萩原健一の歌声はどう変わった?テンプターズから「語る歌」までの変遷

正面を見つめる萩原健一 シンガー

萩原健一さんの歌声を年代順に追うと、若い頃の声がそのまま渋くなったわけではないことが分かります。
ザ・テンプターズでは切迫した恋をまっすぐ歌い、PYGでは沢田研二さんと声を分け合い、ソロになると原曲の旋律そのものを作り替えるようになりました。

大きな境目は、1970年代末から1980年代初頭です。
柳ジョージ&レイニーウッドとの『熱狂雷舞』ではまだ地声と原曲の形を多く残していましたが、DONJUAN ROCK'N ROLL BANDを得ると、裏声、語り、シャウト、沈黙まで一つの歌に入ってきます。

晩年に本人が「原点回帰」と呼んだのは、売れた時代への帰還ではありませんでした。
GS以前、幼い頃に横浜で聴いたブルースへ戻ることでした。

1965〜1970年、少年のブルースがGSの切迫感へ変わった

萩原さんは幼い頃、兄や姉が聴いていたエルヴィス・プレスリーに触れ、横浜の進駐軍向けクラブ周辺ではブルースを耳にしていました。
1965年、中学3年生の時に地元のエレキバンド、テンプターズへ飛び入りし、そのまま参加します。

1967年にザ・テンプターズとしてデビューしたものの、最初から制作側と考えが一致していたわけではありません。
派手なユニフォームやデビュー曲に反発し、B面の「今日を生きよう」を歌いました。

転機となった「神様お願い」は1968年の曲です。
二分あまりの短い曲に、若い声の速さと切迫感が詰め込まれ、萩原さんは一気に注目を集めました。

この時期の声は、後年のように旋律を大きく崩す歌唱ではありません。
メロディーを前へ運ぶ若い地声が中心で、言葉はまっすぐ届きます。

ただし、すでに周囲が用意したスター像へ収まりきらない人物でした。
衣装や選曲への抵抗は、後に歌い方そのものを自分で決めていく前触れでもあります。

1971〜1975年、PYGのツインボーカルから一人の歌へ

ザ・テンプターズ解散後、萩原さんは沢田研二さん、井上堯之さん、大野克夫さんらとPYGを結成します。
GSの人気者を集めたスーパーグループでしたが、萩原さんと沢田さんのツインボーカルは、二人の違いを強く見せる編成でもありました。

華やかな声を前へ出す沢田さんに対し、萩原さんは歌の中へ陰りやざらつきを持ち込みます。
一人で曲のすべてを背負わず、声の役割を分ける経験は、後の裏声コーラスにもつながりました。

やがて俳優活動が中心となり、音楽から距離を置く時期を挟みます。
本人は1969年のメンフィス録音で、自分のブルースを現地の音楽家に「プリティ」と評されたことを挫折として語りました。
憧れの音楽をなぞるだけでは足りないと知った時間です。

1975年、初のソロアルバム『惚れた』を発表しました。
グループの人気や二人の対比から離れ、歌の人物を一人で引き受ける段階へ進みます。

1977〜1979年、『Nadja』と柳ジョージが声をライブへ連れ出した

1977年から1979年にかけて、『Nadja』三部作が作られます。
井上堯之さんと大野克夫さんが支えた音楽は、ブルース一色というより、歌謡曲やアダルト・コンテンポラリーの旋律を含むものでした。

その中で「大阪で生まれた女」「さよなら」など、萩原さんの人生と歌の人物が近づく曲が増えます。
第三作では、後の特徴となる裏声を強く使う歌唱も現れました。

1978〜1979年の全国ツアーでは、柳ジョージ&レイニーウッドがバックを務めます。
この公演を収めた『熱狂雷舞』は、後の自由なライブ歌唱へ向かう入口です。

長年公演を見た音楽ライターによれば、この時点ではまだ地声を中心に、原曲の旋律へ比較的忠実に歌っていました。
荒々しいステージの印象に対し、歌の骨格は残っていたのです。

1970年代末から1980年代のステージで歌う萩原健一

1980〜1985年、DONJUANでメロディーの外側まで歌になった

1980年のDONJUAN ROCK'N ROLL BANDは、萩原さん自身が後に音楽的な転機として挙げた存在です。
井上堯之・大野克夫との制作から離れ、好きな仲間とブルース・ロックを追求できる場所を得ました。

アルバム『DON JUAN』、ライブ盤『DONJUAN LIVE』では、前年より旋律の崩しと裏声が増えます。
原曲を再現する歌手から、今この瞬間の感情に合わせて原曲を組み直す歌手へ変わった時期です。

「ぐでんぐでん」のような曲では、酒や後悔を説明するのではなく、歌っている人物の足取りまで声に入ります。
個人ブログやライブ回想で評価が分かれるのも、この歌い方が完成品を毎回同じ形で届けるものではないからです。

