宇崎竜童の歌い方・発声|話し声のような低音が歌になる理由

ステージで歌う宇崎竜童 シンガー

宇崎竜童さんの歌声は、磨き上げた声を主役にするタイプではありません。
先に現れるのは、港町の男、疲れた大人、強がりの裏に未練を抱えた人物です。

意外なのは、本人がもともと歌手を目指していなかったことです。
裏方で曲を作り、歌手を育てる側にいた人が、他人では自作曲が生きないと言われてマイクの前へ出ました。

宇崎さんの発声を理解する鍵は、低い声やざらつきそのものではありません。
作曲家として書いた言葉を、誰かの台詞に変えるための声です。
話しているようでもリズムから離れず、荒く聞こえても歌詞の人物だけはぼやけない。その設計が、半世紀を経ても古びない理由です。

歌手になる気がなかった人ほど、歌に人物を置けた

大学時代の宇崎さんは、毎日のように曲を書き、4年間で約350曲を作ったと振り返っています。
卒業後は音楽出版社でマネージャーや新人の指導を担当し、既成曲を歌わせると元歌手の物まねになってしまうため、練習用にもオリジナル曲を書きました。

この出発点は、一般的なシンガーソングライター像と少し違います。
自分の声を輝かせるために曲を作ったのではなく、まず曲があり、それを誰の声に渡せば生きるかを考えていたのです。

本人にはプロの舞台へ立つ自信がなく、歌手デビューの意思もありませんでした。
ところが所属バンドを売り込む催しで自作曲を歌うと、レコード会社から声がかかったのは自分のバンドでした。

ここで起きたのは、歌唱力の審査に受かったという単純な話ではありません。
整った声の人へ渡すと薄くなる言葉が、作者本人の声では急に生活を持ったのです。
宇崎さんは歌手になる前から、声を曲の持ち主ではなく登場人物の持ち物として扱っていました。

「港のヨーコ」は歌わない曲ではなく、リズムで歌う曲

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、旋律より語りが前へ出る代表曲です。
そのため、宇崎さんの魅力を「低い声で格好よく喋ること」と捉えたくなります。

しかし、普通の会話をマイクへ入れても同じ音楽にはなりません。
短い言葉をどこで切り、どの子音を拍へ置き、次の行までどれだけ待つかが決まっているから、台詞がバンドの一部になります。

初心者にも分かりやすく言えば、音程の代わりに時間が旋律の役をしている状態です。
言葉を急いだ瞬間、横浜の夜にいる人物ではなく、歌詞を読み上げる人へ戻ってしまいます。

宇崎さんの話し声らしさは、歌をやめた結果ではありません。
歌の中から余計な高さを引き、言葉と間だけで人物を立たせた結果です。
この感覚は、メロディーを大胆に崩しながら会話へ近づけた萩原健一さんの歌い方とも似ていますが、宇崎さんは作曲家らしく、崩す前に置き場所を細かく決めています。

ギターを弾きながら歌う宇崎竜童

ざらついた低音は主役ではなく、言葉の照明である

宇崎さんを説明する時、「渋い」「低い」「しゃがれた」という言葉がよく使われます。
どれも印象としては分かりやすい一方、それだけでは「身も心も」のような曲が長く残る理由を説明できません。

重要なのは、ざらつきが常に同じ強さで鳴っていないことです。
歌詞の人物が突っ張る場面では声の輪郭が前へ出て、弱さを見せる場面では力が抜ける。
声色を一定に保たないから、一曲の中に表と裏ができます。

ハスキーな声を真似しようとして喉をこするのは危険です。
表面の摩擦音だけを増やすと、言葉が聞こえにくくなり、長い曲では声が先に疲れます。
宇崎さんから参考にできるのは、荒さの作り方ではなく、同じ声を全行へ塗らない判断です。

もんたよしのりさんの歌い方では、強烈なハスキー声がリズムを前へ押す力になりました。
宇崎さんの場合は反対に、低い声が一歩引き、言葉の後ろに過去や場所を感じさせます。
同じ「しゃがれ声」でも、音色より役割を見ると二人を混同しなくなります。

