坂本冬美の歌い方・発声|「どうだ!」と歌わない声の強さ

坂本冬美の歌い方と発声を解説する記事のアイキャッチ シンガー

坂本冬美さんの歌い方は、鋭く抜ける高音や独特のこぶしだけでは説明できません。
いちばん興味深いのは、声がよく出る日に自信満々で歌うより、思うように出ない日に必死で届けた歌の方が大きな拍手を受けることがある、と本人が話している点です。

歌唱力を見せられるのに、歌唱力を主役にしない。
師匠の二葉百合子さんから教わったのも、「どうだ」と技を誇る歌にしないことでした。

「あばれ太鼓」の男歌、「夜桜お七」の妖しさ、「また君に恋してる」の静かな恋、「ブッダのように私は死んだ」の劇的な物語まで声の印象が変わるのは、発声の型を替えるからだけではありません。
歌の中で、自分より先に立たせるものを選んでいるからです。

声が出る日ほど、歌が届かないことがある

歌う側は、高音が気持ちよく出て、こぶしもよく回る日ほど「今日はうまい」と思います。
坂本さんにも、その感覚はあるそうです。

ところが、自分の声へ満足しながら歌った日は、予想したほど客席の反応が返ってこないことがある。
反対に、声の調子に苦労しながら、一言でも届いてほしいと懸命に歌った日に、思いがけないほど拍手を受けることがあると明かしています。

これは、調子が悪い方がよいという話ではありません。
声が出る喜びへ意識を奪われると、曲の人物や言葉より「歌っている自分」が前へ出やすい、という発見です。

二葉百合子さんの教えも同じ方向を向いていました。
技を持つことと、その技を見せつけることは別です。
こぶしや声量は、拍手を取りにいく飾りではなく、物語に必要な瞬間だけ働かせる道具になります。

高く張った声の奥に、少しの粗さが残る

坂本さんの声は、細く遠くへ飛ぶだけの高音ではありません。
音楽記事では、高く張った声の硬質な響きに、わずかなハスキーさが重なり、独特のこぶしが個性を強くしていると評されています。

初心者向けに言い換えるなら、きれいに磨かれた線の中へ、少しざらついた影が残る声です。
明るさだけでも、太さだけでもないため、祝いの歌では景気よく聞こえ、悲しい歌では傷のようにも聞こえます。

こぶしは、一つの音をまっすぐ伸ばさず、短い間に高さを細かく揺らす演歌の表現です。
坂本さんの場合、それが曲のどこにでも同じ濃さで付くわけではありません。
言葉の意味を強める場所と、あえて素直に通す場所があるから、濃い節回しがより際立ちます。

本人は、本格的な発声訓練を受けないままデビューしたことを長く引け目に感じていました。
生まれつきの個性だけで迷いなく歌えたのではなく、「基礎がないのではないか」という不安を抱えたまま、舞台で使える声へ整えてきたのです。

「あばれ太鼓」では、自分ではなく男の人生を歌う

デビュー曲「あばれ太鼓」は、女性歌手が男の人物へ入る男歌です。
坂本さんは演歌を歌う時、曲に応じて男性にも女性にもなると説明しています。

ここで声を太く聞かせることは、単なる迫力づくりではありません。
登場人物が背負う意地や不器用さを、言葉の輪郭と間で立ち上げるための選択です。

一方の「夜桜お七」は、師匠・猪俣公章さんが亡くなった後、それまでの王道演歌とは異なる坂本冬美を作るために生まれました。
プロデューサーは、恩師の作風を繰り返すのではなく、新しい音を探しました。

同じ力強い声でも、男歌の直線的な勢いと、桜の下で揺れる女の情念では、言葉の置き方が変わります。
「坂本冬美らしい太い声」を毎曲当てはめるのではなく、誰の人生を歌うかによって声の見せ方を変えるのが本質です。

