伊藤咲子の歌い方・発声|地声を生かす歌と、『ひまわり娘』の伸びるファルセット

日本コロムビアのプロフィールに掲載された伊藤咲子 シンガー
日本コロムビアのプロフィールに掲載された伊藤咲子

伊藤咲子の『ひまわり娘』には、明るく伸びるファルセットの魅力があります。
一方、歌手になる前のオーディションでは、裏声を多く使う曲から、地声を生かせる曲へ選び直した経験がありました。
強さのある声と、明るく伸ばす声。
伊藤咲子の歌い方には、曲に合う声を使うための選択があります。

地声を生かす、パンチのある歌

伊藤咲子が『スター誕生!』に初めて挑戦したときの歌は、小柳ルミ子の『漁火恋唄』でした。
2021年のニッポン放送の番組記録では、審査員に息が漏れていると指摘され、不合格だった経緯が紹介されています。
次の挑戦では、地声を生かした歌い方で合格しました。

選び直したのは、朱里エイコの『見捨てられた子のように』です。
2024年の『日刊ゲンダイ』のインタビューで、伊藤は、朱里のパンチのある歌唱が印象に残り、その歌い方をまねしたと話しています。
地声を張り上げられるこの曲が、自分に合っていたのだろうという振り返りです。

この経緯で大切なのは、地声なら何でもよいということではなく、選曲によって持ち味の見え方が変わったことです。
同じ歌い手でも、息を交える部分が目立つ曲と、輪郭のある声を前に出せる曲とでは、聴き手に届く印象が違います。
オーディションでの指摘は、そのときの一曲に対する評価として受け止めたい。
後の『ひまわり娘』のファルセットまで否定する話ではありません。

また、同じ番組記録では、合格後は余計な癖をつけないため、ほとんどレッスンをせずにデビューしたと紹介されています。
完成された歌い方を外から一式教え込むより、すでに持っていた声を生かそうとした方針がうかがえます。
朱里エイコの歌をまねて自分に合う表現を見つけた経験も含め、伊藤の出発点には、耳で覚えた歌い方と声の相性を確かめる過程がありました。

2005年のコラムに掲載された伊藤咲子
2005年のコラムに掲載された伊藤咲子。
画像出典:写真掲載元

『ひまわり娘』、明るく伸びるファルセット

1974年のデビュー曲『ひまわり娘』では、高い音を地声の勢いだけで歌い切らないところに注目したい。
音楽を評するぽぽんたは、安定した声量を保ちながら、地声でも歌える高音にあえてファルセットを交える、細かな表現があると捉えています。
高音が届くかどうかに加え、どんな質感でその音を届けるかが、歌い方の選択になっているという見方です。

この録音には、声を重ねる作りもあります。
同じ評では、中盤のサビで伊藤自身の声を二重にしている点が挙げられています。
一人の声の中で地声とファルセットを使うことと、録音で声を重ねて厚みを作ることは、分けて捉えたい部分です。

明るく澄んだファルセットが伸びるという『ひまわり娘』の魅力は、弱い声だけで歌うことではありません。
地声を張れる歌手が、高い部分の質感を選び、録音の中では声の重なりも使う。
その組み合わせによって、力強さと軽やかな伸びが一曲の中に収まっています。

伸ばす声に、歌いかける相手を置く

『ひまわり娘』の表現を考えるとき、声の種類とともに手がかりになるのが、録音時の言葉の捉え方です。
2012年の『アサ芸プラス』のインタビューで、伊藤は、曲だけのデモではイメージが浮かばず、歌詞を受け取ってから曲の姿が見えてきたと話しています。
さらに録音では、プロデューサーから学校で好きな相手を思い浮かべるように助言されました。

その助言によって、自分の中で歌のイメージができていったという回想です。
曲の明るさが、一人の相手に気持ちを届ける具体的な場面と結びついたのでしょう。
伸びる高音は、それだけを取り出せば声の技術として聴けます。
しかし、誰に向かう言葉なのかを思い描くと、長い音にも呼びかけの意味が生まれます。

この曲を聴くときは、ファルセットに変わるところだけでなく、その前から続く言葉にも耳を向けたい。
短い言葉を渡し、伸ばす音へつなぎ、次の一節を始めるまでが一つの流れです。
高音の一瞬だけを見せ場にすると見落とす、相手へ語りかけ続ける歌の姿が見えてきます。

『乙女のワルツ』、長い語尾の余韻

1975年の『乙女のワルツ』には、伸ばす声を聴かせる別の例があります。
渋村徹は『コモレバWEB』の解説で、伊藤の歌唱を、感傷に浸るより高らかに歌い上げるものとして捉えています。
結びの言葉を長く伸ばすところには、余韻をたっぷり聴かせる魅力があるという評価です。

渋村が面白いと感じたのは、詞には残酷な初恋を読み取れるのに、伊藤の高らかな歌唱を聴くと、感傷だけには沈まないことでした。
最後に曲名を歌う長い音も、その印象を支える部分です。
『ひまわり娘』で高音の質感を変えることと、『乙女のワルツ』で結びの音をたっぷり聴かせること。
同じ「伸びる声」でも、曲の明るさを保つ働きと、歌い終えた後の余韻を残す働きがあります。

デビュー50周年の記念公演を行った伊藤咲子(2024年)
デビュー50周年の記念公演を行った伊藤咲子(2024年)。
画像出典:写真掲載元

『ラスト・メール』、別れの中の明るい記憶

伊藤の歌を、明るい曲は明るく、悲しい曲は悲しくという分け方だけで捉えると、表情の奥行きを見落とします。
2024年に私設ファンサイト『SAAKKO LEGACY』が掲載した本人インタビューでは、『ラスト・メール』を、二人のよい思い出が浮かぶ別れの歌として受け止めていると話しています。
再会したら自然に挨拶を交わせそうな二人を想像しているというのです。

別れの痛みを強調することもできる曲で、伊藤が重ねるのは、過ごしてきた時間への気持ちです。
この解釈を知ると、歌の中の明るさを、悲しみが足りないためだとは受け取らずに聴けます。
伸ばす声がどの言葉を残し、次の言葉へどのようにつながるか。
その流れを追うことで、別れを受け入れていく人物の表情にも目を向けられます。

同じインタビューでは、一青窈と『女の歌』を一緒に歌ったとき、作詞者本人の独特な節回しに新鮮な驚きを覚えたとも語っています。
自分が歌ってきた曲にも、別の歌い手の言葉の運びによって新しい世界が見える。
この経験は、旋律を正しくなぞることに加え、言葉の扱いが歌の人物像を作ることを伝えています。

伊藤の力強く伸びる声は、どの曲にも同じ感情を載せるためのものではありません。
『ひまわり娘』では身近な相手への思いを形にし、『乙女のワルツ』では長い結びに余韻を残す。
そして『ラスト・メール』では、別れの中にある穏やかな記憶も見つめる。
声の明るさや強さが、歌詞に書かれた場面のどこを照らすのかまで聴くと、伊藤咲子の歌唱の幅が伝わってきます。

復帰にあたって高音や声の切り替えに向き合った過程は、伊藤咲子の歌唱変遷でたどっています。

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