松浦亜弥の歌唱力はなぜ「あやや」に隠れた?声量・高音・表現力を分析

松浦亜弥の歌唱力があややのキャラクターに隠れた理由を声量、高音、表現力から分析する記事のアイキャッチ シンガー

松浦亜弥さんの歌唱力を語る時、しばしば「アイドルなのに歌が上手かった」と言われます。
けれど、この言い方では肝心なところが逆です。

松浦さんは歌が上手かったから、歌手らしく静かに立って歌えたのではありません。
音程もリズムも崩さず、明るい表情、強い振り付け、語尾の遊び、台詞のような発音まで同時に成立させられたから、あれほど極端な「あやや」を演じられました。

制作側は当初、本人の歌唱力と存在感から、もっと芸術性を前へ出す方向も考えていました。
しかし、壁を破るには原色のように明るいアイドル像が必要だと判断し、松浦さんはその注文へ驚くほど柔軟に適応します。

この記事では、高音を地声かミックスボイスかに分類するだけでなく、歌唱力がキャラクターの中へ巧妙に隠れた仕組みをたどります。

歌が上手いからこそ、原色のアイドルを任された

『Yeah!めっちゃホリディ』は、声だけをきれいに聴かせる曲ではありません。
弾む言葉、急な表情の切り替え、勢いのある振り付け、少し大げさな明るさを、全部まとめて一人の人物として見せる曲です。

これを歌唱力から切り離して「キャラクターが強い曲」と考えると、松浦さんのすごさを見落とします。
動きながらも音楽の拍から外れず、言葉を遊ばせても歌詞が聞き取れ、笑顔を作っても声の中心が消えない。
キャラクターを足すほど普通は歌が不安定になるのに、松浦さんは足したものを歌の一部へ変えていました。

制作側が明かした当時の構想でも、最初から典型的なアイドル路線だけを考えていたわけではありません。
本人の歌と存在感が強かったため、作品性を前へ出したくなる一方、あえて明るく派手な方向へ振り切ったとされています。

その方針に松浦さんは抵抗せず、注文を自分の身体へ入れていきました。
つまり「あやや」は歌唱力を隠す衣装であると同時に、その歌唱力がなければ着こなせない衣装だったのです。

つんく♂さんのリズムの仕掛けを先に知ると、松浦さんが音程だけでなく、言葉の置き方まで細かく受け取っていた理由が見えやすくなります。

声量の本体は、大声ではなく余裕にある

明るいアイドル像を歌の一部として成立させた松浦亜弥

松浦さんは「声量がある歌手」と評されます。
ただし、ここでいう声量を、常に大きな声で押し切ることだと考えると説明が足りません。

専門的な歌唱解説では、デビュー当初から音程とリズムが安定し、高い音を長く伸ばす場面でも声が揺れにくい点が挙げられています。
この安定があると、全力を出さなくても声が前へ届きます。

反対に、余裕のない大声は、音が上がるほど顎や首まで固まり、言葉の形を選べなくなります。
松浦さんの歌では、明るく張る場面と、語りかけるように細くする場面が一曲の中で共存します。
声量が豊かだからこそ、出し続けるのではなく、引くことができるのです。

『LOVE涙色』や『100回のKISS』のような早い時期の作品でも、派手な笑顔だけでは処理できない言葉が選ばれていました。
十代の歌声に大人びた感情が混ざって聞こえるのは、音を大きくする能力より、声の温度を変える余白があったからでしょう。

高音を「地声かミックスか」だけで決めると魅力がこぼれる

松浦さんの高音については、地声が強い、ミックスボイスがうまい、裏声との移動が自然など、解説によって言葉が分かれます。
これは誰かが間違っているというより、曲と時期によって声の見せ方が違うためです。

ミックスボイスとは、地声と裏声のどちらか一方をそのまま高くするのではなく、両方の性質をなめらかにつないだ声を指す時によく使われます。
しかし、実際の歌では境界線が一本あるわけではありません。

