Hump Backの林萌々子は、今の自分には「拝啓、少年よ」のような曲はもう書けないと話した。
それでも、出産を経て戻った2025年のステージで、この曲を歌っている。
書いた頃とは違う日々を生きる歌手が、昔の歌を今も歌うのはなぜだろう。
一人で歌い始めた林が、バンドに声を預け、自分自身の歌を問い直し、目の前の人へ歌い続ける道筋を追う。
「拝啓、少年よ」公式MV(2018年)。
路上で歌う楽しさから、バンドへ戻る理由まで
林が初めて天王寺の路上で歌ったのは、ギターで三曲ほど弾けるようになった頃だった。
中学3年生でギターを始め、部屋の中だけでなく、人前でも歌ってみたくなったという。
足を止める人がいても、いなくても、その場所で歌っていること自体が楽しかった。
チャットモンチーへの憧れもあり、高校では軽音楽部でHump Backを結成した。
けれど、メンバーの脱退が重なった2013年末には、一度活動を止めている。
学校とアルバイトを繰り返す生活は、バンドのことを考えなくてよい分、楽だった。
それが次第に楽しくないと感じるようになり、友人に背中を押されてライブへ戻ったとき、やりたかったのはこれだと実感したという。
2017年にはソロの弾き語り作品を出し、「思春期」を発表している。
一人で歌とギターを届ける方法は、バンドを続ける中でも持ち続けていた。
同年のHump Backのミニアルバム『hanamuke』には「星丘公園」が収まり、三人で曲を鳴らす活動も進んでいく。
一人で歌えることと、バンドで歌いたいことが、林の中に並んでいた。
2018年、十代の言葉を、一人の友達へ歌い直す
2018年の「拝啓、少年よ」は、十代にノートへ書き留めていた言葉から生まれた曲だった。
2018年の対談で林は、読み返した言葉にメロディを付けようとしたとき、高校時代の友達の顔が浮かんだと説明している。
高校時代にバンドを通して親しくなり、のちに連絡が途絶えていた相手だった。
以前はその人を思って書いたわけではない言葉が、時間を経て、その人へ届けたい歌になったのだ。
林は、その友達にもう一度夢を追ってほしいと迫るつもりはなかったという。
自分は今もバンドを続けていて、あなたのことを歌にした。
その思いを、相手に知ってほしかった。
応援歌として広く受け取られる曲の出発点には、誰かの生き方を決めつけずに呼びかける気持ちがあった。
同じ対談でハルカミライの橋本学は、録音では林の優しさや切なさを感じ、ライブでは負けまいとする強さが加わると語っている。
林自身も、声がよく伸びることや上手に歌えること以上に、表現として伝わるものを重視していた。
同じ言葉でも、録音と舞台で、相手へ向かう力の表れ方は変わる。
曲を作ったあとにも、歌はその場で動いていくものだった。
2019年、全部を渡そうとせず、受け取ってもらう
2019年のアルバム『人間なのさ』では、林は自分のメロディを前へ出すため、必要以上に飾らない音を選んだ。
ぴかのベース、美咲のドラム、二人のコーラスも、その歌を生かすためにある。
三人で過ごし、ステージを重ねたことで、何を大事にするバンドなのかを自然に共有できるようになったという。
「LILLY」も収めたこのアルバムには、その時点のバンドの芯を届ける意図があった。
客席への接し方も変わっていた。
以前は自分の思いを何もかも受け取ってほしいと渡そうとしていたが、今は歌を置き、受け取りたい人に委ねられるようになったと話している。
その信頼はメンバーやスタッフにも向き、何でも自分だけで引き受ける必要がなくなっていった。
背景には、子どもと関わる仕事を通して知った、人それぞれのしんどさがある。
自分のつらさと相手のつらさは、同じ物差しでは測れない。
そう実感する中で、人を受け入れられることが増えたと林は説明した。
歌を強く届けるだけでなく、どんなふうに受け取るかを相手に残すことも、歌い手の選択になった。

