キュウソネコカミのヤマサキセイヤは、短い言葉を勢いよく投げる歌い手に見える。
けれどその言葉の全部を、本人だけが歌い切るわけではない。
観客が一緒に言いたくなる箇所を作る一方、聴いてほしい曲では声と演奏を引く。
2023年のアルバム『私飽きぬ私』には、不安を叫ぶ表題曲と、淡々と歌う「ひと言」が同居した。
声の大きさを一つの持ち味として固定しないところに、この人の歌い方が見える。
「客席も言える」は、最初から計算した結果ではなかった
初期の「DQNなりたい、40代で死にたい」は、今では客席との掛け合いが印象的な曲だ。
ただ、メンバーのヨコタシンノスケによれば、もともと掛け合い用に設計した歌ではなかった。
自分たちが言いたいことを曲にしたら、観客が同じ語句を返すようになった。
その反応を見て初めて、どんな言い方なら客席が参加しやすいかを考えるようになったという。
ドラムのソゴウタイスケは、ヤマサキのフレーズが意味のない掛け声ではなく、思わず言いたくなる言葉だから客も口にすると見ている。
ここでは「速く歌えるか」だけを測っても答えに届かない。
短く切れる言葉に、自分も言ってみたいと思う可笑しさや本音がある。
その言葉を歌手が先に口にするから、客席から返ってくる。
ヤマサキ自身は、客がどこでも声を重ねればよいとは考えていない。
ライブでは、歌ってほしい場面と聴いてほしい場面を分けて伝えるという。
観客に渡す言葉が際立つのは、ほかの言葉を歌手の手元に残すからでもある。
ヨコタたちは新曲をライブで試し、反応が返るか、体を動かしやすいかを見て変えてきた。
客席は完成品の受け手にとどまらず、歌の形を確かめる相手だった。
この確かめ方には、身体の動きも含まれる。
ヤマサキはスタジオで自ら踊り、気持ちよく動けるかを試してからライブへ持ち込むと話している。
机の上で短く覚えやすい文を作るだけでは、実際の返事の出やすさまでは決まらない。
客席と歌を分け合うために、曲の流れに身体が自然についていくかを、自分たちでも試していた。
「冷めない夢」の絶叫は、一回へ集中して録る
歌手自身が強い声を引き受ける例には、2020年の「冷めない夢」がある。
この曲の終わりの絶叫について、ヤマサキは何度も録り直せるものではないため、一回で決めるつもりで集中したと話した。
終わりの一声を、録り直しの回数も考えながら狙っていたことがわかる。
歌う内容も、自分たちがキュウソネコカミというバンドを追い続ける決意だった。
誰かを笑う曲とは違い、自分自身にも突きつける言葉を、最後に自分の声で受け止める。
掛け合いの上手さとは別に、観客へ預けず、本人が言い切るからこそ意味を持つ場面がある。
録音で一回に集中したという話は、そんな言葉の重さと声の強さを結びつけている。
「私飽きぬ私」の短い言葉は、不安を整えすぎない
表題曲「私飽きぬ私」は、前向きな言葉を綺麗に並べた歌ではない。
公式に提供された歌詞では、見栄や疲れを吐き出す短い文が重なり、何度も題名の言葉へ戻る。
短い本音を一つずつ出し、最後には自分を見捨てない言葉へ戻る構造になっている。
ヤマサキはこの曲を作った時期、バンドの活動が続くかどうか不安だったと明かした。
明るい歌で不安を消したふりをするのではなく、その不安を声に出したかったという。
短い言葉が次々に出てくるのは、余裕のある説教のためではない。
きれいな結論が出ないまま、舞台にいる自分の気持ちを観客へ開くためだ。
サビで繰り返す言葉も、最初から完成した強い人の宣言というより、何度でも自分へ言い直す言葉として読める。
コロナ禍には、観客から返る反応が手拍子や声を出さない笑いに限られ、新曲がライブに定着しにくかったとも本人は振り返る。
それでも「私飽きぬ私」は、長く演奏できる曲になったという。
大勢が返事をする仕掛けに頼れない時期に、自分の不安そのものを歌の中心に置いた。
返ってくる声の大きさだけでは、歌が届いたかどうかは決まらないことを示す曲でもある。

写真出典:SPICEの2023年記事
「ひと言」は、同じアルバムで声を引く
同じアルバムの「ひと言」は、表題曲と反対の方向からヤマサキの声を見せる。
神戸新聞は、この曲を抑えた曲調で淡々と歌う作品と記した。
本人は当初弾き語りとして作り、バンドの曲にするまで苦労したと話す。
ヨコタによれば、メンバーが各自の音を足すより、引き算しながら確かめる作り方をした。
ここでヤマサキが抑えているのは、言葉の重さではない。
言葉によって人が傷つくことを扱う曲だからこそ、演奏も声も常に大きくしない。
前の曲では不安を叫び、こちらでは淡々と置く。
同一アルバムの中で二通りの距離を取れることが、「勢い任せ」という印象を崩す。
静かな曲を例外として片づけるより、どの曲にどれほど声を使うかという選択として見ると面白い。
強い声を出す場面にも、力が入りすぎる難しさはある。
THE BOYS&GIRLSのワタナベシンゴとの対談で、ヤマサキは初めての大きな会場では自分で気づかない力が入り、喉に来ることがあると応じている。
そこで声を失った経験を語ったのはワタナベだが、ヤマサキの返答からも、勢いと余計な力を同じものとは考えていないことがうかがえる。
気持ちを込めているつもりでも、緊張で身体が固まることはある。
叫ぶ表現を魅力として語るときにも、この本人の実感を併せて考えたい。
「ネコカミたい」は、昔からの客も初めての客も呼ぶ
2024年の「ネコカミたい」は、「ビビった」への応答として書かれた。
FM大阪の取材でヨコタは、サビの後に入る掛け声のような箇所を残したことで、ライブでは旧曲と同じように観客が参加できると話す。
以前の曲を知っている人には合図として働き、初めて聴く人にも短い返事の場所ができる。
一方、ヤマサキはこの曲を、今ライブに通う人だけに向けてはいない。
一瞬でもバンドに触れた人へ、また会える場所があると伝えたかったという。
客席に言わせるフレーズだけを増やしているのではなく、声を届けたい範囲を考えている。
声の勢いが、昔の自分たちを誇示するためだけでなく、離れていた人を迎え直すためにも使われている。

写真出典:和歌山経済新聞の2024年記事
ヤマサキの歌い方を「早口で叫ぶ」とまとめると、いちばん大切な使い分けが抜ける。
客が言いたくなる短い言葉を見つける。
不安なら飾らず声にする。
重い言葉なら抑えて残す。
必要なときは観客へ返事を渡す。
その判断を曲ごとに変えるから、強い声も静かな声もキュウソネコカミの歌になる。
こうした選択が活動の中でどう広がったのかは、ヤマサキセイヤの歌唱変遷で追っている。

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