堂珍嘉邦さんの歌声は、デビュー当時の透明感を失わずに、使える声と表現の幅が増えてきました。
最も大きな変化は、ただ美しく歌う人から、太い声も、繊細なファルセットも、あえて力を抜いた一節も選べる人になったことです。
ただし、その道筋は一直線ではありません。
若い頃には感情を届けようとして声を強くしすぎ、得意だったファルセットや大きなビブラートを自分から遠ざけた時期がありました。
ソロ活動と舞台を経てCHEMISTRYへ戻った時、昔の歌い方を再現したのではなく、二人で歌う時だけ自然に現れる声を選び直しています。
25周年までの変遷をたどると、堂珍さんの進化とは声を別物に変えることではなく、自分の声へ戻る道を増やすことだったと分かります。
2001年、約2万人から選ばれた声は本人より先に「CHEMISTRY」になった
堂珍さんは、テレビ番組の男性ボーカリストオーディションで川畑要さんとともに選ばれ、2001年3月にCHEMISTRYとしてデビューしました。
参加者は約2万人にのぼり、「PIECES OF A DREAM」は大きな反響を呼びます。
この出発点には、少し不思議なねじれがあります。
本人が自分らしい歌い方を十分に言葉にできる前に、世間の方が先に「透明感のある堂珍の声」と「力強い川畑の声」の組み合わせを完成形として受け取ったのです。
初期の二人は声質が対照的でありながら、重なると一つの音になることを強みとして紹介されました。
堂珍さん自身も、初めて川畑さんと声を重ねた時、身体へ強く響くような感覚があったと振り返っています。
デビュー時の美しさは、堂珍さん一人の声だけで成立していたわけではありません。
二人が交互に歌い、重なり、また離れる構成の中で、柔らかな高音の輪郭が際立っていました。
2004年前後、「感情を込めるなら吼える」という考えが声を狭くした
成功が続いても、歌い方への迷いは消えませんでした。
デビューから4、5年ほどたつと、堂珍さんは言葉や思いをどう歌へ入れるのか分からなくなったといいます。
転機として本人が挙げているのが、「One×One」期のツアーです。
当時は感情的に歌うことを、吼えるように強く歌うことだと捉えていました。
ところが、強さを足すほど、もともと得意だったファルセットは出づらくなりました。
ゆったり大きく揺れていたビブラートも細かくなり、感情を増やしたつもりが、使える表現はかえって少なくなっていきます。
この時期は、単純に調子を崩した時代ではありません。
美声として選ばれた青年が、与えられた美しさだけでは自分の気持ちを表せないと感じ、反対側へ振り切れた時間でした。
後年の堂珍さんが柔らかさと力強さを両立できるようになった背景には、この遠回りがあります。
強く歌えば必ず感情的になるわけではないと、本人の声が先に教えたのです。

2012年の活動休止は、完成した型から一度離れるための時間だった
CHEMISTRYは2012年、二人それぞれの可能性を追求するため、グループとしての活動を休止しました。
堂珍さんは、長く続けるうちに仕事が日常になり、自分がどこまで成長できるのか確かめたい気持ちがあったと語っています。
ソロで掲げたのは、CHEMISTRYの延長ではないロックを軸にした世界でした。
デュオなら隣に川畑さんの声がありますが、ソロでは低音も高音も、静けさも爆発も、一人で曲の景色へ変えなければなりません。
ここで重要なのは、甘い声を捨ててロック歌手へ変身したことではありません。
二人で一つになる前提を外し、堂珍嘉邦という一人の歌手が、何を選ぶと自分の歌になるのかを試したことです。
ソロ初期の「Euphoria」は、その時期を確認できる公式映像です。
CHEMISTRYの初期映像と条件も楽曲も異なるため、声だけを単純比較することはできませんが、本人が別の表現領域へ踏み出した記録として位置づけられます。
舞台で覚えた太い声が、「細く美しい人」という枠を外した
ソロ期には、音楽だけでなく舞台や映像作品へ活動が広がりました。
なかでも舞台は、堂珍さんの声に別の土台を与えます。
本人は舞台の発声を、身体の下から支えるような「お腹ベース」の声として説明しています。
