ティナ・ターナーの1980年代の成功は、力強い歌声が再び認められた出来事として語られます。
けれども、「What’s Love Got to Do with It」の録音では、その力強さをいったん抑えるように求められていました。
大勢の観客へ歌うときの声を、そのままマイクに向ければよいわけではなかったのです。
1966年の「River Deep – Mountain High」から、1983年の「Let’s Stay Together」、そして1984年の「What’s Love Got to Do with It」へ。
制作に関わった人たちの話をたどると、同じ歌手の声に、違う歌い方が求められてきたことが分かります。
1966年、大きな音楽の中で歌う
「River Deep – Mountain High」を聴く前に知っておきたいのは、この曲の大きな響きが、歌声だけでできているわけではないことです。
プロデューサーのフィル・スペクターは、多くの楽器と声を重ね、厚みのある録音を作りました。
ティナの歌は、その大きな音楽の中心にあります。
編曲を担当したジャック・ニッチェは、ティナがバンドと仮歌を歌ったときから、演奏家たちが活気づいたと振り返っています。
一方、完成版は、その場の演奏を一度録って終わりではありません。
バックコーラスを重ね、歌と弦楽器を仕上げる工程が続きました。
歌にも細かな注文がありました。
後年、ティナに取材した劇作家のカトリ・ホールは、曲の冒頭だけでも、スペクターに何度も歌い直すよう求められたという本人の話を紹介しています。
つまり、思いきり歌った声を、そのまま残しただけの録音ではないのです。
ティナの仮歌は演奏家を活気づけましたが、スペクターはそこからさらに、納得のいく歌になるまで録音を続けました。
その要求に応じて繰り返し歌うことも、この一曲を作る仕事でした。
後の録音と比べるときも、ここでの迫力を、若いころの声量だけに結び付けないほうが面白くなります。
大きな編成と重ね録りも含めて、声がどのように聴こえるかが作られているからです。

1983年、歌い直す必要がなかった「Let’s Stay Together」
それから長い年月を経て、ソロ歌手としての再出発につながったのが、アル・グリーンの曲を歌った「Let’s Stay Together」でした。
1983年のこの録音について、制作したマーティン・ウェアは、「River Deep – Mountain High」とは対照的な話をしています。
ティナの歌は、一度の通し録音で完成したというのです。
ウェアが惹かれていたのは、ティナの声の強さだけではありません。
彼は、彼女の繊細な表現と、ソウルの歌をどう歌えばよいかという深い理解を高く評価していました。
録音に来たティナは、すでに自分の歌い方を決めていたといいます。
もう一度歌おうかと尋ねられても、ウェアには録り直す必要がありませんでした。
一度で終えたことは、1966年より歌が上達したという単純な比較にはなりません。
曲も、制作する人も、録音で目指しているものも違います。
ただ、ここではティナ自身が用意してきた解釈が、そのまま完成に必要なものになりました。
どこを強く歌うか、どこを柔らかくするか。
そうした判断を、録音のたびに指示されなければできない歌手ではなかったのです。
1980年代のティナの歌を、周囲が新しく作り上げたものとだけ考えると、この準備と経験が見えなくなってしまいます。
1984年、目の前の一人に向けて歌う
ところが、同じ時期の録音でも、最初から歌い方が決まった曲ばかりではありませんでした。
翌1984年の「What’s Love Got to Do with It」では、ティナと制作側の間で、声の使い方を探る時間が必要になります。
録音エンジニアのジョン・ハドソンによると、ティナは当初、大きな会場の観客へ届けるように歌っていました。
制作したテリー・ブリテンは、もっと抑えた声を望みます。
そこでマイクの近くに立ち、目の前の自分一人に歌うつもりで、と伝えました。
ティナはその歌い方をつかみ、仕上がりにも満足したといいます。
この話で面白いのは、声を弱くするように言うだけでなく、誰へ歌うかを変えたことです。
広い会場の奥まで声を届けようとするときと、すぐそばの一人に気持ちを伝えるときでは、歌う場面の想像が違う。
ティナほど舞台経験を重ねた歌手にも、録音のために別の場面を思い描くことが役立ちました。
もっとも、この一曲の逸話から、それまで静かに歌えなかったと考えるのは違います。
前の年の「Let’s Stay Together」では、繊細さも含めて制作陣を納得させていました。
ここで必要だったのは、静かな声を初めて出すことではなく、この曲に合う力加減を見つけることだったのでしょう。
大きな会場に響く声と、近くで語りかける声
1966年の録音では、厚く重ねた伴奏の中で、求められる歌を何度も試した。
1983年には、自分で準備してきた歌が、一度の録音で受け入れられた。
1984年には、制作陣とのやり取りから、その曲にふさわしい静かな歌い方を見つけた。
この三つの録音を並べると、ティナの変化を「若いころは激しく、後年は落ち着いた」と一言で片づけることが難しくなります。
年齢とともに声がどう変わったかだけでなく、そのときの曲が何を求め、本人がどう応えたかを見る必要があります。
穏やかな歌から激しい歌へ切り替える工夫は、「Proud Mary」にも以前からありました。
その構成や、後の「The Best」で自ら求めた変更については、ティナ・ターナーの歌い方で詳しく取り上げています。
1980年代の再出発で、ティナは迫力のある声を捨てたわけではありません。
その声を生かしながら、目の前の一人へ語りかけるような歌も、代表曲として残していった。
あの強い声を知っているからこそ、抑えた歌にも、彼女がどんな選択をしたのかを感じられるのです。
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