TAKUMAの歌声はどう変わった?10-FEETが速さの中で増やした声の色

10-FEET TAKUMAの歌声が初期から現在までどう変わったかをたどる記事のアイキャッチ TAKUMA(10-FEET)

TAKUMAさんの歌唱変遷は、荒かった声が年齢とともに滑らかになった、という単純な物語ではありません。
初期からあった勢いを残したまま、ゆっくり歌う経験によって一つの母音の色を増やし、その発見を再び速い曲へ持ち帰った歴史です。

大きく変わったのは声の強さではなく、一つの声に任せられる仕事の数でした。
英語と日本語を勢いよく運ぶ声から、個人的な記憶を噛みしめる声、細かなリズムを刻む声まで、10-FEETの音楽が広がるたびに歌の役割も増えています。

1997年から2002年、ライブの熱量をそのまま録音へ持ち込んだ

10-FEETは1997年に京都で結成され、ライブ活動を始めました。
2001年に最初のシングルを発表し、翌年には1stアルバム『springman』と「RIVER」を世に出します。

初期のTAKUMAさんの声は、整った発音を鑑賞させるより、曲の速度と一緒に聴き手を前へ連れていく役割が大きいものでした。
英語と日本語を行き来し、短いフレーズを勢いよくつなぎながら、サビでは観客が参加できる余白を作ります。

「RIVER」は、初期のその性格を象徴する曲です。
一人の技巧だけで完結せず、会場で何度も歌い継がれることによって大きくなる声が、早い段階ですでに形になっていました。

2009年、「1sec.」で混ぜる音楽に声も追いついていった

2000年代の10-FEETは、メロディックパンクの速度を軸にしながら、レゲエ、ヒップホップ、メタルなどを大胆に取り込みました。
2009年の「1sec.」では、曲の展開が変わるたびに、TAKUMAさんの声も押し出し方や言葉の刻み方を切り替えます。

この時期の強みは、異なるジャンルをきれいに整理して見せることではありません。
性格の違う音を一曲へ押し込み、それでも10-FEETのライブで一つに聞こえるよう、声が接着剤になることでした。

ただし、速さの中では見えにくいものもありました。
長く伸ばす一つの母音にどれほど多くの色があるかを、本人が深く意識するのは、後のアコースティック経験を待つことになります。

2010年代、激しさだけでは伝わらないと知った

2010年代に入ると、10-FEETでは単純な速さだけに頼らない曲が増えました。
メンバーは、それを意図的な「歌もの路線」への変更ではなく、新しいことを試す中で自然に起きた変化として振り返っています。

曲そのものが武器になるにつれ、TAKUMAさんの声も、バンドの熱量を代表するだけでは足りなくなりました。
弱さや迷いを隠さず、音量を下げた時にも言葉を支えられる歌が必要になります。

激しさだけでは伝わらない歌を探した2010年代の10-FEETのTAKUMA

アコースティックで歌った経験は、ここで大きな意味を持ちました。
速い曲では通り過ぎていた母音を長く見つめられるようになり、同じ音にも複数の表情があることを発見します。

2016年、「アンテナラスト」で叫ばない強さが前へ出た

2016年の「アンテナラスト」は、約四年ぶりのオリジナルシングルでした。
TAKUMAさんは、激しいだけが気持ちを伝える方法ではないと分かったうえで、その時点の10-FEETにとって最良の形を目指したと話しています。

この曲では、叫び続けることより、言葉を噛みしめる時間が重要になります。
大切な人への個人的な感情を、大会場で歌っても薄くしないために、声の強弱が物語の一部になりました。

初期からあった人間味が、勢いの背後に隠れるのではなく、歌の正面へ出てきた時期です。
声を弱くすることが、迫力を失うことではなくなりました。

2017年から2021年、アコースティックで得た色を速い曲へ戻した

2017年のアルバム『Fin』では、幅の広い曲が並び、いつもの自分たちを繰り返さない意識も語られました。
TAKUMAさんは、自分が歌うと馴染みのあるラウドな10-FEETらしさへ寄りやすいことを自覚し、曲によって別の声の役割を探しています。

その積み重ねがはっきり言葉になったのが、2021年の「アオ」です。
本人は、アコースティックで見つけた母音の多彩な色を、速い曲へ持ち帰ることで歌と作曲の幅が広がったと説明しました。

録音後のミックスでも、声を均一な完成品に加工するのではなく、素材としての声を残すために細かな調整が重ねられました。
初期の衝動を消さず、その内側にあった表情を聞こえるようにした段階です。

2022年、「第ゼロ感」で日本語のリズムが別の扉を開いた

「第ゼロ感」は、最初から大きな作品の主題歌として設計された曲ではありません。
発表予定を決めず、ダンス色の強い音を自由に試していたデモが、映画『THE FIRST SLAM DUNK』と出会いました。

ここでTAKUMAさんは、海外の音楽から受け取ったリズムへ日本語を乗せるという課題に向き合います。
言葉を細かく刻む声、低く抑える声、観客が返せるフレーズ、荒い高音が短い間に入れ替わる構成です。

第ゼロ感で日本語の新しいリズムを大きな観客へ届けた10-FEETのTAKUMA

映画をきっかけに10-FEETを初めて知った人にも曲が届き、声の役割はライブハウスやフェスの熱量を共有することから、物語の余韻を背負うことへ広がりました。
一方で、自由に遊んだデモが出発点だったため、成功に合わせて個性を薄めた曲にはなっていません。

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2026年、十年前の衝動を今の声で完成させた

2026年の「壊れて消えるまで」は、約十年前に輪郭ができていた曲でした。
映画『ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃編』の主題歌として完成するまで、長い時間を経ています。

近年の制作で増えていた打ち込み中心の方法ではなく、ギターを手にして自然に歌うところから生まれた曲です。
ゆっくりした柔らかな部分を置くことで、言葉が以前より直接届く形になりました。

結成から三十年近くを迎えても、過去の成功した声を再現するだけではありません。
十年前の衝動を残しながら、今のTAKUMAさんが持つ言葉の間と声の色で仕上げています。

変わらなかったのは、きれいに整えるより人と一緒に鳴る声を選ぶこと

TAKUMAさんの歌は、初期の荒さを捨てて上品になったのではありません。
速い曲を押し進める力へ、静かな母音、言葉の間、日本語の細かなリズムが加わりました。

変化を支えたのは、技巧を見せるための声ではなく、曲や観客との関係に応じて声の役割を変える考え方です。
「RIVER」では会場全体を一つにし、「アンテナラスト」では個人的な記憶を共有し、「第ゼロ感」では映画の余韻を別の世代へ渡しました。

現在の発声や言葉の使い方は、TAKUMAさんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

まとめ

TAKUMAさんの歌声は、強い声から弱い声へ変わったのではありません。
アコースティックで一つの母音に多くの色があると知り、その色を激しい10-FEETの中へ戻すことで、強さの種類を増やしてきました。

初期のライブを動かす声、2010年代の個人的な感情を運ぶ声、「第ゼロ感」の細かな日本語を刻む声、そして十年前の曲を現在へ連れてくる声。
すべてに共通するのは、整いすぎた正解より、人と一緒に鳴る瞬間を選ぶことです。

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