堀江美都子といえば、まず「キャンディ キャンディ」の明るい声を思い浮かべる人が多いだろう。
けれども本人が歌で繰り返し重視しているのは、高い音を目立たせることより、歌詞が聴き手に届くことだ。
勇ましい主題歌、少女の物語、仲間と歌うロボット作品。
同じ人の声が違う場面に自然に入っていけるのは、声色を使い分ける以前に、歌が伝えるべき言葉を見定めているからではないか。
「歌詞が聴こえる」ことを、歌の土台にする
堀江は若いころ、歌詞が聞き取れない歌ではいけない、子どもに美しい日本語を届けなければならないと教えられたという。
アニメの主題歌は、作品を観ている子どもが何度も耳にし、自分でも口ずさむ歌だ。
そこで言葉があいまいになれば、どれほど魅力的な高音でも物語の入口がぼやけてしまう。
彼女が言葉を大切にするのは、発音の正確さだけを競うためではない。
「キャンディ キャンディ」は、主人公の名前を冠した曲だ。
歌の気分が弾んでいても、主人公が誰で、どんな気持ちで前へ進むのかが伝わらなければ、作品の主題歌としての役割を果たせない。
堀江は昔のアニメソングに、覚えやすいメロディー、子どもも歌える音域、普遍的な言葉があったと話している。
歌声の明るさは、その分かりやすい設計の上で生きている。

画像:公式掲載元。
もっとも、明瞭に歌うことと、一語一語を同じ強さで押すことは別だ。
堀江は歌詞を読み、好きな表現や共感できる場所、作品の中で一番言いたいところを探すという。
歌全体の中に焦点をつくる。
その焦点があるから、言葉が単に並ぶのでなく、聴き手に向かう。
元気な声の奥に、登場人物への想像がある
堀江は「ぼくらきょうだい てんとう虫」を挙げ、親を亡くしたきょうだいが頑張る作品を歌うとき、自分には同じ経験がなくても、その境遇を想像することが大事だと話している。
きょうだい愛を表す言葉に共感し、そこを軸に歌を作るという。
曲名だけを見れば親しみやすい子どもの歌だが、明るい声の下には、人物の立場を考える作業がある。
「紅三四郎」のような勇ましい歌と、「キャンディ キャンディ」のように少女の希望を映す歌を、同じ明るさで一括りにはできない。
堀江自身も、作品ごとに沿った歌を歌うことが大切だと述べている。
大きな声が出る子どもだった、と初録音を振り返る一方で、歌詞の世界を想像すると元気に歌える、とも話す。
声量を先に用意するのではなく、物語に気持ちが入ることで声の方向が決まる。
彼女の説明からは、その順番が見えてくる。
一人で前に出る歌、仲間と進む歌
「ボルテスVの歌」では、堀江の声に男性コーラスと児童合唱が加わる。
作品の主役がチームであることに合わせ、男女の声を交えた合唱が考えられたと本人は語る。
ここでは一人の歌手が全てを独占するより、複数の声の中で主題をはっきり示す役割を担う。
少女の内面に寄り添う「キャンディ キャンディ」と、仲間を前へ進ませる掛け声を含む曲とでは、歌が向かう相手も違う。
独唱と合唱が交わる曲では、一人の声の強さに加え、他の声へどう渡していくかにも耳を向けたい。
本人が述べる「作品に沿った歌」という軸は、どの曲で自分の声を前に置き、どこで全体の中に置くかを理解する助けになる。
「君がいるから」は、親しみやすさだけで歌を決めない
子どもに向けた歌だからといって、いつも軽やかで可愛らしい曲になるわけでもない。
映画『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』の「君がいるから」は、その分かりやすい例だ。
2020年のReal Soundの取材で、堀江は当初、ロック調の編曲が作品に合うのか驚いたと話している。
しかし、アクションの多い映画の中で流れると、その音楽がぴったりだと感じたという。
よく知るキャラクターの歌でも、目の前で描かれている物語に合う声が必要になる。
「ドラえもんの歌ならこんな感じ」と先に決めてしまえば、その映画だけが持つ緊張や力強さを取り逃がしてしまう。
この曲では、伴奏の強さを受け止めて歌を届けることと、子どもに分かる言葉で伝えることが同時に求められる。
堀江の明るい声を、曲調の明るさと同じものとして扱わないためにも、聴いておきたい一曲だ。
「オー!リバル」では、勢いの中から情熱を選ぶ
歌の焦点を選ぶ作業は、他の歌手の曲をカバーするときにも行われている。
2020年の『One Voice』で歌ったポルノグラフィティの「オー!リバル」について、堀江は原曲の疾走感が好きだと語った。
ただし自分の表現では、スパニッシュな雰囲気と情熱を強調したいと考えたという。
原曲にひかれた理由を、そのまま自分の歌の唯一の見せ場にはしなかったのだ。
別の取材では、遠山哲朗のギターに触発されて、このカバーの形ができたとも話している。
歌い手だけで声の表情を決めるのではなく、楽器の響きに応じて歌を作る。
速さに乗る面白さと、言葉に熱を持たせる面白さのうち、どこを前に出すかが変われば、同じ曲にも別の入口ができる。
明るく通る声という印象の中にも、伴奏とともに選ばれたさまざまな表情がある。
懐かしい主題歌を、いま歌うとき
長く歌っている曲ほど、自由に変えてよいわけではない。
堀江は水木一郎と共演するときなど、昔と違う歌い方になっていれば録音当時を思い出そうと声を掛け合う、と話している。
観客が持つ曲のイメージを大事にするためだ。
原曲の記憶は、歌手にとっての制約であると同時に、聴き手と共有できる大きな力でもある。
だからといって、昔の自分の録音を機械的に再現しているわけでもない。
堀江は体調や声の状態に応じ、響かせ方を調整しながら、変わらず届く声を目指しているという。
聞き慣れた主題歌がその曲のままであること。
そのために、毎回の歌には現在の判断が必要になる。
懐かしい曲が懐かしさだけで終わらない理由はここにある。
録音でも、一つの音だけを整えればよいとは考えていない。
『One Voice』について、堀江は自分の声の出し方には流れがあり、部分的に直すと不自然になるため、細かな部分修正をしなかったと説明している。
本人には気になるところが残っても、声が前後へつながっていく感触を優先したのだ。
音程や発音を一音ずつ確かめる聴き方に加え、一つの言葉が次の言葉へどう続くかを追うと、この考え方が分かりやすい。
言葉を届けることは、歌を細切れにすることではないのである。
高音の華やかさを支えるのは、言葉の行き先
堀江美都子の歌を「よく通る高い声」と呼ぶのは簡単だ。
しかし本人が選んでいるのは、その声で何を届けるかだ。
子どもが聞き取れる言葉を土台にし、作品の人物が感じることを想像し、歌の中の大切な箇所を見つける。
声が明るく響く場面にも、物語から離れない判断がある。
同じ声を使ってきた長い年月に、どんな曲と出会い、何を変えてきたのかは、堀江美都子の歌声の変遷で追っている。

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