伊藤咲子は、2026年4月の復帰ステージで、高い声は出るのに、地声から裏声へうまく切り替えられなかったと話しています。
かつて得意だった部分が、思うように歌えない。
その落胆は、舞台へ戻れた喜びだけでは語れないものでした。
その四日後の配信コンサートでは、前のステージより声が出たと振り返っています。
伊藤咲子には、2003年の歌手復帰に向けて、高音を取り戻そうとした経験もありました。
一度歌えた曲でも、再び歌うには、その時の声から準備し直さなくてはならない。
二度の復帰をたどると、高音が届くこと、曲の中で声を使い分けること、歌う気持ちを取り戻すことが、それぞれ違う課題として見えてきます。
2026年4月10日「感動レク」公演ダイジェスト。
1974年『ひまわり娘』、歌う相手を思い浮かべる
伊藤咲子は、1974年に『ひまわり娘』でデビューしました。
最初の録音は、その年の1月、ロンドンで行われています。
当時十五歳だった本人にとって、曲の気持ちをつかむことも、録音で覚えていく仕事でした。
2012年の『アサ芸プラス』のインタビューで、伊藤は、作曲者のデモだけではイメージが湧かなかったと振り返っています。
阿久悠の詞を受け取り、さらにプロデューサーから、学校で好きな相手を思い浮かべるように言われました。
自分の身近な相手を思うことで、歌のイメージが少しずつできていったのです。
阿久は後に、明るい詞に合う歌手を探していたところに、伊藤が現れたと本人に説明しています。
制作側が見つけた明るさを、本人も一人の相手へ向ける気持ちとして受け取っていく。
伊藤が楽しかったと振り返る録音には、そうして歌の中へ入っていく過程がありました。
2003〜2004年の復帰、高音を取り戻す
1989年に歌手活動を休止した伊藤咲子は、2003年に活動を再開します。
歌手に戻る誘いを受けても、長く離れていた仕事を続けられるという自信が、最初からあったわけではありません。
荒井幸博が2005年のコラムで記したのは、不安を抱えながらも、もう一度歌いたいと思うようになった伊藤の姿でした。
そこで直面したのが、高音の出しにくさです。
休止中も店のカラオケで客と歌っていましたが、持ち歌を以前のように歌おうとすると、思うようには声が出ない。
本人は戸惑い、新たにボイストレーナーの指導を受けるようになりました。
歌うこと自体から完全に離れていなくても、歌手として舞台へ戻るには、準備が必要だったのです。
目標になったのは、2004年6月26日のデビュー三十周年コンサートでした。
公演の日が決まり、それまでに声を戻したいと焦る気持ちもあった、と荒井は伝えています。
復帰を決めることと、観客を前に持ち歌を歌える状態を整えることは、別の段階にありました。
その約三か月前、3月27日に山形市で行ったディナーショーには、遠方のファンや家族も集まりました。
荒井は、声の調子がほぼ戻り、『ひまわり娘』『乙女のワルツ』を伸びやかに歌ったと記録しています。
持ち歌に加え、グループ・サウンズのメドレーや『あなたしか見えない』も歌うステージでした。

画像出典:写真掲載元
六月の記念公演を終えると、ファンの要望を受けて九月に追加公演も開かれました。
その後の記録には、戻った声に満足せず、さらに音域を広げようと取り組む姿もあります。
伊藤はこのころ、歌っている時間が何より幸せだと話していました。
高音を戻すための準備は、懐かしい歌を再現するだけで終わらず、歌う楽しさをもう一度見つける時間にもなったのです。
2010年『女の歌』、経験を重ねた自分で受け取る詞
復帰後の伊藤には、かつての代表曲とは異なる歌の世界も加わります。
2010年の『女の歌』は、一青窈が詞、合田道人が曲を手がけた作品です。
以前に一青と『ひまわり娘』を共演した縁から、新曲の詞を依頼しました。
本人は2012年の取材で、初めて詞を読んだとき、自分の生活を見ていたのかと思うほど重なるものを感じたと話しています。
十五歳で好きな相手を思い描いた『ひまわり娘』から、長く暮らしを重ねた人の気持ちを歌う『女の歌』へ。
歌の人物を理解するための手がかりにも、年を重ねた伊藤自身の経験が加わっていました。
ライブでは、この曲を聴く夫婦に、出会ったころを思い出してほしいとも話していたそうです。
悲しみを歌って終わるのでなく、聴く人が自分たちの時間へ目を向ける歌として届けていました。
復帰によって戻した声で、以前とは違う言葉や感情を伝える。
『女の歌』は、その後の歩みを示す一曲になっています。
2026年の復帰、高音と切り替えは別の課題だった
2026年の復帰は、声帯ポリープの手術を経たものでした。
六月の『日刊ゲンダイ』のインタビューで伊藤は、以前から本番前に長い発声練習をしなければ、思うように歌声が出なかったと振り返っています。
2025年に診察を受けて手術を決め、決まっていた公演を終えた後の2026年1月27日に手術を受けました。
人前では歌えていても、そのための準備には大きな負担があったのです。
術後には声を出せない時期があり、歌のリハビリを始めたのは3月3日でした。
自宅で持ち歌を口ずさんでも、初めはまったく歌えず、本人も驚いたといいます。
それでも四月の復帰に向け、少しずつ歌いながら、声と歌唱の勘を戻していきました。
知っている曲を歌う感覚そのものを、取り戻す時間が必要だったのです。
4月6日の復帰ステージで歌ったのは二曲でした。
高い声は出ましたが、地声からファルセットへ移るところがうまくいかない。
得意だった切り替えができず、本人はかなり落ち込んだと振り返っています。
2003年の復帰準備では、高音が思うように出ないことが課題でした。
今回はその音に届いても、曲の中で声を切り替える感覚が、まだ思いどおりではなかったのです。
次の4月10日には、高齢者施設へ届ける『感動レク』の配信コンサートで五曲を歌いました。
主催者の記録では、『ひまわり娘』から始まり、『乙女のワルツ』などの持ち歌を経て、最後は『リンゴの唄』を一緒に歌う構成でした。
懐かしい歌を待っていた人たちへ届ける機会でもありました。
伊藤自身は、四日前より声が出たと話し、日ごとの変化を実感しています。

画像出典:写真掲載元
六月のインタビューで伊藤は、厳しい音域では無理をせず、元の歌唱力を取り戻していきたいと語りました。
復帰後の課題も、自分の言葉で認めていたのです。
また、声出しのリハビリで録音した自分の声は、歌い手である限り消さず、ときどき聴くつもりだと話しています。
舞台へ戻る前の弱々しい声も、自分が通ってきた時間として残そうとしていました。
2003〜2004年は、記念公演へ向けて高音を戻し、その先の音域も目指しました。
2026年は、歌う勘を戻すところから始め、高音が出た後にも、切り替えという課題が残りました。
同じ代表曲を歌う復帰でも、取り戻すために必要だったことは違います。
『ひまわり娘』を初めて録音した日から、声と歌の気持ちを探る仕事は、形を変えながら続いていたのです。
地声を生かす選曲やファルセットの伸びは、伊藤咲子の歌い方で取り上げています。







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