高垣彩陽の歌唱変遷|地声を広げ、クラシックに戻り、力を抜く声に出会う

2026年「愛のファンファーレ/魔法の音」インタビュー掲載の高垣彩陽 シンガー
2026年「愛のファンファーレ/魔法の音」インタビュー掲載の高垣彩陽

高垣彩陽の歌は、音楽大学で学んだ声楽を土台に、ミュージカルやポップスの表現を重ねてきました。
その歩みには、地声で歌える範囲が広がった喜びも、慣れ親しんだクラシックを思うように歌えなかった経験もあります。
さらにソロデビュー15周年を経た「魔法の音」では、歌い方の癖を見直す中で、自分でも知らなかった声に出会っています。
本人が振り返った録音や共演の経験から、発声と表現がどのように広がってきたのかをたどります。

声楽を続けながら、地声で歌える範囲を広げる

ソロデビュー前の2009年、高垣彩陽はクラシックの声楽を続ける一方で、ミュージカル系のボイスレッスンを始めていました。
そこで取り組んだのは、それまで学んでいたクラシックとは異なる、地声の発声です。
本人は、このレッスンによって地声の音域が広がったと話しています。

歌える範囲が広がることは、本人にとって、諦めかけていたことにも可能性を感じられる経験でした。
声楽で学んだ歌い方を持ちながら、別の出し方も学ぶ。
高垣の歌の幅は、ソロ活動が始まる前から、そうした取り組みの中で育っていたのです。

2010年7月のデビューシングル「君がいる場所」では、カップリングに声楽の経験を生かせるカバー曲を入れることになりました。
きっかけは、音大で学んだ一面も見せられるのでは、というマネージャーの提案でした。
これをきっかけに、クラシックやミュージカル、映画音楽のカバーを発表し、2011年にはカバーミニアルバム「melodia」へとつながります。
オリジナル曲とカバーを並行して歌う活動には、学んできた発声を、自分名義の作品でも届ける意味がありました。

ミュージカルの後、クラシックの歌い方を学び直す

2018年「melodia 4」インタビュー掲載の高垣彩陽
2018年「melodia 4」インタビュー掲載の高垣彩陽。
画像出典:写真掲載元

複数の歌い方を経験していても、その切り替えがいつも簡単にできるわけではありません。
その難しさが表れたのが、2018年の「melodia 4」に収められた、シューベルトの「Ave Maria」の録音でした。

高垣が特に好きだったのは、「カッチーニのアヴェ・マリア」として知られる曲でした。
ただ、その歌唱はすでにコンサート映像として残っていたため、今回はまだ歌ったことのないシューベルトの曲を選んでいます。
親しんできたクラシックの中でも、新しい一曲に向き合う録音でした。

この年の7月、高垣はミュージカル「ひめゆり」に出演していました。
公演が終わった直後にアルバムの録音が始まり、最初に取り組んだのが「Ave Maria」です。
ところが、ミュージカルで主に地声の強い声を使っていたため、クラシックの歌唱法へうまく切り替えられなかったといいます。

本人はそのままの歌に納得せず、改めて声楽のレッスンを受け、後日録り直しました。
長く学んできた歌い方であっても、別の発声を使った舞台の後には、もう一度整える必要があったのです。
この経験は、高垣がそれぞれの歌唱法の違いと向き合い、作品に合う状態を作り直した場面として捉えられます。

本人は、歌うのが怖くなるほど落ち込み、スタジオの一室で膝を抱えていたと明かしています。
朝に録音し、午後はアニメの収録へ向かい、夜にまた戻るような日もある、時間の限られた制作でした。
その中で録り直しに応じてくれたスタッフへの感謝とともに、完成した歌はその時点の最善でも、自分の足りない部分に気づいたと振り返っています。
レッスンを続ける必要を、実際の録音から感じ直した経験だったのです。

クラシックそのものへの思いも、この頃にはいっそう強くなっていました。
2016年のオーチャードホールでのクラシカルコンサートを経て、本人はクラシックを自分に欠かせない要素として実感しています。
ミュージカルなどの経験を増やしながら、声楽の土台にも戻る。
2018年の録り直しには、その両方を大切にする姿勢が表れています。

2018年、親しんだミュージカルを日本語で届ける

同じ作品では、歌う言葉にも新しい選択がありました。
2016年のコンサートを観た演出家・翻訳家の小林香から、日本語の曲も歌ってみてはどうかと勧められたことが、その出発点です。
次のカバー集ではミュージカルの曲を小林の日本語詞で歌いたいと、高垣は考えていました。

