加川良さんの歌声は、声量や音域の数字だけでは捉えにくいものです。
乾いた話し声のように始まった歌が、いつの間にかブルースになり、バンドが鳴っていなくてもリズムまで聞こえてきます。
この歌唱力の中心にあるのは、上手さを前へ出すことではありません。
言葉を生活の側へ置いたまま、声の重さ、間、勢いを変え、一人の話を音楽へ変えてしまう力です。
代表曲「教訓I」だけを聴くと、淡々としたフォーク歌手に見えるかもしれません。
しかし、メンフィス録音やロックバンドとの共演まで進むと、同じ声がずっと広い音楽を抱えられたことが分かります。
加川良の歌は、ギター一本でも伴奏が聞こえてくる
加川良さんは、自分にとって究極のロックとは、歌声だけで大勢の人を揺らし、聴き手の中にドラムやベースまで鳴らせる音楽だと語っています。
自分にはそこまでの力がないから楽器の力を借りる、と続けたところに、この人らしい照れがあります。
けれど、この言葉は加川さんの歌い方をかなり正確に説明しています。
音程を長く伸ばさなくても、一語を置く位置が少し遅れれば重さが生まれ、語尾を急がず離せば次の言葉までの空白が拍になります。
「きれいなメロディだから聴かせる」のではなく、何気なく耳に入った声が人を振り向かせることを、本人は音楽の理想としていました。
そのため歌声には、発声を見せるための大げさな構えがありません。
普通に話しているようなのに、言葉が始まった瞬間から時間の進み方が変わる。
ここが、加川良さんの歌を単なる素朴さから分ける部分です。
「教訓I」が冷静に聞こえるから、言葉は聴き手から逃げない
「教訓I」は、反戦歌として強い内容を持ちながら、聴き手を大声で説得する歌ではありません。
出発点になった文章を、加川さんは演説の口調ではなく、一人の人間が自分へ言い聞かせるような歌へ変えました。
ここで声を感情的に震わせすぎると、聴き手は歌い手の怒りに圧倒されます。
加川さんの乾いた声には少し距離があり、皮肉も怖さも、受け取った人の中で遅れて効いてきます。
この距離感は、高田渡さんの歌にも通じます。
ただし、高田渡さんの歌い方が言葉を椅子に座らせたまま動かさない面白さだとすれば、加川さんの声は、落ち着いて見えても次の瞬間に走り出します。
同じ関西フォークの周辺にいても、声の運び方は同じではありません。
「教訓I」を政治的なメッセージだけで聴くより、静かな口調がなぜ耳を離れないのかに注目すると、加川さんの歌唱力が見えてきます。

「下宿屋」では、話すことそのものが歌になる
加川良さんの声を語る時、「下宿屋」は外せません。
旋律を華やかに聞かせる曲ではなく、長い話が少しずつ風景を作り、気づけば聴き手が一つの部屋へ連れていかれます。
朗読に近いから歌ではない、ということでもありません。
どこを早く通り、どこで止まり、どの言葉だけに声の温度を残すかという選択が、旋律とは別の音楽を作っています。
声を張らない場面ほど、言葉の輪郭が曖昧にならないのも特徴です。
子音を一つずつ強調するのではなく、話の行き先が分かっているため、長い文章でも聞き手が迷いません。
友部正人さんにも歌と朗読の境目を行き来する魅力がありますが、友部正人さんの歌唱が景色を次々に出現させる声なら、加川さんは人の体温と暮らしの手触りを近くに残します。
似た「語る歌」でも、聴き手へ渡すものが違います。
メンフィスへ行っても、声は借り物のソウルにならなかった
1976年のアルバム『南行きハイウェイ』は、加川良さんを「教訓Iのフォーク歌手」だけで考えられなくする作品です。
石田長生さんのプロデュースでメンフィスへ渡り、現地のリズム隊やホーンと録音しました。
音が厚くなれば、細い話し声は伴奏に埋もれそうです。
実際には、軽く弾む場面、柔らかくつぶやく場面、強く押し出す場面を使い分け、声はバンドの前から消えませんでした。
理由は、海外の歌手らしい音色を上からかぶせなかったからです。
日本語の字余りや、土地の名前が出てくる話し言葉を残したまま、メンフィスの太いリズムへ乗せています。
伴奏へ合わせて自分を変え切るのではなく、自分の言葉が歩ける隙間を見つける。
この適応力こそ、声量以上に分かりやすい加川良さんの歌唱力です。
ロックで叫んでも、ざらつきが主役にならない
1996年には、TE-CHILIと『R.O.C.K.』を制作しました。
過去の曲を大きなロックサウンドで再演し、穏やかな弾き語りとは別の顔を見せています。
ここだけを切り取れば、加川良さんの魅力はしゃがれ声や叫びにあるようにも聞こえます。
しかし、若い頃の静かな歌と並べると、声の表面は変わっても、言葉を置く位置と語り手の存在感は残っています。
強い音に対抗して常に大声を出すのではありません。
短い言葉を前へ投げるところ、バンドへ預けるところ、急に力を抜くところを分けるから、音の壁の中にも物語ができます。

ざらついた音だけをまねようとして喉を締めても、この変化は生まれません。
加川さんから参考にできるのは、かすれの作り方より、伴奏の大きさが変わった時に言葉の届け方まで選び直す姿勢です。
三曲を比べると、同じ声の中に三人の語り手がいる
歌い方の幅を知るなら、「教訓I」「下宿屋」「こがらし・えれじい」を順に聴くと違いが分かります。
「教訓I」では、声を熱くしすぎないことで、言葉と聴き手の間に考える余地を残します。
「下宿屋」では、旋律より先に話の呼吸があり、一人の記憶を隣で聞いているような距離になります。
「こがらし・えれじい」では、同じ人がブルースとロックの勢いを借り、声を前へ押し出します。
それでも別人の歌にはならず、少し醒めた語り口が芯に残ります。
三曲の違いは、地声か裏声かという分類だけでは説明できません。
加川さんは声の高さよりも、誰が誰へ話しているのかを変えることで、一曲ごとの人物を作っていました。
加川良の歌唱力は、歌を生活から切り離さない力だった
加川良さんは、歌を特別な職業人だけのものとして扱いませんでした。
日常の途中で耳に入り、人を一瞬立ち止まらせるものを音楽だと考え、全国の小さな会場を巡り続けました。
だから歌声も、技巧を展示する場所にはなりません。
話す、つぶやく、歌う、叫ぶという変化が、曲の主人公と聴き手の距離を動かすために使われています。
「教訓I」の乾いた声は出発点ですが、結論ではありません。
メンフィスのリズムにもロックの轟音にも負けず、それでも生活者の言葉に戻ってこられたことが、加川良さんの本当の強さです。
加川良さんの歌声の変遷をたどると、この声が一つの型を守ったのではなく、型から抜けるたびに自分らしくなったことが分かります。






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