

この歌を重く湿らせると、求婚より愚痴に近づきます。
複数の歌唱・音源解説で共通して挙げられているのは、新沼さんの声の輪郭が明瞭で、明るい艶があり、言葉が前へ進むことです。

とくに題名の言葉へ入る前で流れを切らず、続けて歌うことが、ためらいながらも言い切る勢いを作るという見方があります。
一方で、語尾には幅の大きなビブラートがあり、一直線の若者では終わりません。

勢いと揺れが同居するから、自信満々の求婚ではなくなります。
歌いたくなかった本人の居心地の悪さまで、結果として主人公の不器用さに似合ったのでしょう。

嫁に来ないかを歌う新沼謙治

「ヘッドライト」では力強さが、逃げる二人へ寄り添う近さになる

翌1977年の「ヘッドライト」は、同じ明るい声を別の方向へ使った代表曲です。
若い男女の逃避行を描くため、「嫁に来ないか」のような未来への勢いだけでは成立しません。

音源を検証したレビューでは、新沼さんの歌に肉声の力強さと、聞き手へ寄り添う近さがあると評されています。
声を弱く細くして悲しさを作るのではなく、輪郭のある声を近く感じさせる歌い方です。

ここで分かるのは、声量と距離感が同じではないことです。
太い声でも、言葉を誰か一人へ渡すように置けば、聞き手を圧倒する声ではなく、隣を走る声になります。

新沼さんの歌を参考にするなら、まず大声を真似する必要はありません。
同じ声でも、目の前の大勢へ掲げるのか、一人へ渡すのかで歌の表情が変わる点を見る方が本質に近づけます。

「津軽恋女」は張る高音と、雪の中へ残る余白を両立した

1987年の「津軽恋女」では、声の艶と張りが、冷たい風景の中へ置かれます。
現在もカラオケで最も歌われる新沼作品の一つで、音程を取るだけでなく、長いフレーズをどう支えるかが難しい曲です。

第三者の解説では、ふるさと歌謡の素朴さと演歌の力強さを合わせた新境地と捉えられています。
個人の歌唱記録でも、張りのある声が雪景色に合う、強いのに唸り続けない点が心地よいという感想が見られます。

高音が印象的だからといって、すべてを強く歌っているわけではありません。
言葉を運ぶ部分に余白があるから、声が高まった場所だけが遠くへ抜けます。

演歌のこぶしも、常に回し続ける飾りではありません。
音がまっすぐ進んだ後に短く曲がるため、雪の広さと人の未練を同じ曲の中で感じられます。

CD通りに守るより、その日の声で歌を生かす

近年のステージを記録した個人ブログには、声の状態に合わせてブレスの位置を変えたという本人の話が残っています。
ファンから「歌を崩さないでほしい」と言われることがあっても、ライブでは音楽の面白さを探し、表現を変えているとも語ったそうです。

これは、長く歌う人の発声を考えるうえで重要です。
レコードと一字一句同じ場所で息を吸うことより、その日の声で最後まで言葉を届ける方を選んでいます。

小学生の頃からロックが好きで、ドラムも演奏していたという背景も、演歌の枠だけでは説明しにくい拍の強さにつながります。
歌謡曲、演歌、フォーク、ロックを50周年公演で並べられるのは、こぶし一つに頼らず、曲のリズムへ自分の声を置き直せるからです。

酒とふたりづれを歌う新沼謙治

「ふるさとは今もかわらず」では、自分の声を合唱へ明け渡した

東日本大震災後に自ら作詞・作曲した「ふるさとは今もかわらず」は、独唱の迫力を競う曲ではありません。
中学生や児童合唱団と歌われ、学校や地域で受け継がれる歌になりました。

合唱では、一人だけが細かく節を回したり、自由に間を延ばしたりすると全員がそろいません。
新沼さんの声に元からあった、明るさ、音程の確かさ、飾らずに言葉を進める性質が、ここで別の強みになりました。

「嫁に来ないか」では、一人の不器用な男性を支えた声です。
この曲では、子どもたちの声を受け止める中央の一本になります。

歌がうまいとは、自分の声を目立たせ続けることではありません。
一緒に歌う人が入れる余白を作りながら、曲の芯だけは失わないことも技術です。

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新沼謙治の声は、うまく演じ切れない正直さまで歌にする

新沼謙治さんの歌い方には、明るく艶のある声、輪郭のはっきりした言葉、張りのある高音、幅のあるビブラートがあります。
ただし、一番まねしにくい魅力は技法の名前ではありません。

結婚する気がないのに求婚の歌を渡され、心の中で謝りながら歌った。
その正直さを消して主人公を完璧に演じなかったからこそ、歌の男性は不器用で、憎めず、本当にそこにいる人のように聞こえました。

「ヘッドライト」では近くへ寄り、「津軽恋女」では遠くへ張り、「ふるさとは今もかわらず」では合唱の中へ声を開く。
曲ごとに見せ方は変わっても、立派に見せるための嘘をつかない点は共通しています。

与えられた歌を歌う青年から、自分の言葉で故郷や家族を書く歌手へ進んだ過程は、新沼謙治さんの歌声の変遷で時代順にたどります。

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