2023年の「What Was I Made For?」で、ビリー・アイリッシュは声を張らなかった。
張れなかったのではない。
もっと力強く歌うこともできたが、あえて高い音を静かに保ち、小さな声でも言葉が届く表現を選んだ。
本人はこの録音を、それまでで最も難しかった歌の一つに挙げている。
かつては、自分の声はずっと柔らかいままで、強く歌えるようにはならないと思っていたという。
では、「Ocean Eyes」で知られるようになった13歳の歌手は、いつから声の使い方を選べるようになったのだろう。
大きな声を出せるようになった、というだけでは語れない変化をたどりたい。
「Ocean Eyes」の声は、計算して作ったものではなかった
2015年、「Ocean Eyes」は歌手デビューのために用意された曲ではなかった。
兄フィニアスが自分のバンド向けに書いていた曲を、ビリーの声にも合うと考えて渡した。
ダンスの先生が振り付けに使う音楽を探していたため、兄妹は録音をSoundCloudに置き、先生がダウンロードできるようにした。
そこから予想外に曲が広まっていく。
ビリーは、それまで歌の訓練を受けていなかったわけではない。
8歳ごろからロサンゼルスの児童合唱団に所属し、2017年の取材では、そこで学んだことが歌の技術に役立ったと話している。
一方、後年、自分の初期の囁くような歌い方について問われると、「そう歌おう」と考えたスタイルではなく、当時はそれが自分の歌い方だったと説明した。
13歳の声で歌える範囲が、そのまま将来の自分の声だと思い込んでいたのである。
外からはすぐに分かる個性でも、本人にとっては選択肢の一つではなかった。
この食い違いが、後の歌を考える手がかりになる。
初期の静けさを「いつも計算された表現だった」としてしまうと、彼女がその後に発見したことが見えなくなる。

写真:Justin Higuchi / CC BY 2.0
2021年、怒りを外へ出す声が曲に加わった
ツアーがわずか3公演で中断した後、ビリーとフィニアスは兄の家の地下スタジオで2作目のアルバム『Happier Than Ever』を作った。
当初は二週間ほどで公演へ戻るつもりだったが、思いがけず長い制作の時間になった。
締め切りに追われず曲を作る中で、以前は苦しかった作曲にも楽しさを見いだし、録音の操作も学んでいる。
兄から受け取った「Ocean Eyes」で知られるようになった頃から、自分の歌をどう作るかに関わる範囲も広がっていた。
本人はこの時期、自分の声が成長したことを喜んでいる。
表題曲には、抑えた始まりから、怒りを表に出す後半へ進む大きな動きがある。
制作中の取材でビリーは、叫ぶのが満足だったと話した。
歌の中にあった怒りや失望を、静かな声の中だけにとどめる必要がなくなったのだ。
ただ、このアルバムが「囁く声を卒業した」証拠になるわけではない。
同じ時期の「Your Power」では、静けさの中に強い意志を込めている。
感情を強く伝える方法が一つ増えても、以前の声を捨てたわけではなかった。
2021年の変化は、いつも声を張る歌手に変わったことよりも、曲の中で声をどこまで解き放つかを選べるようになったことにある。
初期の録音と「Happier Than Ever」の違いは、単純な上達の差では収まらない。
怒りを外へ出す声が加わっても、静けさを使う歌を続けていた。
2023年、出せる声をあえて出さなかった
映画『バービー』のための「What Was I Made For?」では、強い声を得た先に別の難しさが現れた。
ビリーは制作を振り返り、張って歌うことも、合唱のように歌うこともできたが、曲が求めていたのはそれではなかったと話している。
高い音を柔らかく抑え、泣いた後にようやく歌い始めるような響きを探した。
しかも、弱く歌う中で言葉をきちんと聞き取れるようにしなければならなかった。
彼女は、この歌を録るときにはすでに複数の歌い方を試せた、とも語っている。
だから、この曲の静けさは「昔と同じことしかできない」証拠ではない。