明るい曲では、言葉の輪郭を残した力強い高音が似合います。
しっとりした曲では、同じ高さでも息や柔らかさを増やした方が歌詞の距離が近くなります。
松浦さんは一つの出し方を看板にするより、作品に合わせて高音の太さを変えられる歌手です。

そのため「この音は完全な地声」と判定することより、高い音へ行っても言葉と人物像が置き去りにならない点を見る方が、本質に近づけます。
分類は声を理解する入口ですが、松浦さんの場合、分類の間を動けることそのものが強みです。

誇張した表情と繊細な感情が、同じ人の中にある

「アイドル的な歌い方」と「歌手らしい歌い方」を対立させると、『桃色片想い』の面白さは半分になります。
この曲では、発音も視線も身振りも大きく、恋をしている人物の心が漫画のように外へ飛び出します。

ところが、すべてを同じ強さで押してはいません。
言葉の終わりを軽くしたり、急に距離を縮めたりする小さな変化があるから、誇張がただの騒がしさにならないのです。

複数のファンによる記録でも、松浦さんの魅力は高い音の強さだけでなく、曲ごとに人物が変わることとして語られています。
一方で、専門家や同業者からは、技術以上に歌を信じさせる力が評価されてきました。

両者は別の話ではありません。
技術を見せるために歌うのではなく、人物を信じさせるために技術を隠す。
その結果、聴き手は上手さを数える前に「あやや」を受け入れてしまいます。

松田聖子さんのキャンディボイスにも、甘い声質の奥で言葉とリズムを精密に扱う共通点があります。
ただし松浦さんは、甘さだけでなく豪快な明るさまで一人で引き受ける点が独特です。

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『砂を噛むように…NAMIDA』で、隠れていた歌手が前へ出た

派手なキャラクターを離れて歌そのものを前へ出した松浦亜弥

2006年の『砂を噛むように…NAMIDA』は、松浦さんを見る枠を大きく変えた作品です。
派手な掛け声や強いキャラクターを減らし、生演奏を背負って言葉の重さを受け止める方向へ進みました。

ここで急に歌唱力が生まれたわけではありません。
初期から持っていた音程、リズム、声量、表情の選択肢から、アイドルを支えていた部分が前面へ出ただけです。

後年、同業の音楽家からも、上手さだけでなく説得力を持つ歌手として評価されました。
ライブを見た作り手が、アイドルのファンだけに独占させるには惜しいと感じたという証言もあります。
それほど、舞台上では肩書より歌が先に立っていたのでしょう。

『砂を噛むように…NAMIDA』を転身の出発点と呼ぶことはできます。
ただ、前の「あやや」を未熟な時代として消してはいけません。
原色のアイドルと静かな歌手は、別人ではなく、同じ技術の見せる面を変えた姿です。

真似するなら、声色より「注文を受け取る力」を見る

松浦さんに近づこうとして、最初から声量、高音、独特な語尾を全部まねると、表面だけが忙しくなります。
参考にしたいのは音色そのものより、曲が何を求めているかに応じて、自分の得意技を出したり引いたりする態度です。

明るい曲だから大声にする、悲しい曲だから息を多くする、という一対一の決め方でもありません。
同じ明るさの中に照れを置き、同じ悲しさの中に芯を残す。
曲の人物を一色にしない選び方が、松浦さんの歌を長く聴けるものにしています。

鈴木愛理さんのカメレオン型の高音も、作品ごとに声を選ぶという点で次に読み比べたい記事です。
二人とも万能に見えますが、松浦さんはキャラクターを大きく演じても歌の骨格が崩れないところに、固有の強さがあります。

まとめ

松浦亜弥さんの歌唱力は、「あやや」というキャラクターの陰に隠れていたのではありません。
あのキャラクターを成立させる仕組みとして、最初から音楽の中で働いていました。

安定した音程とリズム、押し続けなくても届く声量、曲に合わせて太さを変えられる高音。
それらを見せびらかさず、人物像へ変換できたことが最大の才能です。

『砂を噛むように…NAMIDA』以降に歌手として再評価された時、世間が見つけたのは新しい松浦亜弥ではありません。
派手な衣装の中でずっと歌っていた人を、ようやく正面から見たのです。

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