This is LASTの菊池陽報は、歌こそ自分たちの武器だと思い、磨き続けてきた。
ところが2024年、ほかの歌い手と同じ場に立つ中で、歌では勝てないと感じるようになる。
失恋を言葉にしてバンドの進路を変えた声を、本人はどう信じ直したのか。
初期の「殺文句」から、歌で会場の空気を作ろうとする試行錯誤までをたどる。
「殺文句」公式MV(2018年公開)。
「殺文句」で、自分の弱さを歌ってもいいと気づく
This is LAST以前、菊池が演奏していたのは激しいメタルコアだった。
2019年の取材では、その路線を4〜5年ほど続け、月に何本もライブをしていたのに、なかなか反応が返ってこなかったと話している。
格好いい音を鳴らしていれば、いつか届くはずだという自信はあった。
その前提を動かしたのが、別れの痛みから書いた「殺文句」だった。
それまでの菊池は、英語のように聞こえる言葉を、その場で叫んでいたという。
日本語のバラードを試したことはあったものの、歌詞をきちんと書いたのは「殺文句」がほぼ初めてだった。
ここで、自分の弱さも言葉にしてよいのだと気づいた。
メンバーも曲を受け止め、この方向へ進もうと決めたことが、This is LASTの出発点になった。
歌い方の変化についても、本人は説明している。
以前は流行に影響されてハイトーンを使っていたが、This is LASTへ移る中でボーカルも大きく変わったという。
さらに大きかったのは、格好よさだけで選んでいた音に、どう届けたいかという理由ができたことだった。
言葉を聞いてもらうために、メロディもコードも、歌を支える音も考え直すようになったのである。
同じ頃にできていた「愛憎」も、実感を曲へ持ち込んだ初期の一曲だ。
自分の思ったことを書く方法なら、曲を作り続けられると菊池は気づいていた。
歌への反応が返ってくるようになり、応援してくれる人の近くにいたいという思いも生まれる。
歌手が自分を見せるための声に、具体的な相手へ届ける役目が加わった。
2022年、「カスミソウ」で、励ます歌をバンドと作る
ただ、言葉を前に出すようになっても、激しい音への好みは残っていた。
本人によれば、初めはギターの歪みの感覚自体が周囲と違い、自分では控えめだと思う音も、かなり歪んでいたという。
歌を邪魔せず、ハードコアの精神も残せる音を、バンドで探していった。
2020年の最初のフルアルバムを作った後には、3人だけで演奏する形にも窮屈さを感じ始める。
頭に浮かぶ音を形にするには、使える音の選択肢を増やしたかった。
その変化が具体的に表れたのが、2022年の「カスミソウ」だ。
菊池は、聴く人の背中を押す曲にしたいと考え、弾き語りのデモを渡した。
当時ベースを担当していた菊池竜静から返ってきたのは、ホーンを足そうという提案だった。
菊池自身はシンプルなバンドの音を想像していたが、強さや明るさを伝えるための音として、その提案を受け取った。
励ます言葉を自分一人の声に背負わせず、編曲を通してバンド全体で支える方法ができたのである。
ドラマーの鹿又輝直も、この曲を作った頃から、ライブに華やかさが加わったと振り返る。
2023年の取材では、菊池自身も、以前は泣いている人が目に入った客席に、笑顔が増えたと話していた。
自分の痛みへの共感だけでなく、元気や勇気を渡すことにも手応えを感じ始めていた。

写真出典:音楽ナタリーの2023年写真
2023年、残しておく歌と、公演ごとに変える歌
2023年の「#情とは」は、新しい編曲の中に、以前の歌を残した曲だった。
曲も歌の録音も約2年前にできていて、発売に向けてギター、ベース、ストリングスを録り直したという。
歌とドラムは当時のままにし、ストリングスは打ち込みから生の演奏へ変えた。
歌を立たせたいという方針を保ちながら、2年間で得た経験を周りの音へ反映する。
鹿又もこの曲について、バンドが引っ張るより、菊池の歌に導いてもらうつもりだったと説明している。
古い録音を残すことも、声を大切にするための選択だった。
一方、舞台で歌う感覚は日々変わっていた。
2022年末の大阪のイベントで、考えながら演奏することと、自分から出る感覚を生かすことが、一瞬うまく重なったという。
それまでは、最初の音から最後の音まで計算しようとしていた。
そこから、自分の歌を通して会場の空気を変える感覚を探し始めた。
2023年の全国23カ所を回るツアーでは、歌の音量感、自分の耳へ返る音量、力の抜き方、声の重心、姿勢、マイクの高さまで試した。
一度変え、実際のライブで確かめ、次の公演へ持っていく。
細かい調整を重ねる中で、失敗だけを抱え込まず、うまくいった部分を頼りに自分を励ますことも覚えていった。
「オムライス」のように一緒に声を出せる曲では、客席との距離が近くなるとも話している。
ひとりの恋を描く歌を持つバンドが、舞台では会場全体の声を引き出す。
曲の物語を伝えることと、そこにいる人たちと時間を作ることを、同じ歌手が担うようになった。
「オムライス」公式ライブ映像(2023年9月23日・昭和女子大学人見記念講堂)。
2024年、『HOME』で初期曲を今の音へ録り直す
2024年のアルバム『HOME』には、「殺文句」「結び」「バランス」など、初期曲のリテイクが収められた。
菊池は、最初のアルバムを出してから音の作り方に悩み続け、2022年になってようやく方向が見えてきたと説明している。
その積み重ねの先で、自信を持って届けられる音ができた。
だからこそ、以前の曲も、その音で録り直したかったのだ。
「結び」も、初期版から歌い直された一曲だった。
過去の曲を選び直し、新しい作品の中で現在の歌と並べている。
「結び」初期版の公式MV(2020年公開)。
新しい曲を知って入ってくる人には、バンドの歩みをまとめて渡せる。
長く聴いてきた人には、初期曲と現在のバンドがつながる。
『HOME』を帰ってくる場所であり、名刺になる作品と考えたことは、昔の歌を今も引き受ける意思と重なっている。
「結び」公式MV(2024年『HOME』収録・リテイク版)。