また君に恋してるのミュージックビデオに登場する坂本冬美

「また君に恋してる」は、演歌の鎧を一枚脱いだ歌

「また君に恋してる」は、坂本さんにとって単なる大ヒットではありませんでした。
王道演歌の着物姿とは違う場所へ出ても、自分の声で歌を届けられると実感した作品です。

この曲では、すべての音を切れ目なく滑らかにつなぐわけではありません。
長い流れの中に、ごく小さな息の区切りが置かれ、言葉が一度立ち止まります。
それが、声量を抑えた歌を平板にしません。

演歌のこぶしを消してポップス歌手になったのでも、原曲を演歌へ塗り替えたのでもありません。
本人はカバーを、着物から洋服へ着替えるようなものだと捉えています。
原曲の形を尊重しながら、長年使ってきた声で別の景色を見せるのです。

石川さゆりさんの歌い方にも、強い節回しを持ちながら、曲によって声の距離を変える面白さがあります。
二人とも、演歌の技を多く見せることと、歌が深く届くことを同じ意味にはしていません。

「ブッダのように私は死んだ」は、大声より物語の落差で怖くなる

桑田佳祐さんが書いた「ブッダのように私は死んだ」は、恋の破局を一編のサスペンスのように進める曲です。
題名も展開も劇的ですが、最初から最後まで強い声で押し切る設計ではありません。

坂本さんは「岸壁の母」を学ぶ中で、悲劇を計算して演じるだけでは届かないと教わりました。
モデルとなった人の歴史や、言葉が生まれた背景を背負い、誠実に渡すことを優先しています。

その考えは現代的な歌謡サスペンスにもつながります。
悲しさを顔と声で説明し尽くすより、抑えた場面を残すから、強くなる瞬間の意味が大きくなるのです。

ブッダのように私は死んだのミュージックビデオに登場する坂本冬美

「ブッダのように私は死んだ」と「夜桜お七」を比べると、どちらにも激しい物語があります。
それでも同じ濃さには聞こえません。
声の型を聞き分けるより、主人公がいつ感情を隠し、いつ隠し切れなくなるかを追う方が、坂本冬美さんの歌を深く楽しめます。

真似するなら、こぶしより先に「歌の主役」を決める

坂本冬美さんの歌を参考にする時、独特のこぶしや強い高音だけを切り取ると、どの曲も同じ演歌調になりやすくなります。
先に見るべきなのは、歌手本人、登場人物、歌詞の言葉のうち、どれがその瞬間の主役になっているかです。

「あばれ太鼓」では人物の意地、「また君に恋してる」では言葉の間、「ブッダのように私は死んだ」では物語の落差が前に出ます。
こぶしや声量は、その主役を支える位置へ下がっています。

表面だけを真似しない方がよいのは、高音を太い地声のまま押し上げたり、喉へ重さを足して演歌らしく聞かせたりすることです。
坂本さんの声質と長年の経験は、短い練習で再現できる装飾ではありません。

参考にしやすいのは、うまく聞かせたい瞬間ほど、一歩引いて言葉を渡す判断です。
声が出たことを結論にせず、その声で誰の何を届けるのかまで決めると、歌唱技術は主役ではなく物語の味方になります。

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坂本冬美の強さは、歌唱力を隠せることにある

坂本冬美さんには、遠くまで届く張りのある声と、一度聞けば分かるこぶしがあります。
しかし、本当の強さは、その能力を毎回見せつけないことです。

調子がよい日に自分の声へ酔えば、歌は客席から離れることがある。
思うようにいかない日でも、言葉を届けることへ集中すれば、歌が近づくことがある。
この逆説を知っているから、派手な「夜桜お七」と静かな「また君に恋してる」が、同じ人の歌として成立します。

「どうだ」と歌わず、曲の人物へ場所を譲る。
こぶしでも声量でもなく、その判断こそが坂本冬美さんの発声を長く生かしている核です。

デビュー時の自信と不安、2002年の休業、二葉百合子さんのもとでの学び直し、そして40周年までの変化は、坂本冬美さんの歌声の変遷で時代順にたどっています。

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