写真出典:FenderNewsの2019年写真
2020〜2022年頃、自分にしか歌えない歌を探す
それでも、歌に対する問いがなくなったわけではない。
2022年の取材で林は、ここ1、2年は歌と向き合う時間だったと明かしている。
以前、千葉LOOKの店長・サイトウヒロシから、自分の歌は誰にでも歌えると言われたことが、ずっと心に残っていた。
うまく歌えなかった日には、その言葉を思い出したという。
考えが動いたのは、弾き語りの歌手、タテタカコの歌を聴いたときだった。
林には、歌と表現が別々にあるのではなく、歌そのものがその人であるように感じられた。
そこから「表現の手段として歌を選ぶことをやめよう」と考え、それを課題にして歌っていたと話す。
歌をうまく扱うだけでは届かない、自分自身と切り離せない歌を探す時間だった。
少し乗り越えた感覚を持って再び千葉LOOKに出演すると、自分から何も説明していないのに、店長から歌が変わったことを指摘された。
林にとって、自分の中の変化が外にも伝わった出来事だった。
その時期に、別のバンドから歌ってほしいという声がかかる。
2022年、「Two of Us」で慣れないリズムを引き受ける
go!go!vanillasの牧達弥が林を誘ったのは、「Two of Us」で、自分の歌に返事をする声が欲しくなったからだった。
牧が思い浮かべたのは、Hump Backでの力強さより、FM802の企画曲「AOZORA」で聴いた柔らかな声だったという。
バンド以外で見せた歌の表情が、新しい共演へつながった。
他人の書いた言葉を歌うことには、照れもあった。
「Two of Us」の直接的な恋愛表現は、自分なら同じ気持ちでも違う言葉で書くものだったからだ。
ただ、林が難しいと感じたのは、言葉だけではなかった。
自分の中にないリズムの取り方やグルーヴがあり、録音に向けてかなり練習したという。
牧によれば、自分の曲は拍の裏にアクセントを置くことが多く、その独特さに最初は林も苦戦した。
さらに終盤の転調によって、林には高い音域まで求める曲になっていた。
それでも録音では歌い切り、牧には、曲が一気に形になったと感じる瞬間があったという。
慣れ親しんだバンドの前に立つ声から、相手の言葉とリズムを受けて返す声へ、使える表情を広げた仕事だった。
2025年、暮らしが変わっても、三人で歌を作り続ける
産休・育休を経て発表した2025年のアルバム『Hump Back』では、休んでいる間に作った曲が多くを占めた。
三人とも初めての子育てをしながら、どこまで制作できるかを試し、以前以上に連絡を取り合っていたという。
ステージに立てない時間にも、バンドの歌は作られていた。
曲を持ち寄る方法も変わる。
以前は林がスタジオで弾き語りし、二人が録音して覚え、擬音を交えて音のイメージを伝えていた。
休みの間にパソコンを使った制作を取り入れ、それぞれの楽器を分けて聴きながら、離れた場所でも曲を練れるようになった。
歌を三人の音へ育てる方法を、暮らしに合わせて作り直したのである。
「オーマイラブ」は、アルバム制作の最後にできた曲だった。
ぴかが待っていたのは、林らしいメロディを持つ、Hump Backの真ん中に置ける曲だったという。
新しい生活で得たものを歌いながら、三人が大事にしてきたメロディへ戻る。
この曲ができたことで、作品全体もまとまったと振り返っている。
同作の「ヤドカリ」では、ぴかの書いた曲で、夫のGIMA☆KENTAと掛け合う歌も引き受けた。
仮歌を聴いたぴかが構成を変え、録音直前には二人が歌い交わす部分が増えたという。
林は夫婦のやり取りを思わせる歌詞を照れながら避けるより、堂々と歌うことを選んだ。
自作の言葉を届ける役目に加え、仲間が作った物語の中で歌う役目も、バンドの作品へ入っている。
昔と同じ気持ちでは書けなくても、今の相手へ歌える
2025年の取材で林が、もう「拝啓、少年よ」のような曲は書けないと話したのは、十代の焦りを今も抱えているように書けば、嘘になると感じたからだった。
一方で、目の前に息子がいるような気持ちで曲を作り歌うことで、若い聴き手にも自分への歌だと感じてほしいと話している。
以前の自分の気持ちを繰り返す代わりに、今の自分が誰に向かって歌えるかを考えていた。

写真出典:音楽と人の2025年ライブ写真
2025年5月29日の東京公演では、「拝啓、少年よ」と新しい「オーマイラブ」「明るい葬式」が同じステージに並んだ。
林は、大人になるのが怖かった一方、大人になったからこそ出会えた景色や、大切な存在のために格好よくありたい気持ちもあると語っている。
音楽と人の公演評も、昔の痛みをそのまま再現するより、その痛みを抱きしめるような歌として、この日の演奏を捉えた。
「明るい葬式」公式MV(2025年6月公開)。
十代のノートの言葉が、2018年には友達への歌になり、2025年には次の世代へ歌いかける曲として残る。
林の声が向かう相手は、一曲ができた時点で決まったままではない。
一人で歌う時間も、三人に預ける歌も、別の作者の言葉を引き受ける仕事も、その相手を広げてきた。
曲の中で声をどう渡すかは、林萌々子の歌い方でさらに考えた。

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