「柳ヶ瀬ブルース」の低音を、美川憲一本人はぶっきらぼうに歌ったと説明しています。
一方、「釧路の夜」では、出すのに苦労した裏声を使っていました。
よく知られた低い声と、練習して出せるようにした声。
さらに、感情を抑えて歌うバラードや、軽妙な味わいのある楽曲まで見ていくと、低音という一言では収まらない表現の幅が見えてきます。
「柳ヶ瀬ブルース」(1966年発売シングルの正規配信音源)
低音の冷たさは、本人にとって意外な長所だった
1966年の「柳ヶ瀬ブルース」は、最初から気に入って歌った曲ではありませんでした。
歌詞もよく分からず、歌えないと訴えたところ、事務所の社長に怒られてしまいます。
結局、ふてくされながら低音でぶっきらぼうに歌ったと、美川は振り返っています。
ところが、その歌い方は、若いのに冷めていて、突き放すようで良いと褒められました。
本人が歌いたくないと思った曲で、低い声とそっけない歌い回しが評価されたのです。
声の高さに加えて、どんな態度で言葉を歌うかが、この曲の個性を作っています。
この話で面白いのは、悲しい歌だから悲しさを前面に出す、という道筋ではなかったことです。
本人には不本意だったそっけなさが、曲に冷たさや距離を与えました。
聴き手へ強く訴えかけるだけが、歌詞を印象に残す方法ではない。
美川の低音には、感情を引いたように見える歌い方が、かえって人物の表情を際立たせたという背景があります。
こぶしをうまく回せなくても、自分流で歌う
美川は、こぶしがうまく回らないとも話しています。
発声を学んだ小杉仁三からは、自分流に歌ってよいと言われました。
「柳ヶ瀬ブルース」の歌い方には、得意でない歌い回しに無理に合わせず、自分の声で歌ったという背景もあるのです。
低い声であることと、こぶしを自在に回すことは別の話です。
美川自身の説明を知ると、「柳ヶ瀬ブルース」の個性を、低音だけでなく歌い回しの選び方からも捉えられます。
こぶしは、旋律の一部に細かな音の動きを加える歌い回しです。
それを多く使うことが、そのまま歌の説得力になるわけではありません。
美川の場合、装飾の巧みさとは違うところで、自分の声と言葉の関係を作ってきたことが分かります。
「釧路の夜」の裏声は、ずいぶん練習した声
もう一つ注目したいのが、1968年の「釧路の夜」です。
美川は、この曲で裏声を使ったことが良かったのかもしれないと振り返っています。
ただし、その声を出すのは大変で、ずいぶん練習したとも明かしました。
「釧路の夜」(1968年発売シングルの正規配信音源)
低音で知られる歌手にも、別の声を出すための苦労がありました。
「柳ヶ瀬ブルース」ではぶっきらぼうな低音が評価され、「釧路の夜」では練習した裏声を使う。
美川の声を一つの特徴に決めず、曲ごとの選択として見ると、この二曲を聴く楽しみも増えてきます。
こぶしについては自分流を認められ、裏声については繰り返し練習した。
この違いも大切です。
自分の持ち味を守ることと、曲に必要な声を新たに身につけることは、両立しているのです。
「この青空の下で」は、感情を抑えて歌う
切なさを扱う曲でも、美川は感情をすべて声へ乗せようとしているわけではありません。
2009年の「この青空の下で」について、歌ネットのインタビューでは、歌いすぎないことを心がけたと説明しています。
感情を入れすぎると重たくなるため、少し抑えて表現するという考え方です。
作詞した荒木とよひさからは、恋人や夫婦の姿を具体的に思い描くように助言されたといいます。
幸せの中にも切なさがあり、いつか別れが訪れる。
その関係を頭に置いたうえで、声に表す感情の量は抑えるのです。
これは、歌の内容を考えず淡々と歌うこととは違います。
人物の関係を深く受け止めながら、そのすべてを大きな身振りや強い声で説明しない。
「柳ヶ瀬ブルース」で評価された冷めた歌い方と比べると、同じ控えめな表現にも、異なる出発点があることが分かります。

画像出典:写真掲載元
「さそり座の女」は、言葉の強さを見つけた曲
「さそり座の女」では、声質と同じくらい、言葉が持つ人物像に注目したいところです。
2019年のテレビ東京の取材で、美川は、否定から始まる歌詞の強烈さを、この曲の面白さとして挙げました。
もともとB面に予定されていた曲を、自分の個性を作るのに良いと考え、A面にしてほしいと頼んだとも話しています。
つまり、歌い方以前に、どんな言葉なら自分の声や人物像を生かせるかを見抜いていたのです。
低音の出し方だけをまねても、相手に言い返すような歌の立場が曖昧であれば、この曲の強さは伝わりにくいでしょう。
誰に向けて、どんな気持ちで言葉を発しているのか。
その関係を考えることが、声の表情を捉える入口になります。
「柳ヶ瀬ブルース」の意外な評価とは対照的に、こちらは本人が言葉の面白さを選び取った曲です。
独特の低音が、ただ暗さを表すだけでなく、意志の強い人物にも結びつく。
曲の主人公によって、同じ声の受け取られ方が変わるのです。
「これで良しとする」にある、軽さとユーモア
美川の声が担うのは、冷たさや悲しさだけではありません。
2024年の「これで良しとする」は、TAKUROが作詞、松本孝弘が作曲した楽曲です。
TAKUROは、美川のユーモアと世の中を見る鋭い視線を思い浮かべながら書いたと説明しています。
BARKSの作品評は、この曲をファンキーなリズムの歌謡曲と捉え、美川が歌うとどこかコミカルに響く点に触れています。
重い人生の話も、笑いを含んだ声の表情で受け取れる。
「この青空の下で」で感情を抑えた話と併せると、題材の重さと歌声の重さを、いつも一致させる必要はないと分かります。
同じシングルの「華散れど月は輝く」は、同評ではジャズを思わせる4ビートのバラードとして紹介されています。
一方の曲ではリズムの弾みやユーモアに、もう一方ではバラードの流れに、同じ歌手の声が置かれる。
二曲を比べるときには、低音が共通しているかだけでなく、伴奏の動きと言葉の運び方の関係にも目を向けたくなります。
歌詞を覚えて、自分の表現へ向かう
歌ネットの取材では、カラオケで歌う人への助言もありました。
美川が勧めたのは、まず歌詞を覚えることです。
画面を見続けると歌う人自身の表現が薄れてしまうとして、ときどき確認する程度にするよう話しています。
言葉を追いかける余裕のない状態では、相手へどう語りかけるかまで考えにくくなります。
歌詞を覚えることは、正しく歌う準備であると同時に、その言葉を自分の表情で届ける準備でもあるのでしょう。
美川の助言は、声を似せる前にできる、具体的な取り組みになっています。
ぶっきらぼうな低音、努力して身につけた裏声、切なさを抑える表現、そしてユーモア。
美川憲一の歌い方には、曲が描く人物に合わせて、自分の声をどう生かすかという選択があります。
代表曲の声を知っている人にも、その選択をたどることで見えてくる表情があります。
長く歌い続けた「生きる」を病気のあとでどう捉え直したのかは、美川憲一の歌唱変遷でたどっています。







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