上杉昇の歌声はどう変わった?WANDS初期から現在までの歌唱の変遷

Show Wesugi vocal evolution シンガー

上杉昇さんの歌声は、澄んだ高音から荒い声へ変わった、と説明されることがあります。
しかし、その言い方だけでは最も重要な変化が抜け落ちます。

上杉さんは、本人が望んだハードロックとは異なる音楽で大成功し、その声が世間の中で先に完成像になった歌手です。
その後はヒットした声を壊したのではなく、WANDSで磨かれた高音を残したまま、歪み、低音、裏声、暗さを取り戻していきました。

この35年は、美声が荒れた歴史ではありません。
多くの人が知る声と、自分が歌いたかった声を、一人のボーカリストの中でもう一度つなぎ直した歴史です。

1990〜1991年、ハードロックを歌いたい青年がWANDSへ入った

上杉さんが歌手を志すきっかけになったのは、15歳で触れたGuns N' Rosesでした。
LOUDNESSなどのハードロックにも強く惹かれ、ロックバンドのボーカリストになることを望んでいました。

1990年にオーディションへ進み、翌1991年にWANDSとしてデビューします。
ところが、最初に用意されたのは、本人が思い描いていた荒いロックとは異なる、打ち込みを生かしたデジタルポップ寄りの音楽でした。

若い歌手にとっては大きな機会である一方、自分が何を歌いたいかを決める自由は限られていました。
上杉さんの歌唱史は、ここから声を上手くする物語ではなく、自分の声をどの音楽に置くかを巡る物語として始まります。

1992〜1993年、澄んだ高音が売れるほど本人との距離は広がった

「もっと強く抱きしめたなら」「時の扉」「愛を語るより口づけをかわそう」が相次いで大ヒットし、上杉さんの高音はWANDSの代名詞になりました。
明るく華やかな音の中央を、太く澄んだ声が一直線に抜ける歌唱です。

WANDS前期の上杉昇

しかし、成功は本人が目指す音楽へ近づいたことを意味しませんでした。
売れるほど「WANDSらしい声」と「自分が歌いたいロック」の距離が見え、歌詞の中に抵抗を入れるようになります。

この時期の声が作られた偽物だった、ということではありません。
高音を長く保ち、日本語の輪郭を失わず、巨大なサビを成立させる力は、その後も上杉さんの武器として残ります。

問題は声の質ではなく、その声で何を歌うかでした。
世間が完成したと思った瞬間に、本人の中ではまだ始まっていなかったのです。

1994年、「世界が終るまでは…」はヒット曲であり決別の歌だった

「世界が終るまでは…」は、現在まで歌い継がれるWANDSの代表曲です。
一方、上杉さんはこの曲を、それまでのWANDSと決別する意味を持った歌として振り返っています。

外側から見ると、澄んだ高音が頂点に達した大ヒット曲です。
内側では、その声で歌ってきた世界を終わらせたいという意思が入り始めていました。

この二重性が、上杉さんの歌声を特別なものにします。
美しく歌えたから満足したのではなく、美しく歌える自分を使って、そこから離れようとしたのです。

1995〜1996年、声の服装をロックへ着替えていった

「Secret Night」は、従来のWANDSと本人が望むロックをつなぐ橋として作られました。
『PIECE OF MY SOUL』では、目指していた音楽の六割ほどまで進めたという実感を持ちます。

続く「Same Side」「WORST CRIME」では、メンバーが曲作りへ関わる割合も増えました。
歌声の芯は残しながら、明るく整った表情だけでなく、言葉の硬さやバンドの荒さを前へ出せるようになります。

ただし、次のシングルとして初期のデジタルポップ路線に戻る曲を提示されたことで、進もうとした方向との隔たりが決定的になりました。
1997年、上杉さんはWANDSを離れます。

脱退は、出なくなった高音から逃げるためではありません。
むしろ、評価された声を持ったまま、それを置く音楽を自分で選ぶための決断でした。

1997〜2001年、al.ni.coで「裸の声」へ戻った

柴崎浩さんと結成したal.ni.coでは、グランジやオルタナティブロックの荒さが前面に出ました。
「TOY$!」という題名には、飾られた商品ではなく、自分の根にある音を出す強い意思が表れています。

この時期の変化を、急に歌が粗くなったとだけ見るのは不十分です。
WANDSで抑えていた声のざらつき、低さ、叫びに近い感情を、曲の中心へ置けるようになりました。

本人は後年、当時の歪みを「がなる」方向だったと振り返っています。
現在の多彩な歪みと比べれば力で押す部分もありましたが、自分のロックを自分の声で鳴らすために必要な時期でした。

