石野理子は、アイドルネッサンスで人の曲を歌い、赤い公園で新しい曲を歌い、ソロとAoooでは自分の言葉を歌うようになった。ただ、所属先が変わったことだけで「歌声が変化した」とは言えない。本人の言葉に、その内側の変化がある。赤い公園の「消えない」では完成した録音に自分の知らない声を聴き、Aoooでは他のメンバーの歌詞を自分で解釈してディレクションし、さらに「Yankeee」で新しい歌い方の引き出しを見つけた。誰かの正解をたどる歌から、曲に合わせて自分の正解を選ぶ歌へ。その過程を作品と証言から追う。
アイドルネッサンス時代――好きな曲を届ける、お手本のある歌
石野が10代で参加したアイドルネッサンスは、日本のポップスをカバーすることを活動の柱にしていた。石野は後年、当時はその曲の良さをもっと広めたいという気持ちで歌っていたと振り返る。複数人で、すでに世の中にある歌を受け継ぐ活動である。それは歌い手にとって豊かな学びだった一方、曲ごとに元の歌い手という手本もあった。
2018年に赤い公園へ加わり、「消えない」などの新曲を歌い始めると、その前提がなくなる。石野は、カバーには真似できる手本がいたが、赤い公園では自分から「自分の声」を作っていかなければならず難しかったと語った。ここでいう「自分の声」は、生まれつきの声質を探すという話ではない。どの歌い方や声の出し方が自分にしっくりくるかを、新しい曲のなかで決める仕事だった。
「消えない」――完成した曲に、自分の知らない声を聴く
赤い公園のメンバーは、新しいボーカルを探す中で石野が歌ったバンドの曲を聴き、津野米咲はもっと曲を書けそうだと思ったという。「消えない」は、その石野に向けて津野が初めて当て書きした曲だ。MVは2018年に公開され、翌2019年の『消えない – EP』にも収められた。新しい声を既存の曲に当てはめるだけでなく、その声がいることを出発点に曲が生まれた。
石野自身にとっても「消えない」は挑戦だった。それまで歌ったことのない種類の曲で、歌唱力を試されると感じたという。できあがりを聴くと、自分でも聴いたことのない声のようで新鮮だった、と話している。録音時には津野から細かな指示がほとんどなく、石野は勢いを持って歌った。津野やほかのメンバーが驚いたのは、準備された模範解答をなぞる上手さではなく、マイクの確認段階から表現の方向が見えていたことだった。

もっとも、一曲うまく歌えれば、もう迷いは消えるわけではない。石野は歌詞の世界を自分で読みながら、書いた津野の解釈ともずれすぎないように相談した。お手本のない曲を自分のものにするには、独りよがりにならず、作り手たちと意味をすり合わせる必要があった。「消えない」の録音は、その難しさと、自分でもまだ知らない表現に出会える面白さの両方を示している。
「Highway Cabriolet」は、津野が以前から持っていた曲を、石野が歌うことを考えてバンドが編曲し直した。歌川は、石野が歌うことで曲がより大人びた印象になったと話す。石野にとってもそれまで歌ったことのないタイプだが、ふだん聴く音楽には近く、挑戦しながらも心地よかったという。石野に曲を寄せるバンドと、自分の聴いてきた音楽を曲へ持ち込む歌手が出会った。赤い公園での変化は、歌手だけの一方通行ではなかった。
ツアーを経た「HEISEI」――同じ曲でも、歌は仕上がっていく
『消えない – EP』には「HEISEI」も入っている。津野によれば、この曲は本録音の前、石野が広島から東京へ来た日にデモを録った。そこで石野の声の純粋さと曲との組み合わせに手応えを得たという。その後、新体制でのツアーの一曲目として歌われ、ツアーを終えてもう一度録音すると、歌がかなり仕上がっていたと津野は振り返った。
これは別人のような声に変わったという証言ではない。曲を舞台で繰り返し歌い、バンドと呼吸を合わせた後に、同じ歌が録音に耐える形へ育ったという関係者の記録である。最初の「消えない」で石野の勢いにバンドが驚き、「HEISEI」ではその歌がライブを通して練られる。赤い公園の声になることは、一度の加入や一度のレコーディングで完結しなかった。
2019年には「凛々爛々」も発表した。津野は、このストレートなロック曲の録音を楽しんだと語っている。「消えない」と同じ声でも、曲の要求は同じではない。石野がカバー時代から持っていた多様な歌の経験を、津野はバンドが知らない種類のノリとして評価した。バンドの側も石野の声を受けて編曲や演奏を変えていったのであり、歌手だけが一方的にバンドへ合わせたのではない。
その違いは、2019年の取材でメンバーが語ったライブの感触にも表れている。歌川は、石野が最初のフェスで堂々とバンド名を告げたことで自分たちも引っ張られ、石野が大きく歌うとドラムのリズムまで広がるように感じたという。津野もグルーヴが大きくなったと受け止めた。声の科学的な測定ではなく、同じステージに立ったメンバーによる変化の証言だ。録音のテイクだけを並べては見えない、歌と演奏の相互作用がここにある。
2023年のソロ――「歌いたい」を、自分の言葉にする
赤い公園は2021年に解散した。石野はその後も歌いたい気持ちはあったが、気持ちの表し方が分からなくなった時期があったと語る。2022年末にはドラマ曲の客演を録音し、歌う喜びを改めて感じた。そして2023年、自身の名義で「Bricolage」を発表する。
「Bricolage」は、赤い公園の解散後に過ごした時間と、次へ向かう希望を石野自身が歌詞にした曲だ。本人によれば、これを出さないと次の曲は出せないと思うほど、自分の再出発に必要だった。歌詞を何度も書き直し、最後には当初より明るい形にしたという。ここで確かめられる変化は、音域が広がったとか声質が別物になったということではない。人が書いた歌の解釈を相談していた歌手が、自分の経験をどんな言葉にし、どんな希望を残すかまで引き受けたことだ。
石野は、解散後もしばらく「歌いたい」気持ちは変わらなかった一方、その思いをどう表現するかが分からなかったと説明する。「Bricolage」の歌詞は、単に空白の時期を報告する日記ではなく、書き直すうちに次の曲へ進むための入口になった。最初のアイドル活動では好きな曲を聴き手へ届け、赤い公園では津野の書いた歌詞をどう歌うか考えた。ソロでは自分の経験を歌にして人前へ置くという、別の種類の責任が増えた。

