南佳孝の歌唱変遷|カバーとコーラスで広がった、歌う楽しさ

南佳孝の取材掲載写真(2023年掲載、撮影:吉田圭子) シンガー
南佳孝の取材掲載写真(2023年掲載、撮影:吉田圭子)

南佳孝は、長く歌ってきた後に、カバーを通してシンガーとして目覚めたようだったと話しています。
ヒット曲を持つ人が、なぜ改めて歌う面白さを発見したのでしょうか。
もともとは作曲家を志し、自分の旋律と声が合わないことに悩んだ時期もありました。
カバー、代表曲の歌い直し、杉山清貴とのコーラス。
歌う方法を増やすことで、自分の声との付き合い方も変わっていった歩みをたどります。

「Simple Song~夏の終わりに」(2022年9月10日公演ダイジェスト)

作曲家として生きるつもりだった、デビューの頃

1973年の『摩天楼のヒロイン』は、松本隆がプロデュースしたデビュー作です。
ただ、南にとっては、自分一人の歌を世に出したという感覚だけの作品ではありませんでした。
『記憶の記録』の取材では、映画やショーをみんなで作るような共同作業だったと振り返っています。
自分のアルバムは、この一枚で終わるつもりだったというのです。

25歳の時にアルファと作曲家契約を結び、曲を書いて生活できるようになったことを、本人は喜んでいました。
歌手として表へ出続けるより、曲を書く人としてやっていきたかった。
その出発点を知ると、その後の歌への取り組みが、当然の道だったわけではないと分かります。

1976年の『忘れられた夏』では、自分で作詞・作曲を行い、アレンジにもアイデアを出しました。
南はこちらこそ本当のデビュー・アルバムだと話しています。
共同制作の大きな世界の中にいた最初の作品から、作り手として自分を示す作品へ。
ただし、曲を自分で作ることと、歌手として自信を持つことは、まだ同じではありませんでした。

「摩天楼のヒロイン」(1973年発表アルバム収録曲/1994年発売盤の配信音源)

歌への助言は、もともと好きだった音楽とつながった

ソニーへ移った南に、歌を本気でやるように勧めたのが、ディレクターの高久光雄でした。
発声の先生を訪ねることや、聴いておくとよいレコードについても助言されたといいます。
歌は、作曲と並んで向き合う課題になっていきました。

Mikikiの対談で南が挙げたのは、ナット・キング・コールやフランク・シナトラのようなクルーナーを追求する、という助言です。
マイクを通して親しく語りかけるような歌の世界は、もともとジャズやボサノバが好きだった南の好みとも重なりました。

同じ対談では、山下達郎がコーラスをやるなら、自分は違うことをしようと考えたとも話しています。
一人の声で歌を聴かせる方向を選んだことは、周囲と異なる音楽を作りたいという意識にもつながっていました。
後年、杉山とのコーラスを新鮮に感じた背景には、この独唱を追ってきた時間があります。

南佳孝の取材掲載写真(2007年掲載、CPRA)
南佳孝の取材掲載写真(2007年掲載、CPRA)。
画像出典:写真掲載元

ヒットを狙う旋律と、自分の声が合わなくなる

「モンロー・ウォーク」や「スローなブギにしてくれ」などで広く知られるようになっても、悩みがなくなったわけではありません。
2023年のORICONの取材で南は、その後、ヒットを出したくても出せなかった時期を率直に語っています。

印象に残るように、メロディーの展開を強くしてみる。
これならよいと思ってもヒットせず、しかも、自分のボーカルに合っていないのではないかと感じる。
南が抱えたのは、売れるかどうかだけでなく、作る曲と、それを歌う自分の間のずれでした。

この意識が変わったのが、本人によれば50歳頃のカバーです。
2001年にジャズ・スタンダードを歌う『NUDE VOICE』、2002年にボサノバやサンバを取り上げた『BLUE NUDE』を発表しました。
南は、自作曲でヒットを出すことだけが大切ではないと感じ、視野が広がったと振り返っています。