初期に自然と出ていた小さな声が、ここでは曲の人物と感情に合わせて選び取る声になっている。
静かな声を残したことも、変遷の一部だ。
変わったのは声の大きさだけではなく、どの声を使うかを本人が決められるようになった点だった。
2024年、避けていた高さを最後のサビで試す
2024年のアルバム『HIT ME HARD AND SOFT』の制作中、ビリーは歌の先生に改めて習い始めた。
子どものころの合唱団以来で、すでに有名な歌手なのに習いに行くことには、ためらいや気恥ずかしさがあったという。
彼女は長年のツアー、年齢とともに変わった声、レッスンを合わせて振り返り、以前にはできないと思っていた歌い方ができるようになったと話す。
声が育つのを待つだけでなく、自分から試す時期に入った。
その変化を本人が具体的に挙げた一曲が「BIRDS OF A FEATHER」だ。
最後のサビだけ旋律を上へ変えたい。
しかし、その高さを自分が歌えるとは思えず、別の旋律を何通りも試した。
結局、避けていた高さに挑戦し、アルバムに残した。
単に高い音が出たという話ではない。
「できないだろう」と決めて回り道をしていた人が、実際に試して自分の歌にした出来事なのである。
同じ取材で、彼女は、周囲が決めた自分のイメージを否定しようとする気持ちから離れられたとも話している。
以前は他人に違うと思わせたかったが、この作品では、自分が何を感じているかを表すことへ向かった。
高い声も、静かな声しか出せないという評判を打ち消すためだけのものではない。
最後のサビを別の旋律にしたいという、曲の中の具体的な望みに応えた声だった。
本人は同じアルバムの「THE GREATEST」も、声に驚いた曲として挙げている。
柔らかい曲も力を使う曲もある『HIT ME HARD AND SOFT』は、自分の声で何ができるかを意識して作れた初めてのアルバムだった。
2021年には力のある声を曲に加え、2023年にはその声を出さない難しさを知った。
その先で、避けていた高さまで実際に試したのである。
合唱団で覚えた「正しく歌う」を、手放したわけではない
2025年、ビリーはもう一つの変化を明かした。
以前からデモやボイスメモでは、思いつくままに細かな節回しを入れていた。
それでも正式な録音になると、決めた旋律をまっすぐ歌い、遊びのある歌い回しは控えてきたという。
児童合唱団では各自のパートを正確に歌うことが大切だった。
その経験は音楽への愛情と技術を育てた一方、自由に旋律を動かすには、身についた習慣を緩める必要があったと本人は語る。
『HIT ME HARD AND SOFT』では、部屋で気ままに歌うときのような動きを、録音でも許すと自分で決めた。
これは合唱団で学んだことを否定する話ではない。
正確に歌える人が、正確さだけに自分を閉じ込めなくなったということだ。
その自由さを録音へ移すとき、兄妹のやり取りも変わっていた。
フィニアスは2024年、ビリーが歌や伴奏のアレンジについて知識を増やし、気に入ったものと不要なものを、以前よりはっきり言葉にできるようになったと説明している。
二人で案を出すだけでなく、兄の作った音に対して、もっと進めたいところや外したいところを伝える。
自分にできる歌い方を発見することと、その歌に合う音を共同制作者へ伝えることが、並んで進んだのである。
「Ocean Eyes」の静かな声から、「Happier Than Ever」の怒り、「What Was I Made For?」であえて選んだ弱さ、そして「BIRDS OF A FEATHER」で試した高さへ。
ビリーの歌声の変遷は、小さな声が大きな声に置き換わる物語ではない。
かつては一つだと思っていた自分の声を、曲ごとに選び、時にはまだ知らない使い方まで試せるようになった過程である。
その選択が現在の一曲の中でどう生かされているかは、ビリー・アイリッシュの歌い方を扱った記事で、声と録音の近さを中心にたどっている。

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