5本のギターを替えるのは、声を着替えさせるため

近年の弾き語り公演で、宇崎さんはスパニッシュギター、エレキギター、アコースティックギター、シタールギター、ナイロン弦のエレキギターを曲調に応じて使い分けると説明しています。
声だけで押し切る弾き語りではなく、曲ごとに声の居場所を作り直す公演です。

鋭い伴奏なら言葉を短く置けます。
余韻の長い弦なら、声を張らなくても沈黙まで曲にできます。
伴奏を替えることは、歌手が毎回別の発声を披露するためではなく、同じ声から別の人物を引き出すための準備なのです。

コロナ禍以後は、客席が声を出せない状況に合わせ、リズムマシンや自作した伴奏も取り入れました。
「ギター一本こそ本物」と型を守るのではなく、観客が参加できる方法を先に考えたわけです。

公演を見た人の記録にも、歌だけでなく語り、手拍子、会場とのやり取りが一続きだったという受け止めが繰り返し現れます。
宇崎さんの歌唱は、声帯だけで完結しません。
ギター、間、客席の反応まで含めて一人の話し手を作ります。

取材で正面を見つめる宇崎竜童
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女性歌手へ書いた曲を自分で歌うと、作者の声の秘密が見える

宇崎さんは阿木燿子さんとの組み合わせで、山口百恵さんに60曲以上を書いたと語っています。
「横須賀ストーリー」「プレイバックPart2」「さよならの向う側」など、別の歌手の声を前提に作られた曲が多くあります。

それらを宇崎さん自身が歌う時、単に男性用の低いキーへ変えたカバーにはなりません。
華やかな旋律の奥にあった、ためらいや決別の言葉が、作者の話し声に近い温度で出てきます。

作曲家として他人の声を知っているから、自分の声で全部を説明しようとしない。
高い音を大きく響かせるより、一語を置いた後に観客が続きを想像できる余白を残します。

これは、声量で押すロック歌唱とは別の強さです。
世良公則さんの歌い方が言葉を身体ごと前へ飛ばす表現だとすれば、宇崎さんは言葉を置き、客席が近づいてくる時間を待ちます。

真似するなら声の傷ではなく、言葉を置く理由を見る

宇崎竜童さんらしく歌おうとして、声を低くし、語尾を荒らし、サングラス姿まで再現しても、曲の人物は生まれません。
目立つ外見や音色は結果であり、中心にあるのは「この一行を誰が、どこで、なぜ言うのか」という作曲家の視点です。

参考にしやすいのは、一曲の全体を同じ強さで歌わないことです。
突っ張る言葉と弱さが漏れる言葉を分け、伴奏が鳴った後の余白も急いで埋めない。
それだけで、歌詞は説明文から会話へ近づきます。

反対に、喉を押してざらつきを作ることは参考にしない方がよい部分です。
痛み、強いかすれ、普段の話し声の変化が出た時は中止し、不調が続くなら耳鼻咽喉科などへ相談してください。

宇崎竜童の声は、上手い歌を人物の言葉へ戻す

宇崎竜童さんは、歌手になりたくて自分の声を磨いた人ではありませんでした。
曲を作り、他人の歌を育てる中で、自分の声でなければ生きない言葉があると気づいた人です。

低音、ざらつき、語り口は確かに大きな特徴です。
けれど本当の強みは、それらを見せることではなく、曲ごとに別の人物へ貸し出せることにあります。

「港のヨーコ」では間が旋律になり、「身も心も」では強がりの裏から弱さが見え、女性歌手へ書いた曲では作者の余白が現れます。
歌声を主役にしないことで、かえって誰の歌か分かる。そこに宇崎竜童さんの発声の面白さがあります。

その声がダウン・タウン、竜童組、RUコネクション、弾き語りへ移るたびに何を変えたのかは、宇崎竜童さんの歌唱変遷で年代順にたどります。

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