作曲家として曲を送り出すことに加え、すでにある曲を、自分が歌うことで表現する面白さが見えてきた。
だからこそ、長年の活動を経たこの時期を、シンガーとしての目覚めと受け止めたのでしょう。
本人は取材時にもヒットを出したい気持ちはあると話しており、目標を捨てたというより、歌う価値の見つけ方が増えた変化でした。

カバーの経験から、自作曲にも戻っていく

その次に作った2004年の『ROMANTICO』は、5年ぶりのオリジナル・アルバムでした。
ビクターの紹介文は、二枚のカバー集を経た歌に開放感を感じ、自然体の南がいると評しています。
カバーの経験を、自作曲から離れた寄り道としてだけは捉えられません。
別の曲を歌って見つけた楽しさを持ちながら、再び自分の音楽を作る時期へ進んでいます。

「Travelin’ Man」(2004年「ROMANTICO」収録音源)

2013年の『スケッチブック』では、ブラジルのピアノ・トリオと録音しました。
新曲や洋楽カバーに加え、「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」も、別のアレンジで取り上げています。
Billboard JAPANの取材で南は、トリオと歌うことが気持ちよく、楽しかったと話しました。

一方で、編曲には最初、戸惑いもあったそうです。
それでもミックスを詰めながら何度か聴くうち、演奏のよさを感じていったと振り返っています。
よく知る自分の曲でも、相手の演奏に任せることで、最初から想像できない形になる。
代表曲を歌い続けることと、昔の形のまま保つことは、ここでは同じではありませんでした。

独唱を追ってきた人が、コーラスを面白がる

次に広がったのは、ほかの歌手の声と重なる楽しさです。
杉山清貴との『Nostalgia』は2017年の作品。
公式の紹介によれば、2016年春のジョイントライブをきっかけに一緒に歌う機会が増え、アルバム制作へ進みました。

南はぴあの取材で、コーラスが上手な杉山に教えてほしいと頼み、ビートルズを歌うバンドを作ろうという話になったと振り返っています。
完成したアルバムでは「If I Fell」など、二人のハーモニーが生きるカバーを選びました。
表題曲「Nostalgia」は、杉山が作詞、南が作曲しています。
昔の名曲を一緒に歌うことから、二人の新しい歌を作ることへも進んでいたのです。

「Nostalgia」(2017年公開映像)

若い頃にはコーラスとは違う方向を選んだ南が、長く独唱を重ねた後で、その面白さに驚く。
この変化は、過去の選択を否定したというより、知らなかった歌の楽しみへ近づいたものと受け取れます。
2023年にも杉山との歌は勉強になると話しており、一度きりの共演では終わっていません。

取材で身ぶりを交えて話す南佳孝
南佳孝の取材掲載写真(2023年掲載、撮影:吉田圭子)。
画像出典:ぴあ

2022年のライブから、張らずに言葉を届ける方向へ

2022年9月には、松本隆が詞を書いた曲を歌うライブを開催しました。
その大手町三井ホール公演が、翌年の『南佳孝 松本隆を歌う ~Simple Song 夏の終わりに』に収められています。
もとは「Simple Song」を夏の終わりに歌う企画があり、そこから松本の作品だけを取り上げる形へ広がった公演でした。

この頃から南は、なるべく声を張らず、音程を正確に取り、言葉を置くように歌おうと考えたと話しています。
年齢とともに声が出にくくなることにも触れていますが、その説明は、出来なくなったことの話だけではありません。
若い頃から好きだったボサノバの歌い方へ戻り、改めて探っているという意識がありました。

具体例の一つが、リズムをラテンに変えた「Paradiso」です。
南は、話すように歌える形にしたことで、重たい歌詞も、力を込め続けずに表現できたと話しました。
演奏の流れと声の使い方を選び直すことで、長く歌ってきた曲にも新しい手応えを感じていました。

作曲家として始まり、自作曲と声のずれに悩み、カバーで歌う楽しさを知った南。
さらに他人の声や新しい伴奏と出会い、自分の歌を違う角度から確かめてきました。
その歩みには、歌手として完成したから同じことを続けるのではなく、長く歌うからこそ面白いことが増えていく姿があります。

「Paradiso」で声を張る場所をどう選んだか、言葉の音やハーモニーをどう扱うかは、南佳孝の歌い方で取り上げています。

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