独白的な歌だからこそ、聴き手が受け取ってくれるかは分からなかった。石野は曲が届いた後に、自分の経験が歌として広がっていくこと、ソロ名義で出すことの重さを感じたと話す。赤い公園での「自分の声を作る」難しさは、今度は自分の言葉を公にする難しさへつながった。
Aooo――他者の曲を、自分でディレクションする
同じ2023年、石野はすりぃ、やまもとひかる、ツミキとAoooを始めた。2024年のアルバム『Aooo』は、メンバー全員が違う作り方や音楽的背景を持つ作品だ。石野は、自分が書いた歌詞なら歌う像が最初からある一方、他のメンバーが書いた歌詞も自分の感覚に任せてもらうことが多く、意図を汲み取りながら自分でディレクションしていると説明した。
これはカバーの「お手本」とは違う。曲を書いた人の意図は受け取りながら、完成済みの歌唱例へ近づけるのではなく、歌い手が声の行き先を選ぶ。Aoooのファーストアルバムは、ボーカルも含めて全曲をメンバー同時の演奏で録ったとメンバーは話している。「サラダボウル」のような楽曲を通じて、石野の歌は四人の演奏の中で形になった。
すりぃは自身の曲を、石野が歌うことを前提に想像して書くと説明している。やまもとひかるも「石野に歌ってほしい曲」という考えから制作し、好きな声が伸びる母音や音程を意識すると語った。赤い公園の「消えない」と同じく、歌手が曲へ入っていく前に、作り手がその声を思い浮かべている。だがAoooでは複数の書き手がそれぞれ違う入口から石野へ曲を渡す。そのため本人が言う「自分でディレクションする」は、曲ごとの異なる意図をつかみ直す作業でもある。

ベースのやまもとひかるは、石野の歌は優しく歌っても激しく歌っても強く、曲の違いに合わせて自分たちが自由に弾けると語る。第三者の評価ではあるが、赤い公園時代に津野が感じた「もっと曲を書ける」という期待が、Aoooでは異なる曲を束ねる役割として現れているのが興味深い。
「Yankeee」――まだ開けていなかった引き出し
Aoooでいろいろな歌を任されても、石野はもう完成した歌手だとは言わない。2026年の取材で、ファーストアルバムの時点でも楽曲の方向性に歌い方を引っ張られていたと振り返り、すりぃが書いた2025年の「Yankeee」は新しい引き出しを開けてくれたと語った。すりぃが歌うパートがあり、ライブでは客席との一体感に気持ちが上がる場面が多いという。この曲は2026年のセカンドアルバム『Rooom』にも収録された。
「お手本がある」から出発した石野は、赤い公園で自分の声を探し、ソロで自分の経験を言葉にし、Aoooで他の人の曲も自分で方向づけるようになった。それでも「Yankeee」では、自分の中にまだ知らない歌い方があると気づく。変遷の結論は、ある一つの完成された声にたどり着いたことではない。曲や相手に動かされながら、自分で選べる声の数を増やし続けていることだ。個々の曲でどのように歌の人物や視点を作るかは、石野理子の歌い方で詳しく見る。

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