その願いが「Journey to the past~心のままに~」になりました。
翻訳の許可がなかなか下りず、収録できるか分からないまま録音の日を迎えましたが、スタジオに着いて許可が出たと知らされたそうです。
本人は、そのときの気持ちが晴れる感覚も振り返っています。

日本語詞になったことで、映画『アナスタシア』の物語を離れても受け止められる歌になったと感じていました。
ミュージカルの舞台で学んできたことも、この歌へ乗せたい。
声楽へ戻る録音と並んで、舞台の経験を新しい言葉の歌へ持ち込む試みがありました。

2024年、豊崎愛生との歌で知る、語りかける難しさ

2024年には、スフィアで長く一緒に歌ってきた豊崎愛生と、互いのソロ曲をデュエットとして録り直しています。
そのうち「See You Tomorrow」を選んだ豊崎が挙げたのは、高垣の低い声の魅力でした。
少しハスキーさの混じる低音や、低いところでのフェイクを生かせる曲だと思ったと話しています。
高垣にとっては、自分も好きで聴いていた相手の曲を歌える、嬉しい機会でした。

ところが、聴いて素敵だと思っていた語りかける歌は、自分でやると難しかったそうです。
気持ちを大きく表しすぎると、相手へ押し付けてしまう。
豊崎の自然な歌に惹かれながら、詞の情景を大切にし、自分らしさも残す方法を探しました。

自分の持ち歌「私の時計」を二人で録ったときは、積み重ねたライブの風景やバンドメンバーの姿が浮かび、歌い終えたあとに泣いたといいます。
昔の曲の意味が別のものに変わったというより、一緒に過ごした時間が戻ってきたのだと、本人は説明しています。
相手の歌へ近づく経験と、持ち歌に刻まれた思い出を受け取る経験が、一枚の作品の中にありました。

「魔法の音」で、固まってきた歌い方を動かす

2026年「愛のファンファーレ/魔法の音」インタビュー掲載の高垣彩陽
2026年「愛のファンファーレ/魔法の音」インタビュー掲載の高垣彩陽。
画像出典:写真掲載元

2026年3月にCDが発売された、城田優とのデュエット「魔法の音」では、また別の課題に向き合いました。
今回は、普段から大切にしていた明瞭な発音が、歌の流れにどう関わるかという問題です。

声優としてセリフやナレーションを届ける高垣には、滑舌よく話そうとする習慣があります。
その習慣が歌にも出て、ミュージカルの稽古では、歌としては発音がはっきりしすぎると指摘されることがあったそうです。
「魔法の音」の録音でも、ディレクションを担当した城田は、力を入れすぎず、自然に話すように歌う表現を求めました。

冒頭で自分の声が入る部分では、少し気だるい感じで歌うよう助言を受けています。
本人は、こうした力を抜く歌い方をあまりしてこなかったと振り返り、試してみると自分の知らない声が出たと話しています。
城田の細かな要求に何度も挑戦したことが、新しい表現を見つけるきっかけになったのです。

その録音で使った歌詞の紙には、指示を書き込んだ跡がびっしり残っていました。
高垣は、あまり注文されないとかえって諦められたようで不安になることもあり、細かな提案を嬉しく受け止めたそうです。
城田が実際に歌って示す手本を聴くと、自分もそのように歌いたいという気持ちが強くなりました。

それでも、求められたことを理解するのと、声で実現するのは別の難しさがありました。
母音が続く部分の表情や、フレーズの最後の一音まで何度も試し、本人には反省も残ったといいます。
一方の城田は、普段と違う表現を求めた中で、高垣が繰り返し挑戦したことに感謝していました。
本人が感じた悔しさと、共演者が受け取った成果の両方が残る録音でした。

ソロデビュー15周年を経て、歌い方が自分の中で固まってきた部分もあったと、高垣は振り返っています。
その時期に他の歌い手の視点が入ったことで、慣れていた発音や声の出し方を、もう一度動かすことができました。

地声で歌える範囲を増やした喜びの先に、慣れたクラシックを録り直す難しさがありました。
舞台で学んだことを日本語の歌へ持ち込み、共演者からは低い声の魅力や、語りかける表現を見いだしてもらう。
「魔法の音」での新しい声も、そうして何度も自分の歌を見直してきた歩みの先にあります。
高垣彩陽の変遷は、身につけた歌い方を大切にしながら、曲と相手の求めるものに応じて学び直す過程なのです。
声の切り替えや、日本語・語尾の扱いについては、高垣彩陽の歌い方で詳しく取り上げています。

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