マイクと録音で細部を届ける歌とは違い、台詞と感情を身体ごと客席へ運ぶ経験によって、声が太くなっていく自分も好きになれたそうです。
それ以前の迷いでは、柔らかく歌うか、吼えるかの二択になりがちでした。
舞台の経験後は、太い声を必要な時に選び、必要がなければ使わないという第三の道が加わります。
声が太くなったこと以上に大きいのは、太くしない自由も得たことです。
CHEMISTRY初期の透明感を守るために弱く歌うのではなく、曲の中でどの声が必要かを自分で決められるようになりました。
2017年の再始動で、昔の声ではなく「二人の時に出る声」が戻った
約5年の休止を経て、CHEMISTRYは2017年に活動を再開しました。
再びスタジオで二人が歌った時、堂珍さんにはCHEMISTRYで歌う時特有の声とスタイルが自然に現れたといいます。
これは、デビュー時の声を忠実に再現できたという話ではありません。
ソロと舞台で一人の声を広げたあとでも、川畑さんの声が隣に来ると、二人で一つの音を作る判断が身体に残っていたのです。
再始動曲「Windy」は、休止前の思い出だけに頼らず、現在の二人として新しい曲を始めた時期の公式映像です。
過去のヒット曲ではなく新曲を選んだことにも、復元ではなく再出発という意味がありました。
2020年代、堂珍嘉邦は声を「最大」にせず、曲ごとに選ぶようになった
再始動後も、堂珍さんはソロと舞台をやめませんでした。
CHEMISTRY、ソロライブ、ミュージカルという異なる場所を往復し、それぞれを別人格として切り離すのではなく、一人の表現者が持つ選択肢として扱っています。
オーケストラとの共演では、慣れた曲も編成が変われば、景色をもう一度作り直す必要がありました。
ソロライブではロックやジャズを含む幅広い曲を扱い、舞台では作品の世界に合う声を探します。
こうした経験は、最高音や声量を更新する方向だけには進みません。
一行をあえて流す、短い言葉だけを太くする、ファルセットへ移るといった選択の幅として現れます。
2024年の「Play The Game」は、二人の声を常に重ねるのではなく、それぞれの個性と重なりの効果を使い分ける近年のCHEMISTRYを確認できる公式映像です。

2026年の25周年で残ったのは、透明感ではなく「戻り方」だった
2026年、CHEMISTRYはデビュー25周年を迎えました。
オーディションで選ばれた二人が長く続いた理由を、声質の相性だけで説明することはできません。
堂珍さんは一度、感情を声の強さで表そうとして、自分の得意なものを狭めました。
その後はデュオを離れ、一人でロックを歌い、舞台で太い声を知り、再び川畑さんの隣へ戻っています。
初期から変わらないのは、ファルセットの美しさや甘い音色だけではありません。
相手の声を聞き、自分の声を押し出しすぎず、それでも輪郭を失わない場所へ戻れることです。
現在は、CHEMISTRYらしさと堂珍嘉邦らしさのどちらかを選ぶ必要がありません。
二人で歌う時には二人の声へ戻り、一人で立つ時には別の太さや色を選べます。
25年で増えたのは、声の高さよりも、自分の声へ帰る経路でした。
現在の高音、ファルセット、川畑要さんとの声の重なりを仕組みから知りたい方は、堂珍嘉邦さんの歌い方・発声分析もあわせてご覧ください。
堂珍嘉邦の歌唱変遷は、美声を壊して作り直す物語だった
デビュー当時の堂珍嘉邦さんは、本人が迷うより先に「透明感のある声」として広く知られました。
しかし、完成形として見られるほど、自分の感情をどこへ置けばよいのか分からなくなり、一時は吼えるような歌い方へ進みます。
活動休止後のソロと舞台は、その迷いをなかったことにする時間ではありませんでした。
一人で曲を背負い、太い声も自分のものにしたことで、強さを使う場所と使わない場所を選べるようになります。
そして再始動後に戻ったのは、2001年の歌い方そのものではなく、川畑さんと歌う時にだけ現れる関係でした。
堂珍さんの歌唱変遷は、透明な声へ別の技術を積み上げた歴史というより、一度見失った美声を、本人の意思で選び直していく物語です。
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