写真出典:ギター・マガジンの2024年ライブ写真
同じ2024年、歌への自信が揺らぎ、もう一度歌を選ぶ
その一方で、2024年の菊池は、ほかの歌い手と共演する機会が増えるほど、自分の歌に足りないものを感じていた。
相手に追いつこうともがいた末に、歌では勝てないと思ってしまったという。
そこで一度は、歌をある程度保てれば、あとはパフォーマンスで人を巻き込もうと考えた。
自信を持てる別の武器を育てようとしていたのだ。
夏の終わり頃、その考えを動かしたのは周囲との話し合いだった。
マネジメントからは、今のライブの水準に留まるバンドではないと伝えられ、メンバーからは歌を信じていると言われた。
菊池は、もう一度、歌と曲で勝負しようと思い直して秋のツアーへ入った。
すぐ不安が消えたわけではなく、支えてもらいながら歌い続けているというのが、当時の実感だった。
同年の取材では、Mr.Childrenの公演で初めて聴いた桜井和寿の生の声にも触れている。
音程や声量を分解して考えるより先に、声に入った気持ちに心を動かされたという。
理由を説明できるものを重んじてきた菊池が、理屈だけでは掴めない歌のよさを認めた。
その瞬間を自分も掴めるように、技術を磨き続けようとしていた。
「Strawberry」で、物語の大部分を歌で引き受ける
2024年の「Strawberry」は、そうした時期の自分に近い曲だと菊池が語った作品だ。
別の曲の制作に行き詰まり、一度条件から離れて書いてみたところ、歌詞が自然に出てきたという。
いつものように読めばすぐ状況が分かる詞ではなく、異なる気持ちが入り交じり、本心を簡単には掴ませないものになった。
自分でも意外な曲ができ、悩みながらも成長していると感じられた。
同時に、歌手としての負担も大きい曲だった。
本人によれば、バンドがそろって鳴る終盤まで、物語の大部分を自分が表現し、最後まで納得できる曲にしなければならない。
曲の大半を引き受けることに、ライブでの怖さも感じていた。
客席を勢いで巻き込む方法を知った歌手が、自分の声で聴かせる責任と向き合っている。
2025年、強くなったバンドの中で、声の表情を増やす
2025年の「シェイプシフター」では、変わりたい人を励ます思いを、言葉と音の両方で表そうとした。
本人が説明したのは、目標へ簡単に届かない感覚を遠い調への転調に込め、変化の中の葛藤を、少し濁る和音で表す考え方だった。
欲しい表現を思い描き、それを実現するために勉強する。
歌を届けるため、周囲の音まで考える初期からの姿勢が、より細かな制作へ続いている。
同年の取材で菊池は、バンドが強くなるほど、歌にも高い水準が求められると話した。
その水準を保ちながら、声色や表情を増やしていくことが課題だった。
鹿又も、ツアーを通じて、菊池が客席へ手拍子や歌を促す姿が変わったと感じている。
「シェイプシフター」公式ライブ映像(2025年10月4日・Zepp Haneda)。
「殺文句」で自分の弱さを言葉にした声は、録音の仕方、舞台での調整、共演者から受ける刺激を通して、役割を増やしてきた。
自信を得て終わるのではなく、その声を疑ったあとも、もう一度歌うほうを選ぶ。
菊池の変遷には、その選び直しがある。
曲ごとにどう言葉の相手を変えるかは、菊池陽報の歌い方で掘り下げる。







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