スティーヴィー・ワンダーの歌声の変遷|少年スターが、自分の音楽を歌う声を見つけるまで

1967年、TROSのテレビ番組でのスティーヴィー・ワンダー シンガー
Jack de Nijs for Anefo / CC0

少年時代のスティーヴィー・ワンダーを知ると、あの歌手は最初から完成していたようにも思えます。
ハーモニカを吹き、観客に呼びかけ、会場を盛り上げる。
ところが、その少年の声が変わり始めたとき、レコード会社は、彼をどう売り出せばよいのか分からなくなっていました。

そこで終わらず、やがて歌だけでなく、伴奏や録音の響きまで自分で組み立てる人になった。
スティーヴィーの声の変遷は、声が大人になった話であると同時に、どんな音楽の中で歌うかを自分で決めていく話でもあります。
ここでは、1960年代の少年スター時代から、1976年の『Songs in the Key of Life』までをたどります。

1963年──「Fingertips」で、観客を歌の相手にする

1963年にヒットした「Fingertips」のパート2は、シカゴのリーガル・シアターでのライブ録音です。
ハーモニカの演奏とともに、少年スティーヴィーの呼びかけと観客の返事が、そのままレコードに残っています。

短く呼びかけると、会場が返してくる。
その返事を待ち、また声をかけることで、歌手一人では作れない盛り上がりが生まれます。
ここでの声は、旋律を歌うだけでなく、その場の人たちに参加してもらうための声でもあるのです。

後年のスティーヴィーを思い浮かべると、作曲や多重録音の才能へ目が向きがちです。
でも出発点には、目の前の観客に働きかける、こんな直接的なやり取りがありました。
「Fingertips」を聴くときは、少年の高い声だけでなく、彼が会場からどんな返事を引き出すかにも注目したくなります。

1965年──変わった声に、次の曲を見つける

「Fingertips」の成功後、スティーヴィーは変声期を迎えます。
本人によれば、モータウンでは、声も事情も変わった彼との契約を終えることまで話し合われていました。
少年の声を売り物にしていたなら、その声が同じままではなくなることは、仕事の大きな問題だったのでしょう。

ここで手を挙げたのが、作曲家のシルヴィア・モイです。
彼女はスティーヴィーに、日頃弾いている短い曲の断片を聴かせてもらいました。
昔の声を取り戻させようとするより、いま彼の中にある音楽から、次のヒットを探したのです。

モイ、スティーヴィー、ヘンリー・コスビーが共作した「Uptight (Everything’s Alright)」は、1965年のヒットになります。
お金はなくても恋人に愛されている、という若者の歌です。
観客へ短く返事を求める「Fingertips」から、自分の境遇を言葉で語る曲へ、歌い手に必要な役割も変わりました。

録音には、もう一つ面白い工夫がありました。
スティーヴィーが読む点字の歌詞を用意する時間がなかったため、モイがヘッドホン越しに、一行先の歌詞を歌って伝えたのです。
スティーヴィーは次の一行を耳で受け取りながら、いまの一行を歌いました。

モイは次の歌詞を伝え、スティーヴィーは受け取った歌詞をリズムに乗せる。
録音を止めずに進めるため、二人が同時に別の一行を歌っていたのですね。
新しい曲を用意する人と、それを声にする本人のやり取りが、声の変わった少年の次の居場所を作りました。

1967年、テレビ番組のリハーサルをするスティーヴィー・ワンダー
1967年、テレビ番組のリハーサルをするスティーヴィー・ワンダー。写真:Jack de Nijs for Anefo / CC0

1971〜1972年──歌う声だけでなく、周りの音も選ぶ

1971年、21歳になったスティーヴィーは、契約の節目に、それまで蓄えられていた資金を自分の作りたい音楽へ使うと決めます。
そして出会ったのが、巨大なシンセサイザー、TONTOを扱っていたマルコム・セシルとロバート・マーゴレフでした。

本人が求めたのは、頭の中で思い描いた低音や管楽器のような音を、曲に合わせて作ることでした。
歌の伴奏を誰かに用意してもらうだけでなく、その伴奏の音色から自分の希望を伝えられるようになったのです。

1972年の『Talking Book』に入った「Superstition」は、その時期を代表する一曲です。
クラビネットという鍵盤楽器の、歯切れのよい反復がよく知られています。
ただ、制作を見ていたセシルによると、録音はスティーヴィーがドラムを叩くところから始まったそうです。

そのあとに低音や鍵盤の演奏が加わっていく。
周りのスタッフは、最初から完成した歌の全体像を聴かされていたわけではありませんでした。
歌う本人の頭の中にある曲が、楽器を一つずつ録ることで、他の人にも分かる形になっていったのです。

こうなると、スティーヴィーのリズム感は、歌だけに表れるものではありません。
自分が歌う前から、ドラムや低音の動きを自分で作っています。
出来上がった伴奏へ声をうまく合わせることに加えて、声を入れたい伴奏そのものを組み立てるようになった点が、この時期の大きな変化です。

少年時代の「Fingertips」では、観客の返事がその場の音楽を動かしました。
「Superstition」では、録音を重ねながら、自分が思い描く曲全体を完成させていきます。
どちらも歌の勢いが魅力ですが、その勢いが生まれるまでの道筋は違っています。

1976年──一つの声で、さまざまな暮らしを歌う

『Songs in the Key of Life』では、スティーヴィーの歌う世界がさらに広がります。
子ども時代を振り返る「I Wish」、社会へ目を向ける「Pastime Paradise」、愛の必要を訴える「Love’s in Need of Love Today」。
一枚の作品の中に、懐かしさも、厳しさも、呼びかけもあります。

本人は、この作品の曲を、ある時や場所、感情をとらえたものとして振り返っています。
曲順を含めた音楽の流れにも意識的で、聴き手の立場から厳しく判断していました。
自分が上手に歌えた曲を集めるだけでなく、いくつもの気分を、アルバムとしてどうつなぐかまで考えていたのです。

そのため、歌う声の印象も、一種類にそろえる必要がありません。
子ども時代を懐かしむ声と、社会の問題を訴える声が、同じ表情では物足りない。
いろいろな題材を選んだことが、声をどう使うかを選ぶことにもつながっていきます。

曲ごとに求める声や録音の響きがどう違うのかは、スティーヴィー・ワンダーの歌い方で、「Boogie On Reggae Woman」と「Pastime Paradise」を中心に扱っています。

1981年、ノルウェー公演でのスティーヴィー・ワンダー
1981年、ノルウェー公演でのスティーヴィー・ワンダー。写真:Kåre Eide / CC0

声が変わったあとも、歌う方法を増やしていった

「Fingertips」から「Uptight」への変化は、少年の声が大人になった、という一言では足りません。
声が変わっても歌える曲を、本人と周りの人たちが探しました。
それまでの成功を同じ形で繰り返せなくなったとき、次の音楽を作ったのです。

1970年代になると、スティーヴィーは、その探し方自体を広げていきます。
どんな伴奏の中で歌うか、どんな気分を伝えるか、一つのアルバムで何を歌うか。
声を出す場面より前の判断にも深く関わるようになりました。

その歩みを知ってから、少年時代と1970年代の曲を聴くと、音色の違いだけでなく、歌手が担っている仕事の違いも見えてきます。
観客に返事を求めていた少年が、やがて自分で作った音楽の中から、もっと多くの話を語りかける。
スティーヴィーの声は、成長とともに、歌う内容と方法も豊かにしていったのです。

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