澄んだ高音を捨てたのではなく、その声しか許されない場所から出た。
al.ni.coは、上杉さんが歌手としての主導権を取り戻した最初の大きな転機です。

2002〜2010年、ソロと猫騙で荒い声が一種類ではなくなった

al.ni.coの活動停止後、上杉さんはソロへ進み、2006年には猫騙を始動しました。
この頃にはスキンヘッドにし、WANDS期の外見からも大きく離れます。

2003年頃に歌う上杉昇

外見の変化だけが注目されがちですが、歌唱では荒さの中に選択肢が増えていきました。
低く語る声、強く押す声、暗い響き、長く歌い上げる高音を、作品によって配置できるようになります。

WANDSを否定するために毎回荒く歌う段階から、自分の音楽の中で澄んだ声も荒い声も選べる段階へ移った時期です。
声の自由は、過去と反対のことをするだけでは得られません。

2012〜2017年、過去の代表曲を現在の声で引き受け直した

2012年、上杉さんは織田哲郎さんと「世界が終るまでは…」をライブで歌いました。
その後、デビュー25周年の公演や海外ライブでもWANDS期の曲を披露するようになります。

これは、かつての路線へ戻ったという意味ではありません。
自分の音楽を選び、WANDSの外で十分な時間を過ごしたからこそ、代表曲を他人に求められた声ではなく、自分の現在の声として歌えるようになりました。

昔の曲を封印し続けることも、昔と同じ姿へ戻ることも選ばなかった。
過去を消さず、現在の表現の一部として扱えるようになったことが、この時期の大きな変化です。

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2018〜2021年、「二度目の声変わり」が高音と歪みを組み替えた

『The Mortal』を経て、2021年の『Dignity』では、上杉さんの現在の声の設計がはっきりします。
本人は声の変化を「二度目の声変わり」と表現し、一部の低音が出しにくくなる一方、上の音域が増えたと語りました。

若い頃より単純に低くなったのではなく、高い場所が新たに開いたという変化です。
同時に、ミックスボイス、通常のファルセット、複数の歪みを意識的に使い分けるようになりました。

al.ni.co期の力でがなる声に対し、近年は唸るような歪みを区別しています。
荒い声も一種類ではなくなり、歌い上げる高音と同じ作品の中で共存するようになったのです。

上杉昇さんの歌い方・発声分析では、歪んだ声の直後に非常に高いミックスボイスを使いにくいという本人の発言から、ライブの曲順まで歌唱技術になる理由を詳しく説明しています。

2022年以降、売れた声と自分の声が同じステージに立った

2022年、上杉さんは「世界が終るまでは…」を現在の歌声で再録しました。
過去の録音をそっくり再現するのではなく、長いキャリアで増えた声を持ったまま、代表曲へ戻る試みです。

本人はWANDS期の曲を基本的に原曲キーで歌い、現在の声のおいしい場所も少し高めだと語っています。
若い頃の高音を保存しているだけでなく、変化した声の中に高音を置き直していることが分かります。

近年はアジア各地でも公演を行い、2025年のツアー、2026年のデビュー35周年へ活動をつなげています。
現在のライブではWANDS期、al.ni.co、ソロの曲が同じ歌手の歴史として並びます。

1990年代には、売れた声と自分の望む音楽が離れていました。
現在は、澄んだ高音も歪んだ声も、どちらかを否定せず一つの公演へ置けます。

ここまで来て初めて、世間に知られた上杉昇の声と、本人が取り戻したかった上杉昇の声が同じ場所に立ったのです。

上杉昇の歌声は、過去を壊さず自由を増やした

上杉昇さんの歌唱変遷は、若い美声が年齢とともに荒れた歴史ではありません。
WANDSで澄んだ高音を磨き、その声が大きく評価される一方、自分が望むロックとの距離に苦しみました。

「世界が終るまでは…」から「Same Side」へ進み、al.ni.coで荒い声を取り戻し、ソロと猫騙でその荒さを一種類ではない表現へ広げました。
近年は高音域の変化と新しい歪みを受け入れ、過去の代表曲も原曲キーで歌っています。

変わらなかったのは、太い芯と、歌いたい音楽に対する妥協のなさです。
変わったのは、その芯を澄ませるか、歪ませるか、低く置くか、高く伸ばすかを自分で選べる範囲でした。

上杉さんは、売れた声を捨てて自分の声を得たのではありません。
売れた声を自分のものとして取り戻し、その周囲へ35年分の選択肢を加えたのです。

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