菊池陽報の歌い方|失恋の言葉を客席の声に変える理由

菊池陽報 シンガー

This is LASTの菊池陽報は、失恋の痛みを詳しく書く歌手として知られる。
一方、ライブでは客席が一緒に歌い、手拍子で応える。
ひとりの経験から生まれた言葉が、なぜ別の人の声にもなるのか。
菊池本人が明かした歌の作り方と、曲ごとの言葉の役割から考える。

「#情とは」は、答えを出せない人の言葉で歌う

「#情とは」は、昔の恋人から結婚を告げられた人物の気持ちを描く。
菊池は実体験を土台にした歌詞を多く書いてきたが、そこで「僕は悲しかった」と一文で言い切るだけではない。
なぜ相手をまだ好きなのか、なぜ怒りきれないのか。
理屈にできない気持ちを、具体的な状況の中で話す。

歌詞の主人公を勝ち負けの結論へ運ばず、言い終わらない気持ちを声に乗せる。
番組の挿入歌としてこの曲を聴いた人も、菊池個人の経験を知らなくても、その場に自分の未練や戸惑いを置ける。
2023年の発表時、菊池は歌の録音を残したまま伴奏を録り直したと話した。
歌を目立たせるために周囲の音を変える選択は、声そのものを強くするだけが伝え方ではないことを示す。

菊池は、自分の言葉をしっかり届けるために、ギターの歪みや伴奏との関係まで考え直したと語っている。
激しさを弱めれば伝わるのではない。
歌と楽器が互いを押しつぶさない場所を作るから、長い物語の言葉が残る。

「#情とは」の録音について、ドラマーの鹿又輝直は、バンドが先導するより菊池の歌に引っ張ってもらう曲だと説明している。
同じテンポを保っていても、誰を中心に全員が呼吸を合わせるかで、言葉の扱いは変わる。
歌を引き立てるというのは、伴奏を小さくすることだけではない。
声が語る寂しさの流れをバンドが受け止めることでもあり、菊池はその中心で物語を進めている。

菊池陽報
2024年のステージで歌う菊池陽報。
写真出典:ギター・マガジンの2024年ライブ写真

「オムライス」では、客席の声が曲の一部になる

失恋の曲だけを知る人には、「オムライス」のライブでの役割は意外かもしれない。
2023年の取材で菊池と鹿又は、この曲のようにみんなで声を出せる部分があると、会場との距離が近くなると話した。
菊池が一人で感情を語り尽くす曲とは、声の渡し方が違う。

2025年のライブレポートには、客席との掛け合いが繰り返され、アンコールでも同じ曲がもう一度演奏されたことが記されている。
歌詞を知らないと入れない長い物語より、短い言葉を返せる余地がある。
菊池の声が合図を出し、客席が曲を完成させる。
だから「歌がうまい」と「歌を一緒に作れる」は別の尺度になる。

「カスミソウ」は、励ます言葉をバンド全体で支える

菊池は「カスミソウ」を、聴く人の背中を押せる曲にしたかったという。
初めはシンプルなバンドサウンドを思い描いたが、メンバーからホーンを足す提案が出た。
歌だけに力を込めて励まそうとするのでなく、編曲も言葉と同じ方向を向く形になった。

菊池は別の取材で、サビへ向かう期待を作るために、Bメロではギターの音をむやみに増やさず、限られた弦の響きを使うと説明した。
歌が前へ出る余地を作り、必要なところで伴奏が開く。
声量だけを頼りに励ましを表すよりも、曲全体で聴き手を進ませる設計だ。

客席に届いた結果も確認できる。
2025年のライブでは「カスミソウ」で合唱が起きたと音楽ナタリーが報じた。
菊池の一人称の歌が、その場にいた人たちの言葉になった場面である。

「Strawberry」は、分かりやすさを手放して歌う

菊池は普段、ひと目で内容が伝わる歌詞を意識してきたという。
ところが「Strawberry」では、歌詞の本心を簡単に掴ませない形を選んだ。
これは言葉を曖昧にして手を抜いたのではない。
自分の中の異なる気持ちを一つへ整理しないまま、曲として残す判断だった。

聴き手に結論を先回りして渡さない歌も、菊池の表現には必要だった。
「#情とは」が具体的な物語から入れる曲なら、「Strawberry」は誰のどの気持ちなのかを聴く人が考え続けられる曲だ。
同じ恋愛詞でも、言葉の明瞭さの使い方を変えている。

菊池陽報
2025年のステージで歌う菊池陽報。
写真出典:音楽ナタリーの2025年ライブ写真

ライブでは、ギターを置くことも声の選択になる

菊池はギターを弾きながら歌う。
しかし2025年のライブでは、ギターを置いてハンドマイクで客席へ歩み出る場面もあった。
演奏の役割を一時的に手放すと、身体と声で直接客席へ呼びかけられる。
曲の途中で問いを投げ、客席が声を返したとライブ評は記している。

ギターを持つときにも、歌を届ける条件は固定されない。
菊池は公演ごとに、イヤーモニターの音量、力の抜き方、声の重心、姿勢、マイクの高さを試したという。
大声で押し切る前に、自分が声を聞く環境と身体の位置を整える。
ひとりで歌詞を語る場面と、客席に声を返してもらう場面とでは、その調整の意味も変わる。

イヤーモニターは、歌う本人が自分やバンドの音を確認するためのものだ。
客席に聞こえる音量と、本人の耳へ返ってくる音量は同じではない。
菊池が両方を見直していたことからは、声の大きさを上げる前に、自分が無理なく歌を判断できる条件を探していたことがわかる。
姿勢やマイクの高さも含め、公演で試した結果を次へ持ち越す積み重ねが、自在に歌える場を支えている。

歌う自分もライブを楽しむ

そのうえで大切にしたのが、意識を客席へ向けることだった。
2023年の和田唱との対談では、ライブについて考え込みすぎた時期に、声も音も外へ出ていかない感覚があったと振り返っている。
信頼するスタッフとライブを作り、自分も楽しみながら会場を捉えることで、伝わり方が変わったという。

これは、悩んだ歌詞を明るい表情で塗り替えるという話ではない。
歌う自分の出来だけを点検し続けず、目の前の人と同じ時間を過ごすための意識の向け方だ。
失恋を歌う人物の気持ちと、ライブの場を開く歌い手の姿勢は両立する。
「オムライス」で客席へ声を促せることも、その場を一緒に楽しむ姿勢とつながっている。

2025年の「シェイプシフター」をめぐる取材で菊池は、歌の水準を保ちながら、声色や表情を増やしていく必要を語った。
本人が課題にしたのは、バンドの力強さに埋もれない基準を保ったまま、違う表情でも歌えることだ。
強い曲ではただ強く、切ない曲ではただ弱くという二択では、言葉ごとの気持ちは運べない。
伴奏の勢いを受け止めながら、語りかける相手に応じて声を変える余地が必要になる。

形を変えるのは単に音色だけではない。
ギターを持つ、置く、言葉を語る、客席へ渡すという選択の幅も、ステージの声を変える。

菊池の歌い方は一種類の失恋声で説明できない。
「#情とは」では答えの出ない人物の言葉を置き、「オムライス」では客席へ短い言葉を渡し、「カスミソウ」では励ます歌をバンドと作り、「Strawberry」では本心を簡単には見せない。
同じ歌手の声が、誰に何を返してほしいかによって役割を変える。
そうした選択が増えるまでの歩みは、菊池陽報の歌唱変遷で追った。

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