1982年の『D'ERLANGER』、1983年の『SHANTI SHANTI LIVE』、1984年の『THANK YOU MY DEAR FRIENDS』、1985年の『ANDREE MARLRAU LIVE』へ進むにつれ、節回しとパフォーマンスの癖はさらに強くなりました。

声がきれいになったという変化ではありません。
地声、裏声、叫び、話し声の境界を消し、歌詞の人物がその場で揺れているように見せる方向へ進化しました。

柳ジョージさんの歌唱変遷と並べると、二人が同じステージを共有した後、別々の道を選んだことが見えてきます。
柳さんは声とギターで街の記憶を作り、萩原さんはバンドとの衝突で一曲の形を毎晩変えました。

1987〜1990年、激しい歌唱を小さな劇場へ持ち込んだ

1987年には『Straight Light』を発表し、「愚か者よ」が大きな入口になりました。
ここでは、DONJUAN期に育った崩しやざらつきを持ちながら、歌謡曲として広く届く旋律とも向き合います。

1988年の『Shining With You』を経て、1990年にはBunkamuraシアターコクーンで15日間の公演を行いました。
後に『ロックコンサート -R-』として記録された舞台です。

巨大な会場を熱狂させるだけでなく、観客との距離が近い劇場で、歌と身振りを一つの表現へまとめます。
40歳の萩原さんは、若い頃の勢いを保存するより、声が変化すること自体を舞台に置きました。

長年のファンがライブ盤ごとに歌い回しの違いを語りたくなるのは、この頃までに「同じ曲の正解が一つではない」歌手になっていたからです。

1990年代〜2000年代、空白を抱えたまま歌へ戻った

萩原さんは常にライブを続けた歌手ではありません。
俳優活動へ集中した時期や、音楽活動が長く止まった時期もありました。

1996年にはアルバム『愚か者よ』、2003年には『Enter the Panther』を発表します。
しかし、1970年代末のように毎年スタジオ盤とライブ盤を積み重ねる活動とは異なります。

空白があるため、声の変化も一本の滑らかな成長線にはなりません。
長く歌わない時間の後に、低音はどこまで残るのか、裏声はどう使うのか、その都度作り直す必要がありました。

この不連続さは弱点であると同時に、萩原さんらしさでもあります。
いつでも同じショーケンへ戻るのではなく、その年齢と状況を声に入れたまま舞台へ出ました。

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2017〜2018年、最後に戻ったのはヒット曲ではなく幼い日のブルース

2017年、デビュー50周年を記念した『LAST DANCE』と公演で音楽活動を本格化させます。
翌2018年には自らShoken Recordsを立ち上げ、22年ぶりのシングル「Time Flies」を発表しました。

本人が原点回帰と呼んだ先は、テンプターズでも『熱狂雷舞』でもありません。
14〜15歳より前、横浜でブルースが自然に耳へ入ってきた頃でした。

「Time Flies」では低い声を中心に置き、裏声は必要な場所に限定しています。
本人は、長年使った裏声をボイストレーニングで整え、狙って出していると説明しました。

若い頃の高い声を再現するより、今の低音を作品の中心にする。
しかも録音は一発録りのように生々しく聞こえるよう、細部まで計算しました。

2018年のライブで歌う萩原健一

2019年以降、変わり続けた歌が記録として残った

萩原健一さんは2019年3月26日、68歳で亡くなりました。
その後、追悼盤やライブ映像の再発が続き、2022年には1990年の『ロックコンサート -R-』がHDリマスターで初めてデジタル商品化されました。

残されたライブ盤を順番に聴くと、同じ人の声なのに節回しが年ごとに違います。
これは歌唱が安定しなかった記録ではなく、完成した型へとどまらなかった記録です。

沢田研二さんの歌唱変遷は、同じGSとPYGを通りながら、スターの歌声を更新し続けた別の道を示します。
萩原さんは反対に、スターとして整えられた形を脱ぎ、個人の会話へ近づいていきました。

萩原健一の歌唱変遷は、声が荒れた歴史ではない

ザ・テンプターズの若い萩原健一さんは、短いメロディーへ切迫感を乗せるボーカリストでした。
PYGでは沢田研二さんと声を分け、ソロでは歌の人物を一人で背負います。

『熱狂雷舞』から『DONJUAN LIVE』へ進む間に、地声と原曲を中心にした歌唱は、裏声と語りと沈黙を含む歌唱へ変わりました。
晩年にはその自由さを放置せず、ボイストレーニングで声を整え、低音を選び、必要な音だけを残しています。

若い声が太くなった、あるいは高音が出なくなったという単純な歴史ではありません。
他人のブルースを歌う少年が、日本語でしか作れない自分の会話を見つけ、最後に幼い日のブルースへ戻った歴史です。

声の仕組みと、なぜ崩しても曲が壊れないのかは、萩原健一さんの歌い方・発声で詳しく整理しています。

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