キヨサクの歌声はどう変わった?MONGOL800初期から現在までの歌唱変遷

キヨサクの歌声がMONGOL800初期から現在までどう変わったかをたどる記事のアイキャッチ キヨサク(MONGOL800)

MONGOL800のキヨサクさんの歌声は、初期の太く直線的な勢いを捨てず、その周りに余白を増やしてきました。
高校時代はベースの弾きやすさでキーを決め、速いバンドの中央から言葉を押し出していましたが、ギター、ウクレレ、ジャマイカでの即興、世代の違う歌手との共演を経て、同じ声で遅い歌や他人の物語まで運べるようになっています。

変化の面白さは、昔の歌を現在風に塗り替えていないことです。
本人は照れくさい初期曲を照れくさいまま残し、歌う人だけが変わり続ける道を選びました。

1998年、歌う予定のなかったベーシストがマイクを引き受けた

MONGOL800は1998年、沖縄の高校生によって結成されました。
キヨサクさんは当初ベースだけを担当し、ボーカルではありませんでした。

歌っていたメンバーが抜けた時、すでにライブの予定がありました。
その穴を埋めるために歌い始め、高校3年生の頃にはオリジナル曲を披露しています。

この始まり方は、その後の歌声を象徴しています。
理想の響きを長く研究してから舞台へ出たのではなく、目の前の演奏を止めないために、今ある声を曲の中央へ置きました。

初期の歌は、技巧を見せる前に言葉が届きます。
太い声が個性になったのも、低く作った声色というより、ベースを弾きながら旋律を迷わず前へ出す役割が先にあったからです。

2001年『MESSAGE』、無知だったから生まれた国民的な歌

2001年の2ndアルバム『MESSAGE』には、「あなたに」と「小さな恋のうた」が収録されました。
インディーズ作品として異例の広がりを見せ、後年「小さな恋のうた」は合算指標でもミリオンに達しています。

当時のキヨサクさんは、自分に合うキーを理解していませんでした。
曲の高さは、立ってベースを弾いた時に楽な位置から決まり、結果としてBの曲が多くなったと振り返っています。

知識がないことは普通なら弱点です。
しかしこの二曲では、歌手の見せ場に合わせて音域を設計する代わりに、バンド全員が走りやすく、聴き手が一緒に叫べる旋律が残りました。

ベースを弾きやすい位置から初期の代表曲を生み出したMONGOL800のキヨサク

現在の本人はこの頃の曲を聴くと照れくささを感じます。
それでも録り直して洗練させるより、その時代の自分と風景が戻るものとして残しているため、初期の未完成さが作品の寿命になりました。

2004年前後、ベースだけの作曲からギターへ持ち替えた

3rdアルバム『百々』までは、ベースと歌でメンバーへ新曲を伝えていました。
全国ツアーの空き時間にミニギターを手にし、4thアルバム『Daniel』頃からギターを土台にした曲作りが始まります。

楽器が変わると、歌の見え方も変わります。
ベースでは低い土台と旋律を同時に考えますが、ギターではコードの色、音の切れ方、伴奏の隙間を確かめやすくなります。

この変化を、声が細くなった、上手くなったという一方向の成長へまとめることはできません。
大切なのは、歌を支える楽器が増え、直線的なパンクの外へ曲を広げる方法を得たことです。

2010年前後、ウクレレとジャマイカが歌に余白と瞬発力を加えた

2010年頃から、作曲の中心にはウクレレも加わりました。
鼻歌からコードを探し、行き詰まるとギター、ウクレレ、ベースへ持ち替え、まず遅いテンポでも曲が生きるかを確認する方法へ変わります。

同じ頃、レゲエ作品で初めてジャマイカ録音を経験しました。
空港からスタジオへ入り、毎回違うカウントで進むセッションの中で、自分の出番を待つのではなく、その場へ声を置く瞬発力を鍛えられたと話しています。

初期の強さが、決めた曲を一気に走り切る強さだとすれば、この時期には周囲の音を受けて瞬時に返す強さが加わりました。
ウクレレの遅い呼吸と、ジャマイカの予測できないリズムは正反対に見えますが、どちらも譜面通りに押し切らず、音の隙間を聴く経験でした。

現在のキヨサクさんの発声・歌い方で感じる太さの下には、この頃から増えた柔らかな間があります。

2013年の15周年、初期曲を大合唱の歌として引き受けた

結成15周年の2013年、MONGOL800は「小さな恋のうた」のライブ映像を公式公開しました。
同じ年には、バンドとして初めて『ミュージックステーション』にも出演しています。

