10-FEETのTAKUMAさんというと、フェス会場を一気に巻き込むシャウトや、荒々しい高音を思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、本人が歌の幅を広げるきっかけとして語っているのは、さらに強く叫べるようになった経験ではありません。
転機になったのは、アコースティックで歌った時に、一つの母音の中にも多くの表情があると気づいたことでした。
TAKUMAさんの歌が強く聞こえる理由は、声量だけではなく、速い曲の中でも言葉の色を失わないことにあります。
速い曲では見えなかった「一つの母音の色」が歌を変えた
10-FEETの曲は、パンク、レゲエ、ヒップホップ、メタルなどが短い時間の中で入れ替わります。
その勢いだけを追うと、TAKUMAさんの歌は「強い声で押し切る歌唱」に見えやすいかもしれません。
ところが本人は、アコースティックで歌うようになってから、同じ母音を伸ばすだけでも多くの表情を作れると気づいたと話しています。
速い曲では一瞬で通り過ぎていた音を、ゆっくり歌うことで初めて細かく見られるようになったのです。
この発見は、静かな曲だけに使われたわけではありません。
そこで得た歌い方を再び速い10-FEETの曲へ持ち帰ったことで、歌と曲作りの幅が広がりました。

「アオ」は、その変化が分かりやすい一曲です。
激しいバンドの音に対抗して声を硬くするのではなく、言葉の温度を残したまま前へ運ぶことが重視されました。
シャウトは主役ではなく、言葉の振れ幅を広げる一つの色
TAKUMAさんの歌を説明する記事では、地声、ミックスボイス、エッジボイス、がなり声など、さまざまな言葉が使われています。
ただし、どれか一つの発声名だけで全曲を説明するのは難しいでしょう。
理由は、同じ曲の中でも声の役割が頻繁に変わるからです。
会話に近い低い声から始まり、音を短く強く当て、サビでは観客が一緒に歌える形へ開き、必要な場所だけ荒い音色を加えます。
大切なのは、荒れた音が常に鳴っているわけではないことです。
静かな声や素直な声が先にあるからこそ、シャウトへ切り替わった瞬間の落差が大きくなります。
高い声を出すとすぐ枯れる人が、表面のざらつきや大声だけを真似するのは危険です。
TAKUMAさんらしさは喉を削ることではなく、曲の中で声の明暗を使い分ける判断にあります。
発音の正確さより先に「何を届けるか」が置かれている
TAKUMAさんは「アオ」の制作で、発音や響きだけでなく、メッセージをどう届けるかを重視したと説明しています。
録音後のミックスでも、声を派手に加工して完成品へ寄せるより、声そのものを素材として残すための繊細な調整が行われました。
ここが、10-FEETの歌を単なる勢いに聞かせない部分です。
子音を全部きれいに並べるより、今いちばん伝えたい言葉へ重さを集めるため、フレーズの中に濃淡が生まれます。
英語と日本語が行き来する初期の楽曲でも、辞書のような均一な発音ではなく、バンドのリズムに言葉を乗せることが優先されてきました。
英語の歌詞で高音が出にくい理由を考える時も、口の形だけでなく、言葉を置くタイミングまで見ると違いが分かります。
録音でも声を「きれいな完成品」にしすぎない
「アオ」の制作で興味深いのは、歌い終えた後の調整にも同じ考え方が続いていることです。
声の欠点を消して均一に整えるのではなく、TAKUMAさんの声を一つの素材として扱い、曲の中で生きる形を探りました。
ロックの声は、音圧を上げて輪郭を固くすれば強くなるとは限りません。
息の混じり方や語尾の揺れまで消すと、音程は整っても、誰が何を言っているのかという手触りが弱くなることがあります。
TAKUMAさんの場合、録音技術は生身の声を別物へ変えるためではなく、荒さと繊細さが同居できる場所を作るために使われています。
ライブで人を巻き込む声と、イヤホンで一人に届く声を、同じ人物の中に残す発想です。
「第ゼロ感」で広がったのは音域よりリズムの自由さ
大ヒットした「第ゼロ感」は、映画の依頼に合わせて最初から整然と作られた曲ではありません。
もともとは発表予定もなく、自由にダンス色の強い音を試していたところから始まりました。
海外の音楽から受け取ったリズムへ日本語を乗せる作業では、言葉をメロディーの上へ置くだけでは足りません。
短い音節を打楽器のように扱う一方で、要所では長い母音を残す必要があります。

その結果、TAKUMAさんの強い声は、昔ながらのロックの叫びだけではなくなりました。
細かく刻む言葉、低く抑えた声、観客が返せるフレーズ、荒い高音が一曲の中で役割を分け合っています。
高音だけに注目すると「どこまで地声で出しているか」という問いになりがちです。
実際には、声の高さより先に、リズムと音量を変えて同じ言葉を何通りにも動かせることが、歌の強さを支えています。
「RIVER」「アンテナラスト」「アオ」で声の役割が違う
「RIVER」では、前へ走るバンドの勢いと、会場全体が声を重ねられる開かれたフレーズが結び付いています。
一人だけが巧みに歌うのではなく、観客まで曲の一部にする声です。
「アンテナラスト」では、激しさだけでは気持ちが届かないという考えがより前に出ます。
声を張る場所と噛みしめる場所を分けることで、個人的な記憶が大きな会場でも薄まりません。
「アオ」になると、母音の色や声の素材感がさらに意識されます。
三曲を並べると、TAKUMAさんの歌唱は叫びを洗練させただけではなく、強く歌わない時間を増やすことで強い場面を目立たせてきたと分かります。
真似するなら大声ではなく、言葉ごとの距離を変える
TAKUMAさんから参考にしやすいのは、荒れた声の音色そのものではありません。
同じ音量と同じ表情で一曲を塗りつぶさず、言葉によって聴き手との距離を変える考え方です。
ささやくように近づく部分、会話のように置く部分、全員へ投げる部分を聴き分けると、シャウトが必要な理由も見えてきます。
強い音は常時使う基本の声ではなく、前後の流れを受けて初めて意味を持つからです。
Takaさんの高音の歌い方と比べても、同じロックの高音でありながら、言葉の刻み方や観客との距離の作り方は異なります。
似た音色を出すことより、曲の中で何を変えているかを見る方が、歌手ごとの個性を理解しやすくなります。
まとめ
10-FEETのTAKUMAさんの歌い方が刺さる理由は、強いシャウトを長く維持できるからだけではありません。
アコースティックで見つけた母音の細かな色を速い曲へ持ち帰り、言葉、音量、リズム、荒い音色を場面ごとに使い分けているからです。
「叫んでいるのに言葉が残る」のではなく、言葉を残すために叫ぶ場所と叫ばない場所が選ばれています。
その順番を知ると、TAKUMAさんの声は勢いの塊ではなく、非常に細かく距離を調整する歌として聞こえてきます。






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