ゆず・岩沢厚治の歌声はどう変わった?路上時代から「飛べない鳥」・現在まで

路上時代から飛べない鳥と現在まで岩沢厚治の歌声の変化をたどる記事のアイキャッチ シンガー

岩沢厚治さんの歌声は、若い頃の高音を捨てて別の歌い方へ変わったのではありません。
大きく変わったのは、過去の曲との向き合い方と、高い声が担う物語の幅です。

岩沢さんは、若い頃の曲には未熟な部分があっても、その時点では完成しているという考えを語っています。
現在の技術で昔の曲を修正するのではなく、当時の衝動を壊さず、今の声で再び開くのです。

初期には、路上で二本の声を届かせるための鋭い高音がありました。
「飛べない鳥」では、その声が上ハモリだけでなく物語の中心へ立ち、長い活動の中では、若い曲を歌い直すこと自体が現在地を確かめる作業へ変わりました。

1996〜1998年、路上では高い声が二人の輪郭になった

ゆずは1996年に結成され、横浜・伊勢佐木町で路上ライブを始めました。
1997年に『ゆずの素』を発表し、1998年の「夏色」とアルバム『ゆず一家』で全国へ知られるようになります。

二人だけで立つ路上では、豪華な編成に声をなじませる必要はありませんでした。
北川悠仁さんの主旋律と岩沢さんの高い声が同時に届くこと自体が、足を止めた人へ二人を覚えてもらう看板になります。

岩沢さんは、曲の着想が走っている時に浮かび、自宅へ戻って形にすることがあったと振り返られています。
初期の歌は、後年の完成された活動計画から逆算されたものではなく、その日に生まれた言葉を二人で鳴らすところから始まりました。

公式チャンネルで現在公開されている「からっぽ」の映像は、アップロード日こそ2019年ですが、初期作品の姿を残す公式MVです。
現在のライブ映像と比べる場合は、撮影時期と公開時期を混同しないことが大切です。

2000年、「飛べない鳥」で上ハモリの人が物語の中心へ立った

2000年の「飛べない鳥」は、岩沢さんの歌声を年代で考えるうえで大きな節目です。
高い方を歌う人という印象を保ったまま、自作曲の主旋律として葛藤を直接運ぶ役割が前面へ出ました。

楽曲を扱った第三者の分析では、岩沢さんが担う前半と、北川さんへ旋律が渡った後で、曲の景色が変わると説明されています。
二人の声質の違いが、ハーモニーの美しさだけでなく物語の転換に使われたのです。

若さゆえの勢いを、後年の滑らかさより下に置く必要はありません。
岩沢さん自身の考えに沿えば、その時にしか生まれない切実さまで含めて曲は完成しています。

2009年のステージで歌とハーモニカとギターを担う岩沢厚治

現在公開されている公式MVで当時の作品に触れられますが、後からデジタル化された映像と現在のライブを同条件として比較することはできません。
録音、マイク、映像処理、編成の違いを分けたうえで、曲の中で岩沢さんがどの役割を担うかを見る資料になります。

2001年の「3カウント」は、高音の強さを感情の切迫へ変えた

2001年の「3カウント」では、岩沢さんの高い声が爽やかな上ハモリとは別の顔を見せます。
第三者の楽曲評や聴き手の記録では、追い詰められる感情と、真っすぐ前へ出る声の組み合わせが注目されています。

高音が出る歌手は、明るい曲ほど映えると思われがちです。
岩沢さんは同じ輪郭を、迷いや痛みを逃げずに運ぶためにも使いました。

この時期までに、ゆずの二声は「爽やかなフォークデュオ」という一枚の印象からはみ出しています。
上ハモリで青春の明るさを作る声が、主旋律へ移れば、感情を近距離から突きつける声にもなったのです。

2000年代後半、声を変える前に制作の仕組みが広がった

ゆずの曲作りでは、二人がそれぞれ作った曲を持ち寄り、細かな意図を伝えたうえで最後に二人の作品へ仕上げていく方法が語られています。
岩沢さんの歌声も、作曲者の個人的な感情と、ゆずとして届く形の間を行き来するようになります。

2000年代後半から2010年代初頭には、自分たちのスタジオを使うなど制作環境も変化しました。
変わったのは発声の名称だけではなく、録音の早い段階から歌を入れ、曲全体の温度を決める仕事の進め方です。