初期の録音は、高校を出たばかりの三人が作った作品でした。
十五年後のライブでは、同じ曲が本人たちだけの青春ではなく、会場全体が自分の記憶を重ねる歌へ変わっています。

歌手が曲を所有し続けるのではなく、聴き手へ渡していく変化です。
キヨサクさんの役割も、全てのフレーズを主役として歌い切ることから、観客が声を出せる場所を作ることへ広がりました。

この時期を境に、代表曲を上手く更新するより、初期の形を保ったまま現在の身体で引き受ける姿勢がはっきりします。

2019年「想うた」、自分の青春ではない人生を歌う声になった

映画やCMのために書かれた「想うた」シリーズでは、親、夫婦、仲間など、依頼された人生の場面をキヨサクさんが歌いました。
初期曲が本人たちの身近な言葉から始まったのに対し、ここではまだ会ったことのない誰かの記憶へ声を渡しています。

必要だったのは、感情を大きく見せることではありません。
ウクレレの小さな伴奏でも言葉が残るよう、速さを落とし、語尾の余白を長く取る歌です。

初期の直線的な太さは消えていません。
ただし、前へ押し出すだけでなく、聴き手が自分の家族や時間を入れられる空白を作れるようになりました。

2022年のWANIMA共作、後続世代から曲を受け取って歌い直した

WANIMAとのスプリットEP『愛彌々』では、一緒に演奏するだけでなく、互いに曲を提供し、相手の曲を自分たちの方法で作り替えました。
キヨサクさんは、渡されたデモをそのまま再現せず、現在のMONGOL800ならどう広げるかを考えています。

高校時代には、自分たちの衝動をそのまま曲にしました。
二十四年後には、MONGOL800に憧れて育ったWANIMAの音楽を受け取り、スティールパンなど別の色を加えて返しています。

変遷の主語が「自分はどう歌うか」から、「相手の曲に自分たちの個性をどの量で混ぜるか」へ移りました。
声の太さは看板として残しながら、他者の世界を壊さないさじ加減が増えています。

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2023年以降、三人の限界を超えて賑やかな音の中央へ立つ

25周年の時期、MONGOL800は初期の三人編成だけに戻るのではなく、ダンスや管楽器を加えた賑やかなライブも展開しました。
キヨサクさん自身、10周年頃に三人でできることを一度詰め込んだ感覚があり、その後は活動の幅を広げてきたと話しています。

25周年以降は管楽器や多様な共演者の中央で歌うキヨサク

音数が増えても、歌声を派手な技巧で競わせる方向には進みません。
むしろ、低い声で曲の中心を示し、管楽器、コーラス、観客がその周りへ集まれる柱になります。

2026年には、本人が自分は変わり続けていると話す一方、過去の曲は照れくさいまま残すと語りました。
変化と保存を同時に選んでいることが、現在の歌唱の特徴です。

同じ「小さな恋のうた」が古くならないのは、昔の声を消していないから

2001年の作品と2013年の公式ライブでは、収録環境、観客、演奏の規模が違います。
その条件差を無視して声だけを比べ、太くなった、衰えたと断定することはできません。

比べる価値があるのは、変わった量より、何を残したかです。
言葉を大きく変形させず、旋律の山を観客と共有し、初期の照れくささを技巧で覆わない姿勢は続いています。

TAKUMAさんの歌唱変遷が、シャウトと言葉の密度をライブの持久力へ変えた歴史なら、キヨサクさんは初期の直線を残したまま、その周りに余白と他者の声を増やした歴史です。

昔の曲を現在の上手さで完成させ直さない選択が、世代ごとの聴き手に自分の思い出を置く場所を残しました。
そのため「小さな恋のうた」は懐メロとして閉じず、新しい歌い手に何度も手渡されています。

まとめ

キヨサクさんの歌声は、歌う予定のなかった高校生の直線的な声から始まりました。
ベースの弾きやすさでキーを決めた初期、ギターとウクレレで旋律の余白を知った時期、ジャマイカで即興の瞬発力を得た経験、他者の曲を受け取る共作を経て、同じ太い声が運べる物語は大きく増えています。

変化を一言で表すなら、自分たちの青春を前へ押し出す声から、聴き手や共演者が入れる場所を作る声になったということです。
一方で、昔の曲を照れくさいまま残し、言葉を飾らず渡す姿勢は変わっていません。

キヨサクさんの歌唱変遷は、上手くなるほど過去を塗り替える物語ではありません。
昔の自分を消さないまま、現在の歌える範囲を外側へ広げ続けた歴史です。

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