藤圭子の歌い方|低音の力強い揺れと、演歌の枠に収まらないリズム

ソニーミュージックの公式プロフィールに掲載された藤圭子(撮影時期不明) シンガー
ソニーミュージックの公式プロフィールに掲載された藤圭子(撮影時期不明)

藤圭子はデビュー前、「こぶしが回らない」と言われ、レコード会社のオーディションに落ちていました。
それでも担当者を驚かせたのは、若い彼女が出す、ドスの利いた中低音です。
歌い方の魅力を知るには、細かな節回しだけでなく、声そのものの迫力と曲のリズムに目を向ける必要があります。

「夢は夜ひらくPart1」―1970年の映画『ずべ公番長 夢は夜ひらく』用録音(権利者提供音源)

「カスバの女」で驚かせた、17歳の中低音

1968年、デビュー前の17歳の藤圭子がギターを弾きながら「カスバの女」を歌う姿を、後に担当ディレクターとなる榎本襄は見ています。
小柄で実年齢より幼く見える姿と、ドスの利いた声との隔たりに、榎本は驚きました。

当時は歌唱技術を重く見る審査で、荒っぽい、細やかさが足りない、とも評されていたといいます。
榎本が可能性を感じた声は、従来の物差しでは欠点を指摘される歌い方でもあったのです。

デビュー後の声を特徴づけるのも、独特のハスキーさと、低音で迫力を生むビブラートでした。
ソニーミュージックの公式プロフィールでは、この二つを歌唱の魅力として挙げています。
音を細かく飾る巧さだけでは説明しきれない、低い声を揺らす力強さが評価されていました。

ここでは、声の高さ、声の質感、伸ばした音の揺れを分けて考えると、特徴をつかみやすくなります。
中低音は主に声の高さを、ハスキーという言葉は声のかすれを含む質感を表します。
ビブラートは、保っている音に生まれる揺れです。
低い音であることだけで、これらの特徴がすべて決まるわけではありません。

藤の魅力は、その組み合わせにありました。
低い声をまっすぐ出すだけでも、音を大きく揺らすだけでも、同じ印象にはなりません。
公式紹介が声の質感とビブラートの両方を挙げているのは、低音の中に、耳を引きつける動きもあるためでしょう。

「新宿の女」から続く、三連のリズム

「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」を、榎本は三連のリズムを特徴とするイタリアンロックとして説明しています。
一拍を三つに分ける流れが、初期の代表曲に共通していました。
演歌という呼び名だけから、曲も歌唱も一つの型に決めてしまうと、この作り方を見落とします。

三連のリズムと、声のビブラートは別のものです。
前者は拍の内側をどう分けて音楽を進めるか、後者は歌声の音をどう揺らすかに関わります。
伴奏の刻みと、歌声の長い音の揺れを分けて追うと、ゆったりした曲の中にも複数の動きがあることに気づけます。

「新宿の女」の批評でも、ハスキーな声の生々しさと、ロックの聴き手にも届くビートが評価されています。
声が細やかに、しかも力強く震えるところを重く見る評もあります。
節回しを整える巧さとは別に、声の揺れとリズムが歌を印象づけていた、という見方です。

「生命ぎりぎり」にもある、声と言葉の切実さ

「新宿の女」のB面だった「生命ぎりぎり」も、初期の歌声を考えるうえで興味深い曲です。
TAP the POPの批評は、この歌に、自分を突き放して見る冷静さと、生きることへの切実な思いを見いだしています。
ハスキーな声で絞り出すように歌う表現が、言葉に現実味を与えると評価しているのです。

ここで注目されているのは、単に大きな声で強く歌うことではありません。
歌の中の人物を遠くから眺めるような視点と、抑えきれない思いが、同じ声の中にある。
迫力のある低音を、怒りや悲しみ一色にまとめてしまわないところに、表現を考える余地があります。

「新宿の女」と続けて捉えると、藤の声が持つ力を、有名なサビの印象だけで決めずに済みます。
どの言葉で声が強く感じられ、どこに距離を感じるのか。
歌詞の主人公と声の関係に目を向けることで、低音の質感が曲の中で果たす役割も見えてくるでしょう。

1970年公開の映画『涙の流し唄 命預けます』でギターを持つ藤圭子(場面写真・©松竹株式会社)
1970年公開の映画『涙の流し唄 命預けます』でギターを持つ藤圭子(場面写真・©松竹株式会社)。
画像出典:写真掲載元

歌い込んだカバー曲に表れる説得力

藤の表現を知る材料は、オリジナル曲だけではありません。
ライブ音源を集めた『藤圭子劇場』の制作担当者、尾形靖博は、「カスバの女」や「涙の酒」の歌唱を高く評価しています。
デビュー前から歌っていた曲は、ほかのカバー曲と比べても説得力が違うと感じたそうです。

「カスバの女」は、榎本がまだデビューしていない藤の声に驚いた曲でもあります。
若い時の声の印象を伝える曲であると同時に、その後の舞台で、歌い込んだ表現を確かめられる曲でもあるのです。
代表曲に新しい声を探す聴き方とは別に、以前から身についた歌がどう響くかを知る入口になります。

尾形は、ボックスに収められた「刃傷松の廊下」の表現力にも強く引かれています。
恋愛を題材にしたヒット曲とは異なる物語を、その声でどう伝えるのか。
こうした曲へ範囲を広げると、藤の魅力を、暗い歌を歌うハスキーな声という説明だけで終わらせずに捉えられます。

力のある声を届けるために、歌へ集中する

迫力のある歌声と、歌う人の振る舞いは、必ずしも同じ印象ではありません。
尾形は、藤がほとんど動かず、やや伏し目がちに歌う姿も記憶しています。
大きく動いて感情を示すよりも、声そのものが強く印象に残る歌手だったことが伝わります。

一方、榎本の回想では、藤は録音に作家が同席すると気を遣い、歌えないと話していたそうです。
歌い手の持つ力が、どんな場でも同じように表に出るわけではありません。
どう思われるかに気を取られず、歌へ向かえる環境も、表現を支えていたのでしょう。

この二つの話を合わせると、声の迫力を、そのまま外向きな性格や大胆な動きと結びつける必要がないと分かります。
控えめな立ち姿からも、強い歌は届く。
藤の舞台を考える際には、見た目の動きと、声の中で起こる動きを分けて受け止めたいところです。

娘にも「こぶしが逆」と伝えた、歌い回しへのこだわり

宇多田ヒカルは、母から小さいころに演歌を歌わないよう言われた、と振り返っています。
理由は、こぶしが逆で、歌い方が違うから。
声を震わせる部分を絵に描くと逆になる、と説明されたことを覚えていました。

この話だけで、二人の声の波形や発声の仕組みを決められるわけではありません。
ただ、母が娘の歌い回しを、自分と同じものとは捉えていなかったことは伝わります。

それでも宇多田は、母の「面影平野」が好きで、カラオケでは歌ってしまうと話しています。

同じ曲を歌っても、声の揺らし方や言葉の運びは歌い手ごとに違います。
この回想は、母と娘の声を似ているかどうかだけで比べず、それぞれの歌い回しに目を向ける手がかりになります。

藤圭子の声を特徴づけたのは、ハスキーな中低音に、力強い揺れとリズムが加わることでした。
その声の個性を本人がどう受け止め、1974年の手術後に何を失ったと感じたかは、藤圭子の歌唱変遷でたどっています。

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