末澤誠也の歌声はどう変わった?辞めかけた時期からAぇ! groupの主役ボーカルになるまで

辞めかけた時期からAぇ! groupの主役ボーカルになるまで末澤誠也の歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

末澤誠也さんの歌声の変化は、「年々高い声が出るようになった」という一直線の成長ではありません。
2009年に活動を始めても出番が少なく、大学時代には辞めることまで考えた人が、舞台とダンスをきっかけに戻り、やがて一曲の大半を任される主役ボーカルになった物語です。

最大の転機は2021年の「PRIDE」でした。
最初は楽に出なかった最高部を約半年かけて仕上げ、この一曲がAぇ! groupの看板になります。
2024年のCDデビュー以降は、末澤さんの高音があることを前提に曲が作られる段階へ進みました。

2009〜2018年、歌声より先に「続ける理由」を失いかけた

末澤さんは2009年に活動を始めました。
しかし、入った直後から大きな歌割りを任されたわけではありません。
大学時代には仕事が少なくなり、周囲が次々に前へ進む中で、自分はこのまま続けるのか迷う時期がありました。

転機になったのは、歌の仕事ではなくダンスの現場でした。
先輩の舞台に関わり、踊る技術とステージの作り方を学ぶ中で、もう一度この世界でやっていく手応えを得ます。

この遠回りは、後の歌にもつながります。
歌だけを見せる人ではなく、衣装、演出、立ち位置まで含めて一曲を考える人になったからです。
現在の高音が強く見えるのも、声だけでなく身体とステージ全体を使って頂点へ向かう背景があります。

2019年、Aぇ! group結成で「全員の一人」から歌の中心候補へ

2019年にAぇ! groupが結成されると、末澤さんの声にはようやく継続して鳴らす場所ができます。
ただし、当初から一人のメインボーカルを固定したグループではありませんでした。
全員が歌い、バンドも踊りも笑いも担うことが個性だったためです。

初期の「Firebird」や「Break Through」では、末澤さんの強い声は目立ちながらも、六人それぞれの勢いの中に置かれていました。
歌の中心というより、グループ全体の熱を一段上げる役割です。

Aぇ! group初期に複数の声の中で高音を担った末澤誠也

この時期に重要だったのは、声の完成度より「この六人なら何でもできる」という雑多さでした。
末澤さんの高音も、独立した必殺技ではなく、バンド、ダンス、笑いが一緒に走る中の一要素だったのです。

2021年、「PRIDE」で逃げ場のない一人の主旋律を任された

関係が大きく変わったのが「PRIDE」です。
それまでのAぇ! groupには珍しく、末澤さん一人が曲の大半を歌う構成でした。
本人も、最初はなぜ一人だけが歌うのか戸惑い、最高部も楽には出なかったと振り返っています。

夏の終わり頃から年末まで約半年、歌のレッスンを続けました。
ここで変わったのは音域だけではありません。
全員の勢いに乗る声から、自分が曲の進行を止めない声へ、責任の置き場所が変わったのです。

「PRIDE」が支持されたことで、Aぇ! groupには一人の主旋律を軸にバンド全体を見せる型が加わりました。
末澤さんにとっては、長く出番を待った時間と、半年の訓練が一曲でつながった瞬間です。

2024年、「《A》BEGINNING」で高音がデビュー曲の構造になった

2024年5月、Aぇ! groupは「《A》BEGINNING」でCDデビューしました。
末澤さんは29歳8か月でのデビューとなり、長いジュニア時代そのものが曲の説得力へ重なります。

CDデビューで末澤誠也の高音が楽曲の見せ場として定着したA BEGINNING

この曲では、「PRIDE」のように最初から最後まで一人で引っ張るのではありません。
複数の声が動く中で、末澤さんの高音が決定的な場面に入り、楽曲の緊張を一気に上げます。

つまり、2021年に身につけた声が、2024年にはデビュー曲のアレンジを成立させる部品になりました。
歌えるから目立つのではなく、その声が入る場所を曲が待っている状態です。

現在の高音の仕組みや「PRIDE」とデビュー曲での使い分けは、末澤誠也さんの歌い方と発声分析で詳しく整理しています。

2025年、「咆哮」で主役ボーカルからグループを前へ押す声へ

デビュー後のアルバムとツアーでは、末澤さんの声がさらに大きな会場を動かす役割を持ちます。
「咆哮」という題名が示す通り、強い声は個人の見せ場ではなく、観客とグループを同じ方向へ押し出す装置になりました。

ここで目立つのは、声の高さが更新されたことではありません。
一人で難しい音を成功させる段階から、曲の熱量を最後まで管理し、仲間の演奏が最大になる瞬間へ声を置く段階に進んだことです。

大橋和也さんの歌唱変遷が、声色の多さをグループの中で磨いた歴史だとすれば、末澤さんは一つの強い輪郭へ責任を集めていった歴史です。
同じ関西のグループでも、主役ボーカルになる道筋は対照的です。

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2026年、四人体制でも「末澤誠也が歌う場所」は消えなかった

2026年、Aぇ! groupは四人体制で活動し、アルバム「Runway」とツアーへ進みました。
人数が変われば、ユニゾン、ハモリ、歌割りは組み直されます。
それでも末澤さんの役割は、単に空いた部分を多く歌うことではありませんでした。

近年は、作り手がメロディーを考える時点で、末澤さんが歌う部分まで想像するようになっています。
2021年には曲へ追いつくために半年かけて声を作りました。
2026年には、その声を想定して次の曲が生まれます。

これは、歌手と楽曲の主従が入れ替わったということです。
与えられた高音を攻略する人から、存在そのものがメロディーの行き先を決める人へ変わりました。

変わらなかったのは、声より先にステージ全体を考えること

歌割りの量も、高音への期待も、初期とは比べものにならないほど増えました。
一方で、末澤さんは歌だけを自分の領域にしていません。
衣装や演出に関わり、メンバーがどう見えるかまで考える姿勢は、ダンスの現場から戻ってきた頃から続いています。

だからこそ、主役ボーカルになっても「一人の歌手と伴奏する仲間」という形にはなりません。
声を前へ出すことでバンドを大きく見せ、引くことで別のメンバーを見せる。
高音の成長と同じくらい、ステージのどこで使うかという判断が育ってきました。

まとめ

末澤誠也さんの歌声は、仕事が少なく辞めることまで考えた時期から、Aぇ! group結成によって鳴らす場所を得ました。
2019年には全員の勢いを上げる声、2021年の「PRIDE」では一曲を背負う声、2024年のデビュー以降は楽曲の構造を決める声へ変わります。

転機のたびに、声が急に別物になったわけではありません。
任される責任が増え、その責任に追いつくために歌い方を作り直してきました。

最初は出しにくかった一音が、数年後には作り手のメロディーを導く。
末澤誠也さんの歌唱変遷は、才能が発見された歴史というより、任された場所を自分の声の居場所へ変えてきた歴史です。

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