「うまく言えない」のような曲では、高音を競うより、言葉がこぼれそうな距離を保つことが曲の中心になります。
初期の鋭さを消したのではなく、同じ声を大きく見せない選択肢が増えていきました。

20周年、若い曲を「未熟だから直す」とは考えなかった

20周年を迎えた2017年、岩沢さんは若い頃の曲について、未熟な面があっても、その時点では完成しているという趣旨の考えを示しました。
この発言は、歌声の変化を上達と衰えだけで比べる見方をひっくり返します。

現在の経験で初期曲を歌えば、発音、呼吸、ステージでの余裕は当時と同じではありません。
それでも若い録音を間違いとして塗り替えれば、その曲が生まれた瞬間まで消してしまいます。

20周年へ向かう時期にも高音とギターで曲を前へ運ぶ岩沢厚治

だから岩沢さんの変遷は、昔の歌い方を卒業して新しい正解へ進む話ではありません。
今の声が過去曲へ近づき、当時の完成形と並んで存在できるようになる話です。

新しい作品を作り続けることも、過去を否定しないために必要でした。
現在の興味を新曲へ向けられるからこそ、昔の曲を昔の価値のまま歌えるという関係が生まれます。

2020〜2021年、過去曲を歌うことが現在の声を確かめる時間になった

2020年のオンラインツアーでは、過去曲を集中的に歌うリハーサルを、岩沢さんがリハビリのようだったと表現しています。
同時に、実際に歌い直すことには手応えもあったと語られました。

ここでの「リハビリ」は、病気からの回復を意味する公表ではありません。
長く歌っていなかった曲の感覚を、現在の体と声へ呼び戻す作業を表した言葉として扱うべきです。

2021年に有観客の舞台へ戻った際には、過去と新曲が同じ公演で鳴りました。
昔の高音をそのまま再現できるかという試験ではなく、現在の二人が過去曲をどう受け取り直すかを、観客と共有する場になっています。

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2025年の「GET BACK」は、25年前へ戻るのではなく並び直す企画だった

2025年、ゆずはアルバム『トビラ』期を再訪する「GET BACK」に取り組みました。
25年前の怒りや焦りを同じ声で再現することはできません。

だから企画の面白さは、若い頃の自分に勝てるかではなく、現在の二人が当時の曲と同じ舞台に立てるかにあります。
録音版とライブ版では編成、会場、マイク、アレンジが違うため、声の太さだけを比べて年齢の変化と断定することはできません。

岩沢さんの「その時点で完成している」という考えを踏まえると、現在の歌唱は過去の上書きではありません。
25年前の曲を保存展示するのでもなく、今の声を隣へ置き、同じ曲に別の時間を通す行為です。

2026年、高音は衰えを測る物差しではなく現在を作る声になった

2026年のゆずは、最新作『心音』と弾き語りツアーを通じて、路上から続く二声と現在の制作を同じ場所に置いています。
新曲「幾重」でも、二人の声は高い方と低い方に固定されず、重なり方そのものが曲の時間を作ります。

年齢を重ねた歌手の記事では、最高音が昔と同じかどうかだけが注目されがちです。
しかし岩沢さんの場合、高音は記録を守るための展示物ではありません。

上ハモリとして北川さんの声へ重なり、自作曲では主旋律として物語を運び、過去曲では当時の衝動と現在をつなぎます。
用途が増えたことで、高い声の価値も「どこまで出るか」から「何を担えるか」へ広がりました。

現在の高音が主旋律と上ハモリでどう働くかは、岩沢厚治の歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

岩沢厚治の歌声は、過去を直さずに現在へ連れてきた

岩沢厚治さんの歌声は、初期の鋭い高音を手放して別物になったわけではありません。
路上で二人の輪郭を作った声が、「飛べない鳥」で物語の中心へ立ち、長い活動の中で過去曲と現在をつなぐ声へ役割を広げました。

若い曲を未熟だから修正するのではなく、その時点の完成形として受け止める考えが、変遷全体の背骨にあります。
今の技術で昔を消さず、現在の声を隣へ置くから、同じ曲に複数の時間が残ります。

最高音だけを比較すれば、この変化は見えません。
誰の旋律を支え、どの言葉を自分で運び、過去の衝動へどんな距離で戻るかを見ると、岩沢さんの歌声が約30年かけて増やしてきたものが分かります。

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