徳永ゆうきの歌声はどう変わった?こぶし少年から「第二章」まで

徳永ゆうきの歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

徳永ゆうきさんの歌声は、演歌を離れて別人になったのではありません。
子どもの頃から自然に回っていたこぶしを少しずつ整理し、ポップスの旋律、裏声、芝居で得た表現を受け入れることで、同じ声の行き先を増やしてきました。

変化を決定的に見せるのは、2018年の「Lemon」と2024年の扁桃腺手術です。
前者は演歌の外でも声が届くと知った出来事、後者は声の高さと息の長さを数字で見直す出来事でした。
30歳で掲げた「第二章」は、原点回帰でありながら、デビュー時と同じ場所へ戻ることではありません。

幼少期から2012年|合唱でも一人だけこぶしが回った

大阪市此花区で育った徳永さんの家には、奄美大島にルーツを持つ家族が好む演歌や昭和歌謡が流れていました。
小学校4年生頃に千昌夫さんの「北国の春」を歌い始め、合唱コンクールでも無意識にこぶしを回していたといいます。

中学生になると近所のカラオケ喫茶へ通い、年上の客が喜ぶ懐かしい歌を覚えていきました。
ここでは新しい発声法を習ったというより、歌を誰かへ届ける感覚が育っています。

進路は鉄道の仕事と歌手の間で揺れていました。
友人に誘われて出場した「NHKのど自慢」で大阪大会の週間チャンピオンとなり、2012年のチャンピオン大会でグランドチャンピオンを受賞します。
生演奏と客席の拍手が、趣味だった歌を仕事へ切り替えました。

2013〜2014年|新人時代から純演歌だけではなかった

2013年、18歳で上京し、BEGINの比嘉栄昇さんが手がけた「さよならは涙に」でデビューしました。
翌年にはTHE BOOMの宮沢和史さんによる「平成ドドンパ音頭」を発表し、日本レコード大賞新人賞を受賞しています。

幼少期から演歌一筋だった歌手の最初の二作を、ポップス畑の作者が手がけたことは、その後の進路を先取りしていました。
声はすでに演歌の節を持ちながら、作品側は早くから境界の外へ開かれていたのです。

2016年|「函館慕情」で、こぶしを回しすぎない歌へ

4作目の「函館慕情」は、水森英夫さんが作曲した本格演歌です。
原点へ戻る作品に見えますが、歌い方には重要な修正が入りました。
徳永さんは後年、この時にこぶしを回しすぎないよう指導され、歌い方が変わったと振り返っています。

自然に出るものを増やすのではなく、女心を描く言葉が見える量まで減らす。
この経験は、2018年以降にポップスを歌う時の準備にもなりました。

渋谷節だよ青春はを歌う徳永ゆうき

2018〜2019年|「Lemon」で演歌の外に声の居場所ができた

2018年、テレビ番組で米津玄師さんの「Lemon」に挑戦します。
当時はポップスをほとんど聴かず、途中で新しい旋律が現れる構成にも不慣れでした。
約一か月練習し、こぶしを抑えて歌ったものの、本番では少し節が出てしまいます。

本人は失敗したと思いましたが、その残ったこぶしが心地よいという反応が広がりました。
演歌の要素を完全に消さなくても、ポップスの旋律を尊重すれば新しい歌として届く。
この成功からポップスライブやカバーへの要望が増えていきます。

2019年には、つんくさんが手がけた「渋谷節だよ青春は!」で、踊りと街のリズムを取り込んだ“ポップン演歌”へ進みました。
演歌とポップスの間を行くことが、企画ではなく本人の持ち場になった時期です。

2020〜2021年|「車輪の夢」で裏声という新しい声区へ

2020年の「車輪の夢」は、上京時の列車と故郷への思いを重ねたポップス調の曲です。
オリジナル曲では初めてファルセットへ挑み、こぶしも極力減らしました。

これは声を細くしたというより、太い声だけで曲を運ばない選択です。
季節が移る旋律に合わせて軽い声を使い、途中で曲調が変わるJ-POPらしい構成にも対応しています。

2021年には配信作品「徳永、奏でる」で、さらにポップスのカバーをまとめました。
演歌の声を捨てず、別の曲型へ乗り換える経験が積み重なっています。

2023〜2024年|10周年と扁桃腺手術が、声を見直す節目になった

2023年、10周年アルバム「徳永がくる」を発表しました。
先行曲「なんとかなるさ」には、朗々とした声で聴く人の肩の力を抜く、当時の徳永さんらしさが集約されています。

同じ頃から扁桃腺の肥大が慢性化し、高音が出しづらく、睡眠にも影響する状態になりました。
薬で様子を見た後、2024年4月に摘出手術を受けます。

術前後の朗読データでは、声の周波数に目立った変化はありませんでした。
一方、一息で伸ばせる時間は6〜8秒長くなり、本人は苦手だった裏声が出しやすくなったと感じています。
声が急に高くなったのではなく、歌うための余裕が増えたという変化です。

医師の許可を受けながら段階的に復帰し、最初の歌番組では意外にも「大都会」の低いハモリを担当しました。
術後を派手な奇跡にせず、声の状態を確認しながら仕事へ戻ったことも重要です。

2025年|30歳で演歌・歌謡曲へ戻した「第二章」

約5年ぶりのシングル「明日への翼」で、徳永さんは30歳の節目に演歌・歌謡曲路線へ戻りました。
ただし、若い頃の原点をそのまま再現したわけではありません。

本人は、前半を語るように進め、サビで大きく歌い上げる曲だと説明しています。
ポップスで学んだ抑制、俳優活動で触れた物語、手術後に増えた息の余裕を抱えたまま、重厚な歌へ戻ったのです。

この時、香西かおりさんから以前と歌い方が変わったと言われたものの、徳永さん自身にも原因は一つに絞れませんでした。
2016年の指導、ジャンルを越えた経験、手術が、ゆっくり重なった変化として受け止めています。

徳永ゆうきさんの現在の発声を詳しく知りたい場合は、こぶしを減らすほど個性が見えた理由もあわせて確認してください。

2026年|「プッシュ」46回で、歌声とキャラクターが一つになった

2025年10月に配信され、2026年1月にCD化された「明日に向かってプッシュプッシュ」は、テレビ番組で生まれた言葉を曲にした作品です。
歌詞には「プッシュ」が46回登場し、録音では高いテンション、低いテンション、落ち込んだ時など、さまざまな言い方を試したと明かしています。

新人時代は、若いのに貫禄のある「日本の孫」として登場しました。
現在は、演歌の声、ポップスへの対応力、俳優やバラエティで見せた人柄までが、同じ一曲の中に入っています。
歌唱の変化が、活動の幅と切り離せなくなった段階です。

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まとめ|変わったのは声の土台より、声が走れる路線だった

徳永ゆうきさんの土台には、幼い頃から自然に回ったこぶしと、明るく朗々と届く声が残っています。
変わったのは、その声を演歌だけに乗せる必要がなくなったことです。

「函館慕情」で節を整理し、「Lemon」でポップスへ開き、「車輪の夢」で裏声を加え、手術後は息の余裕を得ました。
「明日への翼」で原点へ戻り、「プッシュプッシュ」では人柄まで声の一部にしています。

鉄道の仕事と歌手の間で迷った少年が選んだ列車は、一本の線路だけを走ってきたわけではありません。
徳永さんの歌声は、演歌という機関車を残したまま、停まれる駅を増やしてきたのです。

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