スティーヴィー・ワンダーの歌い方|「Boogie On Reggae Woman」の気楽な声は、どう生まれたのか

スティーヴィー・ワンダーというと、伸びやかな高音や、メロディーを細かく動かす歌い回しが思い浮かびます。
けれど、その声をいつも同じように張り上げているわけではありません。
1974年の「Boogie On Reggae Woman」では、本人がわざと、少し言葉の崩れるような歌い方を求めていました。

よく通る声を持っているのに、なぜ、きっちり歌いすぎないようにするのでしょうか。
この曲から見えてくるのは、自分の声の長所を毎回すべて見せるのではなく、曲に似合う表情を選ぶスティーヴィーの面白さです。
気楽そうな声にも、ちゃんと狙いがありました。

ベースの動きに、くつろいだ声を合わせる

「Boogie On Reggae Woman」の制作は、シンセサイザーの低音から始まりました。
スティーヴィーは、共同制作をしていたロバート・マーゴレフとマルコム・セシルに、欲しいベースの音を作ってもらいます。
歌の前にまず、曲全体を動かす低音の感触があったのです。

本人は後年、この曲では、少し言葉がもつれるような声を出したかったと振り返っています。
そのためにビールを飲んだと思う、とまで話していました。
ずいぶんくだけた思い出ですが、興味深いのは、くつろいだ歌い方そのものを選んでいたことです。

弾む伴奏に、歌手まで一音ずつ力を込めて加われば、曲はぐっと押しの強いものになります。
そこへ少し気の抜けたような声が入ると、同じ伴奏でも、急かされる感じは薄くなる。
この曲の歌を味わうなら、声だけの迫力より、ベースの動きと歌のくつろぎ方を一緒に追うと面白いでしょう。

歌が上手な人の録音は、すべての音をきれいに整えた結果だと思いたくなります。
スティーヴィーの場合は、少し崩したほうが曲に合うなら、その崩し方も歌の魅力にしてしまうのです。

大きな舞台の声だけが、スティーヴィーではない

くつろいだ歌い方を考えるときには、声を録る距離も見逃せません。
この曲を収めた1974年のアルバム『Fulfillingness’ First Finale』を共同制作したマーゴレフは、スティーヴィーの録音を、一人へ打ち明け話をするような音楽として説明しています。
大勢の観客の前で歌う光景を再現するより、マイクの近くで歌う本人を感じさせたかったのです。

その録音で使ったマイクの一つが、RE20でした。
スティーヴィーは歌いながらマイクに手を添え、目で位置を見る代わりに、手の感覚で口との距離を確かめることができました。
マーゴレフによれば、このマイクは、その手の動きによる余計な音を拾いにくかったそうです。

1973年、マイクの前に立つスティーヴィー・ワンダー
1973年、マイクの前に立つスティーヴィー・ワンダー。写真:Motown Records / Public domain

マイクに手を添えられたことは、近くで歌う位置を本人が保ちやすくする助けになりました。
そして、その近さが録音にも残ります。
遠くまで声を飛ばすような歌い方と、すぐそばの人へ話すような歌い方では、聴き手に伝わる親しさも違ってきます。

あの豊かな声を持つ人が、こちらへ近づいて話してくる。
スティーヴィーの魅力を、強い声で圧倒することだけに限らなくてよい理由が、こうした録音の考え方にもあります。

くつろがせたくない曲では、声の表情も変える

もちろん、どの曲も気楽に聴かせたいわけではありません。
1976年の『Songs in the Key of Life』に入った「Pastime Paradise」は、過去への執着や社会の問題を扱う曲です。
「Boogie On Reggae Woman」と同じ気分で歌えば、言葉の重さを軽くしてしまうかもしれません。

録音担当のゲイリー・オラザバルによると、スティーヴィーはこの曲を軽い響きにしたくなかったため、声に多くの残響を加えませんでした。
声がふわっと遠くへ広がる感じを抑え、言葉が近くで届く音にしたのです。
彼らは曲ごとにマイクも選び直しており、歌い方と、それをどう録るかを一緒に考えていました。

近い声なら、必ず優しく聞こえるというわけでもないのですね。
同じ近さが、ある曲では親しさになり、別の曲では、言葉の意味を強く意識させる緊張感になる。
スティーヴィーの歌を聴き分ける面白さは、声が強いか弱いかの二択では説明しきれないところにあります。

「Boogie On Reggae Woman」で選んだ気楽さも、いつもの癖と決めつけると見落としてしまいます。
何を歌うかが変われば、聴き手に感じてほしい気分も変わり、そのための声も変わるのです。

自由に歌う人が、録音には厳しい

これほど自然な調子で歌う人なら、思いつくままに歌って、そのまま完成させていそうにも思えます。
ところが、スティーヴィー自身は、録音したものを聴く自分はとても批判的だと話しています。
歌っている当人としてだけでなく、聴き手としてどう感じるかを確かめていたのです。

オラザバルも、何度も歌い直したあとで、最初の歌唱に戻ることがあったと振り返っています。
細部を直しても、最初にあった感情を取り戻せないことがあるからです。
聴き手には力まず歌っているように聞こえても、その調子がいちばんよく残った歌唱を選ぶまでに、時間をかけていたのですね。

2006年、ネイザン・ワッツと演奏するスティーヴィー・ワンダー
2006年、ネイザン・ワッツと演奏するスティーヴィー・ワンダー。写真:John Athayde (boboroshi) / derivative work: Mathonius / CC BY 2.0

むしろ、きれいに歌えたかだけで選べないから、判断が難しくなります。
声の勢いをそろえた結果、その曲にあった気楽さまで消えてしまっては惜しい。
どこを整え、どこに歌った瞬間の表情を残すかも、歌手の仕事なのでしょう。

こうした自分の声への判断は、少年スター時代から一度に出来上がったものではありません。
変声期を経て、曲作りや録音を自分で決める範囲を広げた経緯は、スティーヴィー・ワンダーの歌声の変遷でたどっています。

聴きたいのは、その曲で選んだ声

「Boogie On Reggae Woman」の気楽な声は、豊かな声を持つ歌手が力を出し切れなかった結果ではありません。
ベースから生まれた曲の感触に合わせて、本人が求めた歌い方でした。
一方、「Pastime Paradise」では、言葉を軽くしないために録音の響きまで考えています。

スティーヴィーの歌では、高音がどこまで伸びるかに驚く楽しみもあります。
そこに、なぜこの曲ではくつろいだ声なのか、なぜ別の曲では言葉が迫ってくるのか、という聴き方を加えてみる。
すると、歌唱力の大きさだけでなく、その力をどう使うかを選ぶ面白さまで見えてきます。

今入れる? 近くで入りやすい飲食店がわかる混雑予報マップ

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました