MAHの歌声はどう変わった?SiMがシャウトの先でメロディーを主役にした変遷

SiM MAHの歌声が初期から現在までどう変わったかをたどる記事のアイキャッチ MAH(SiM)

SiMのMAHさんの歌唱変遷は、シャウトが年々激しくなった歴史ではありません。
むしろバンドが前進するほど、叫ばなくても曲を成立させられる声が増え、最後には歌から演奏を組み立てるようになった歴史です。

初期にはギターを弾きながら歌っていた青年が、マイク一本のフロントマンになり、日本語で新しい歌い方を探し、世界へ届く旋律の中心になりました。
荒い声は消えず、必要な場面だけを燃え上がらせる役へ変わっています。

2004年から2010年、ギターを置いたことで声の居場所がなくなった

SiMは2004年ごろ、MAHさんが歌とギターを担当する三人編成として始まりました。
当時はUKロックとレゲエ・ロックを混ぜた、現在より湿り気のある音楽を目指していました。

結成二年目にSHOW-HATEさんが加わり、MAHさんはギターを置いて歌に専念します。
音楽はハードコアの要素を増やし、現在のSiMへ近づきましたが、本人には別の問題が生まれました。

マイク一本でステージに立つと、何をしてよいか分からなかったのです。
楽器に隠れられなくなったことで、体の動き、表情、歌い方の切り替えまで、声以外のすべてを含むフロントマン像を作る必要がありました。

初期の変化は、発声技術が上がったことより、歌手として全身を使う役へ移ったことでした。
現在のMAHさんの大きな身振りや声色の交代は、この空白を埋める過程から始まっています。

2011年、「KiLLiNG ME」で激しさと歌える旋律が結び付いた

2011年のアルバム『SEEDS OF HOPE』と「KiLLiNG ME」は、SiMの名前をラウドロックの外側まで広げる大きな転機になりました。
重い音、レゲエのリズム、観客が返せる旋律が、一曲の中でつながります。

この時期のMAHさんは、ただ荒々しい声を前へ出すだけではありませんでした。
ライブで観客がどこに反応するかを考え、メロディーを中心に演奏を組み立てる考えを語っています。

会場を動かすシャウトと、一緒に歌えるクリーンな声が、別々の得意技ではなくなりました。
同じ曲を前へ進める二つの動力として働き始めたのです。

2014年から2015年、日本語がそれまでにない声を引き出した

アニメ作品との出会いは、SiMの活動範囲だけでなく、MAHさんの歌の使い方も広げました。
2014年の「EXiSTENCE」は、後の世界的な展開につながる種の一つになります。

その次に重要なのが、日本語で歌った「Same Sky」です。
MAHさんはこの曲で、それまで使ってこなかった声や歌い方が出たと振り返っています。

英語では短く鋭く置けた音も、日本語では一音ずつ意味を背負います。
音程の上がり下がりや言葉の切り方を細かく考えたことで、勢いだけでは届かない感情を声に残せるようになりました。

日本語の歌でそれまで使っていなかった声を探した時期のSiMのMAH

日本語を歌ったから急に穏やかになったのではありません。
一語の輪郭を保つため、声の強さを細かく調整する必要が生まれたことが、その後のクリーンな歌を豊かにしました。

2017年、演奏を完成させてから歌う方法をやめた

以前のMAHさんは、楽器の形をほぼ完成させてからメロディーを乗せていました。
ところが2017年ごろには、曲を作る途中で実際に声を録り、歌と演奏を同時に決める方法へ変わります。

この違いは大きなものです。
完成した重い演奏に声を合わせる場合、歌手は空いている場所で戦わなければなりません。

最初から声を置けば、旋律が自然に届く高さや間を残せます。
「ここでシャウトを入れる」という予定より、その曲が歌に何を求めるかを先に聞けるようになりました。

2017年の「A」以降に起きた迷いも、方法を変える材料になりました。
バンドの規模に合わせて整った作品を作るだけでは、自分たちが最初に興奮した刺々しさまで薄くなるという葛藤があったからです。

2020年、歌から作ることで「叫ばない自由」を手に入れた

2020年のアルバム『THANK GOD, THERE ARE HUNDREDS OF WAYS TO KiLL ENEMiES』では、メロディーから曲を作る考えがさらに明確になりました。
歌を先にすれば、曲に必要のない重さやシャウトを自然に引けます。

MAHさん自身は、歌が単純に上手くなったというより、自分の力を自然に出せる音楽と着地点を見つけたと捉えています。
仮歌と本番の差が小さくなったことも、声が後付けではなくなった証拠でした。

この時期には、ステージ上のMAHと日常の自分を無理に統一する必要もなくなります。
怒りだけでなく、明るさ、愛情、弱さまで曲へ入れられたことで、クリーンな声の役割が大きく広がりました。

荒い音色を捨てたのではなく、叫ばない場面を選べるようになったのです。
選択肢が増えた結果、シャウトは常用する看板から、本当に必要な瞬間を決める声へ変わりました。

2022年から2024年、世界で知られた一曲をSiMの全部にはしなかった

「The Rumbling」は世界的な反響を生み、海外で長く待っていた聴き手とSiMを結び付けました。
ただしMAHさんは、この曲だけでバンドを説明することを避けています。

本人のたとえでは、「The Rumbling」は図書館にある本の一ページ、その中の一語に近い存在です。
大成功した曲を繰り返すより、レゲエとパンクを根に持つSiM全体を見せる必要がありました。

2023年の「KiSS OF DEATH」は、MAHさんが当時のSiMの本質を表す曲として挙げた作品です。
世界へ届く大きな旋律と、初期から続くレゲエの間、パンクの鋭さが同居しています。

続くアルバム『PLAYDEAD』は、アニメ曲だけを知る人へ「これがSiMだ」と説明する役割を担いました。
声の変化は、海外向けに分かりやすく単純化することではなく、二十年近い音楽の幅を一人の歌でつなぎ直す方向へ進みます。

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2026年、他者と曲を作っても最後にレゲエと歌を戻した

2026年、MAHさんは長く一人で担ってきた作曲方法を離れ、ロサンゼルスで共同制作を試しました。
「FiVE TiMES DEAD (by my wallet)」には、外部制作者の金属的な重さが強く入っています。

そこでMAHさんが最後に足したのは、さらに激しい叫びではありませんでした。
レゲエのうねりと、耳に残る親しみやすさです。

海外の共同制作を経てもレゲエと歌える旋律をSiMへ戻した2026年のMAH

9月発売のアルバム『HOOMAN AFTER ALL』には、重さ、暗さ、速さだけでなく、レゲエ、スカ、ヒップホップ、ポップパンクまで含まれます。
初期から抱えてきた混ざり合う音楽を、世界の制作者と一度外へ広げ、最後に自分の歌が入る場所へ戻した作品です。

ギターを置いてマイク一本になった初期とは、立場が反転しました。
かつては完成した音の中で声の居場所を探していたMAHさんが、現在は声とメロディーを基準に、曲全体の居場所を決めています。

変わらなかったのは、異物を混ぜても歌の入口を残すこと

MAHさんの歌声は、初期の激しさを捨てて、きれいな歌へ向かったわけではありません。
マイク一本の身体表現、日本語の細かな音程、歌から曲を作る方法、世界の共同制作が順番に加わりました。

そのたびに声の役は増えましたが、近寄りにくい音へメロディーの入口を作る考えは変わっていません。
激しい音楽を嫌う人にまで曲を届けたいという願いが、クリーンな歌とシャウトを同じ物語へ置き続けています。

現在のシャウトとクリーンな歌の役割は、SiM MAHさんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

まとめ

MAHさんの歌唱変遷は、叫び方が洗練された歴史ではありません。
ギターを置いて声だけでステージを埋め、日本語で新しい表情を探し、最後には歌を基準に曲を作るようになった歴史です。

昔より叫ばなくなったのではなく、叫ぶ必要がある瞬間を選べるようになりました。
その選択があるからこそ、現在のMAHさんの荒い声は、技法の見せ場ではなく、曲の感情が行き着いた場所として響きます。

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