岡村靖幸の歌声の変遷|「だいすき」を歌い直し、違う声と重なるまで

ギターを抱えて横になる岡村靖幸 シンガー
岡村靖幸(2026年掲載)。撮影:TAKAY/Precious.jp

2012年の岡村靖幸の公演を見た音楽記者は、高い箇所で以前と歌い方が違い、かつてシャウトした言葉を抑えて歌う場面もあったと書きました。
それでも、その夜の歌とアドリブ、ダンスを見て「完全復活」だと感じています。
昔と同じ声の出し方をしていないのに、何を聴いて岡村靖幸が帰ってきたと思ったのでしょう。

その前年、岡村は自分の過去曲を集めた『エチケット』で「だいすき」を歌い直していました。
1988年の曲を23年後の歌として置き直した、その時期の公式映像が残っています。

1988年の「だいすき」は、未来の自分にも残る曲になった

「だいすき」がシングルとして発売されたのは1988年11月2日。
恋の気持ちが先走る歌の面白さは、既存の岡村靖幸の歌い方でも扱っています。
ここで追いたいのは、その声が後年にどう歌い直され、別の歌手の声とどう並ぶようになったかです。

当時のミュージックビデオは2026年にリマスターされ、公式チャンネルで公開されました。
映像のアップロードは2026年でも、そこで紹介されているのは1988年の原曲です。
この原曲を起点にすると、2011年の『エチケット』を「昔の曲をもう一度出した」だけでは済ませられません。

岡村は若いころから、歌、作曲、演奏、編曲を自分の手で結びつけてきました。
のちに同じ歌を取り上げる際にも、過去の録音を単に磨いて並べるのではなく、曲の形から作り直す余地がありました。
「だいすき」は、自分の過去とその時点の活動を比べるための曲にもなったのです。

2011年、昔の曲を現在の舞台から作り直す

『エチケット』は、ピンクとパープルの2枚を2011年8月24日に発表した初のセルフカバー集です。
両盤に「だいすき」が収録され、ほかにも「どぉなっちゃってんだよ」「カルアミルク」などを取り上げました。
2011年公開の「だいすき from エチケット」は、この企画の新録版として紹介されています。
1988年の映像を2011年に再掲載したものではありません。

制作の方法も一様ではありませんでした。
当時の発売告知によれば、ライブで変えてきた編曲をさらに組み直した曲もあれば、ゼロから編曲し直した曲もあり、客席の歓声を取り込んだ曲もあります。
岡村はこの制作でギター、ベース、鍵盤など、ほとんどの楽器を自ら演奏しました。
過去の歌を再訪しながら、録音の作り手としてもそこに立ち会っていたわけです。

ここまでの資料で確かめられるのは、同じ歌を新たに録り、曲の形を作り直したことです。
1988年と2011年の「だいすき」を並べただけで、高音や声質がどう変わったと決めることはできません。
その頃の歌い方を伝えるのは、公演を現場で見た人の記録です。

2011年9月の公演を見た記者は、「イケナイコトカイ」で岡村が客席と裏声のコーラスを歌い、曲の途中でシャウトしたと書いています。
一方「だいすき」については、『エチケット』の落ち着いた編曲と、その夜の華やかな舞台版を区別していました。
同じ時期でも、岡村は曲と場面によって声の出し方や演奏の形を変えていたのです。

変化を「新録だから声が若返った」と言い切れない理由は、翌年のライブにも見えます。
2012年1月の公演を見た記者は、高い箇所やシャウトに昔との違いを認めています。
一方で、歌とメロディ、アドリブ、動き、舞台から伝わる気持ちがそろったことで、岡村が戻ってきたと受け止めました。

この評価は「もう高い声もシャウトも使わなくなった」という意味ではありません。
2011年の記録にあるように、裏声やシャウトも使いながら、以前そのように歌った箇所の一部では別の歌い方を選んでいました。
どの曲のどの場面で声を張るかが、時期と公演によって違うのです。

一曲の高音を以前と同じように出すことと、一晩のライブを岡村靖幸のものにすることは、同じ課題ではありません。
『エチケット』は過去の録音を上書きする企画というより、当時の岡村が旧曲をどう演奏し、歌うかを示す作品になりました。
2012年秋の別の公演では、同じ記者が「どぉなっちゃってんだよ」のライブ編曲を、原曲よりはるかに速いヒップホップ風の曲として歓迎しています。
歌を変えるには、声の出し方だけでなく、曲を運ぶ速さやバンドの形も選び直せたのです。

2014年、歌の中に別の人の言葉が入る

旧曲を自分の手で作り直した2011年から3年後、岡村は別の歌い手と一曲を共作しました。
2014年の「愛はおしゃれじゃない」では、Base Ball Bearの小出祐介が作詞と歌、岡村が作曲、編曲、演奏、歌を担いました。
岡村だけの声と言葉を重ねる場合とは、曲ができる入口から違います。

この曲が同年4月2日に発売された後、5月5日の東京公演に小出が登場しました。
その日の共演映像が、後に公式ミュージックビデオとして公開されています。
音源の発売日、舞台で二人が歌った日、映像の公開日はそれぞれ別です。

ここで確認できるのは、岡村自身の声質の変化ではなく、歌う言葉と舞台での声をもう一人の表現者と分け合ったことです。
後の共演を見るときも、声の高さだけでなく、誰の言葉を誰が歌うかが手がかりになります。

2017年のDAOKOとの「ステップアップLOVE」では、相手の声に合わせてキーを試し、二人が同じ旋律をそれぞれ歌う構成を採っています。
この曲の中で抑えた声と前に出る声がどう働くかは、歌い方記事で詳しく扱っています。
岡村が共演で求めたのは、相手を自分の歌い方へ近づけることばかりではありませんでした。

2024年、違う声が重なったときに曲が広がる

2024年、岡村は斉藤和義と「岡村和義」を始めます。
二人ともソロで作曲、演奏、歌までできる人です。
岡村は、それでも二人で作ることに意味があると話し、斉藤も若いころには自分にできる仕事を相手へ任せられなかっただろうと語っています。

4月17日発売の「サメと人魚」では、岡村が温めていたAメロに斉藤がサビを付け、詞は斉藤が書き、岡村がストリングスを含む編曲を行いました。
取材者は、二人の歌が掛け合いからハーモニーへ移るところを挙げています。
斉藤は、二人の声質と歌い方が違うので最初は混ざるのか心配だったが、実際には自分一人で声を重ねたときより曲が広がったと振り返っています。

岡村も、斉藤のギターや生のドラムに替えると、同じ曲のムードが変わると話しています。
これは、岡村の声が音響的に別物になったという証拠ではありません。
歌の隣に置く声や演奏を変え、二人でしか作れない表情を選んだという、制作と歌の変化です。

2012年の記者が見たのは、以前と同じ高音やシャウトの再現だけでは測れない復帰でした。
2014年には小出祐介と歌う言葉を分け合い、2024年には斉藤和義と声が異なること自体を曲の広がりに変えています。
「だいすき」を歌い直したときのように、自分が積み重ねた曲へもう一度向き合う。
そして、別の人の声が入る余地も作る。
昔の歌を大切にしながら、そこから先の歌い方を一つに決めない歩みが、岡村靖幸の変遷です。

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