三原健司(フレデリック)の歌唱変遷|「オドループ」から「サイカ」へ、声を信じられるまで

フレデリックの三原健司 シンガー

フレデリックの「オドループ」を知っている人でも、2022年の代々木公演で三原健司が一人で弾き語りした「サイカ」には、別の問いが浮かぶかもしれない。踊れるバンドの中心で歌う声を、伴奏も間合いも自分で決める歌の中心に置いたからだ。本人はかつて、その個性的な声がバンドを引っ張るには向かないのではないかと悩んでいた。二つの曲の間に起きたのは、声を別人のものに変えることではない。自分の声に任せられる役割が増えていく過程だった。

「オドループ」の声は、初めから迷いがなかったのか

フレデリックは神戸で結成され、2014年の『oddloop』でメジャーデビューした。三原健司が歌い、双子の弟の康司が楽曲を作る。初期の代表曲「オドループ」は、反復する言葉とリズムでバンドの名前を広めた。歌を聴き手に覚えてもらう力は、すでにこの曲にある。

けれども、本人にとってその歌声は、ずっと自信を持てたものではなかった。中学生のころ、高い声をからかわれた経験がある。友人がカラオケでの歌を褒めたことが、プロを目指すきっかけになったと、後年の取材で振り返っている。人から言われた同じ声が、欠点にも可能性にも見えたのだ。

この曲は後年のライブでも繰り返し歌われたが、当初の曲と、観客への呼びかけを持ち込む演奏とでは、声に託す役割が違う。同じ「オドループ」で何が変わったかをたどるには、初期の歌と2023年の演奏を、それぞれの場の違いも含めて考える必要がある。

2015年、語り手にも直接訴える人にもなった

早くも2015年のミニアルバム『OTOTUNE』では、健司は一つの歌い方だけに自分を閉じ込めていない。本人は「USO」について、登場人物の感情を代弁するより、物語を広く見渡す語り手のような役割を考えたという。歌謡曲を思い浮かべ、息を多めに含む歌い方を試したとも話している。声を前へ強く押し出すだけでなく、一歩引いて情景を渡す選択だ。

一方、同じ作品に収めた「ハローグッバイ」は、メンバーの脱退を経験したバンドが、それでも前へ進むと伝える曲になった。健司はそのメッセージをきちんと歌うのが自分の役目だと述べている。語り手として距離を取る「USO」と、今の自分たちの言葉を直接渡す「ハローグッバイ」。この対照は、後年になって突然表現力が現れたわけではないことを示す。

康司もこのころ、健司の歌が自分の想定を越えたと語っている。作曲者のイメージ通りに声を乗せるだけでなく、歌い手が曲の受け取り方を動かし始めていた。ただし、この挑戦が直ちに本人の迷いを消したわけではない。

フレデリックの三原健司
2015年の取材に登場した三原健司。写真出典:SPICEの2015年取材(撮影:菊池貴裕)

2016年、「変わるのが怖い」と思いながら歌った

健司は後年、2015~16年を、自分の声や歌い方と向き合い、曲を書く康司とは別にバンドの中で何ができるか悩んだ時期だと説明した。特徴的な声がフロントマンとして強すぎるのではないか。歌い方を変えたら、以前の粗削りな歌のほうがよかったと言われるのではないか。そんな不安を抱えていたという。

その時期の手がかりとして本人が挙げるのが、2016年のアルバム『フレデリズム』に入った「ナイトステップ」だ。自分を縛る思い込みを脱いでもよい、と歌詞を通して自分自身に言い聞かせていた。曲が転機だったという本人の言葉はある。ただし、ここで発声法が一日にして入れ替わった、とまでは言えない。変わることへの怖さを抱えたまま、別の表現を選ぶ許可を自分に出した段階と捉えるのが自然だ。

新しいドラマーの高橋武が加わってバンドの形が整うなか、健司はメンバーとの会話やライブを通して、自分にしかできない部分を伸ばしていけばよいと考えられるようになったと話す。大きな転機を一曲だけの功績にせず、その後の演奏の積み重ねまで見ると、迷いがほどける道筋が分かる。

2017年、声を変えるより、その声で向き合う

2017年の別の取材で健司は、「オンリーワンダーランド」と呼ぶツアーのころに、自分の声で続けていけるかという不安を一度整理できたと語っている。目を向けたのは、声を嫌う人の評価に合わせて別の声になることではなかった。今の声を良くできるのは自分自身であり、ライブでその価値を示していこうと考えたという。

この発言を読むと、「ナイトステップ」がもたらしたものの輪郭も見えてくる。曲を歌った瞬間から迷いが消えたのではなく、選択を変えてもよいと考え、舞台で実践し、観客の反応を受けて自分の声を引き受けていった。健司自身、初期の『うちゅうにむちゅう』のころと比べて歌は大きく違うと振り返りつつ、歌に向き合う気持ちは当時から持っていたとも話している。以前の歌を否定して現在の歌に乗り換えた、という単線ではない。

同じ2017年、正式メンバーになった高橋を含む四人で発表したのが「かなしいうれしい」だ。メンバーは、演奏の途中で互いにアドリブを入れ、健司の歌に応じて楽器側が変わることもあると説明した。健司は突然の変化も歓迎すると話し、赤頭は、以前より器用になったというより伝わりやすくなったと感じると述べた。

「かなしいうれしい」では、高橋がサビのハイハットを開けないという提案をした。歌の伸びが埋もれないようにするためだという。歌い手だけが変わったのではない。バンドも声が届く場所を演奏の中に作り、歌とリズムの両方を生かそうとしていた。2015~16年の「自分の声はバンドの中でどう役立つのか」という問いに、四人の音で答えを探す時期だった。

2022年、「サイカ」で歌を一人に預けられた

2021年発表の「サイカ」は、康司が健司の歌を信じて書いた曲だという。翌2022年の代々木公演で健司は、バンドの演奏から離れ、この曲を一人で弾き語りした。曲の選択も、かつて自分の話し声をコンプレックスに思っていたことを観客へ話したことも、偶然ではない。踊れる曲の楽しさだけでなく、歌そのものに向き合ってほしいという思いがあった。

本人は、その場ではリズムも歌う間も自分で決められ、自分が動くと空気が変わることを楽しめたと振り返っている。歌えば歌うほど肯定される感覚があったという言葉が印象的だ。初期の「オドループ」で声がバンドの推進力になっていたことと、ここで歌が一人で空間を支えられたことは、優劣ではない。かつて「個性的すぎる」と考えた声に、別の居場所を見いだしたのである。

「サイカ」は2021年に発表された曲で、健司が一人で歌ったのは翌年の公演だった。同じ曲を選びながら、バンドの一員として歌うところから、一人で間を決めるところへ。作品を発表した時点の考えが、公演で別の経験につながった。

2023年、「オドループ」に戻っても同じところには戻らない

2023年の『THE FIRST TAKE』で、フレデリックは「オドループ」と、その年の「スパークルダンサー」を選んだ。健司によれば、前者は四人の演奏の意味が強く、ライブで最も輝く曲。後者は、常に新しい曲を大切にするバンドの現在を示すための選択だった。過去の成功だけに寄りかからず、現在の演奏と並べて見せようとしたのだ。

ここで「オドループ」の一番Aメロに現れる観客への呼びかけは、原曲に最初から固定された歌詞ではない。健司は、ライブ中に突然話し始めた経験から生まれたもので、ギターやドラムのフレーズ変更と同じように自分の言葉もライブアレンジだと説明している。期待されていると感じたときには、あえて普通に歌うこともあるという。反復する曲の中に、その日の相手へ反応する余地を作っている。

この変化を、単に「歌詞を崩すようになった」と書くと狭い。2015年には語り手と直接伝える人を使い分け、2016年には変わる怖さと向き合い、2022年には一人の歌に場を委ねた。2023年の「オドループ」では、同じ曲の中でも、歌うか話すかをその場で選べる。健司にとって歌声は、決まった旋律を再現する役割だけではなくなった。

フレデリックの三原健司
2023年のステージで歌う三原健司。写真出典:THE FIRST TIMESの2023年取材

変わったのは声質より、声に任せる仕事

2023年、健司は声帯ポリープの手術に向けて休養することも発表した。本人は長く医師と相談し、準備してもリハーサルで声が出ない日があったため予定を早めたと説明している。この経緯は大事だが、手術の前後を音源だけで比べて声質や技術の変化の原因と断定することはできない。本記事が追ってきた転機は、病歴ではなく、本人が語った曲とステージでの選択である。

「オドループ」に立ち返ると、覚えやすい反復の歌は今もフレデリックの中心にある。しかし、そこにとどまってはいない。「USO」の語り手、「ハローグッバイ」の直接的な言葉、「サイカ」の一人で決める間、そしてライブで変わる「オドループ」。自分の声を替えようとしたのではなく、その声で引き受けられる仕事を増やしてきた。具体的な曲ごとの声とリズムの設計は、三原健司の歌い方で扱っている。

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