MOMOKA(HANA)の歌声はどう変わった?日プ女子からNo No Girls、現在まで

日プ女子からNo No Girls、HANAまでMOMOKAの歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ MOMOKA(HANA)

HANA・MOMOKAさんの歌声で最も大きく変わったのは、低音の高さではなく、その声に何を背負わせるかという姿勢です。
日プ女子では20位まで進みながらデビューを逃し、その後のNo No Girlsでも、最初から順調だったわけではありません。

転機になったのは、明るく自信があるように見える自分の内側に、どこかで結果を楽観していた部分があると認めたことでした。
そこから低い声は目立つ武器を超え、自分の失敗、痛み、希望を言葉にするための表現へ変わっていきます。

この記事では、MOMOKAさんの歌唱変遷を、二つのオーディション、HANAでのデビュー、作詞と客演まで時代順にたどります。

日プ女子では20位まで進んでも、デビューには届かなかった

MOMOKAさんは2023年の「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」に参加し、最終順位20位で番組を終えました。
人前で堂々として見える姿や低い声はすでに印象を残しましたが、グループの一員としてデビューする結果には届きませんでした。

その後に本人が語ったのは、失敗しても自分を励ませる明るさだけではありません。
「何とかなる」と考えることで、本気で変えるべき部分を直視しきれなかった自分です。

この自己評価は、歌声の変化を考えるうえで重要です。
自信があるように歌うことと、届ける内容のために準備を積み重ねることは同じではありません。
一度目のオーディションは、声の個性がそのまま結果になるわけではないと知る時期になりました。

No No Girlsの2次審査で、もう一度一人の声として立った

2024年、MOMOKAさんはNo No Girlsへ参加しました。
2次審査の個人歌唱では、グループの相性や順位ではなく、一人で何を見せるかが改めて問われています。

すでに別の大きなオーディションを経験していたため、初舞台の候補者ではありません。
それでも、前回の知名度や実績だけで進める選考ではなく、声と表現をその場で評価される出発点へ戻りました。

公式映像は、この時点のMOMOKAさんが現在のHANAへ一直線に完成していたのではないことを確認できる記録です。
ここから歌唱、ラップ、チーム内での役割を一つずつ作り直していきます。

二度目のオーディションで自分の声と向き合い直したMOMOKA

4次審査の「1,2,3」で、低音をチームの配置へ変えた

4次審査ではJISOOさん、STELLAさんと組み、「1,2,3」を制作しました。
ここで必要だったのは、自分の低音を単独で印象づけることではなく、三人の声が異なるまま一曲として成立させることです。

JISOOさんの静かな声、STELLAさんの表現と並ぶことで、MOMOKAさんの低音は曲の重心を支える役割を持ちました。
声が低いという個人の特徴が、誰と並ぶかによって意味を変え始めた時期です。

後にHANAで七人の声を扱うことを考えると、このチーム審査は小さな原型でした。
自分の一節だけを成功させるのではなく、前の声を受け、次の声へ何を渡すかが歌唱の一部になります。

「KINISHY」で、余裕のある自分を一度疑った

5次審査のチーム「KINISHY」では、技術以上にMOMOKAさんの取り組み方が変わりました。
本人は、以前の自分には謎の余裕があり、オーディションを通してストイックになったと振り返っています。

失敗しても明るくいられることは長所です。
しかし、明るさが「次もきっと大丈夫」という逃げ道になると、歌は同じ場所に留まります。

この時期から、強い表情や低音を見せるだけでなく、なぜその言葉を自分が歌うのかを詰める方向へ進みました。
MOMOKAさんの声が説得力を増した背景には、楽観を捨てたのではなく、楽観だけでは届かない場所へ踏み込んだ変化があります。

Finalの「PAIN IS BEAUTY」で、過去の失敗を舞台へ持ち込んだ

最終審査前、MOMOKAさんは「守るものは何もない」「人生を懸けるつもりで」と助言を受けました。
最終ステージで選んだ「PAIN IS BEAUTY」は、痛みを隠して強く見せるのではなく、痛みがあった自分ごと表現へ変える曲です。

日プ女子でデビューできなかった経験も、No No Girlsで求められた変化も、ここでは消すべき経歴ではありませんでした。
舞台に立つ理由として使える材料へ変わっています。

これが歌唱変遷の大きな分岐点です。
低音のインパクトで覚えられる候補者から、言葉の背景まで自分の人生と結びつける表現者へ進みました。

HANAでは「ROSE」から、曲ごとに声を着替え始めた

HANAとしての「ROSE」は、MOMOKAさん自身が何度失敗しても希望を捨てなかった人生と重なる曲になりました。
オーディションで得た強さが、デビュー曲の物語と自然につながったのです。

ただし、デビュー後も一つの強い型を繰り返してはいません。
「Burning Flower」では望んでいた鋭さを前へ出し、「Blue Jeans」では楽曲に合わせてラップをメロウな方向へ引きました。

声を強くする成長だけでなく、必要なら弱められることがプロとしての変化です。
現在の技術を詳しく知りたい場合は、MOMOKAさんの発声分析で、曲ごとの声の圧と言葉のつなぎ方を扱っています。

HANAで低音の強さだけに頼らず曲ごとに声色を選ぶようになったMOMOKA
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「BAD LOVE」で、歌う人から言葉を作る人へ進んだ

「BAD LOVE」では、メンバー自身が作詞と振付に深く関わりました。
MOMOKAさんは一曲分の歌詞を書き、その中から七人の言葉を組み合わせる制作へ参加しています。

題材にしたのは、簡単には開けたくない過去の痛みでした。
書く過程は苦しかったものの、言葉にすることで少し浄化されたとも振り返っています。

以前は、与えられた歌詞へ自分の経験を重ねていました。
ここでは、自分の記憶から歌詞そのものを生み、低音とラップで本人の言葉を届けています。

歌声の変化が声量や音域だけでは測れない理由が、この一曲に表れています。
MOMOKAさんは歌い方を増やしただけでなく、何を歌うかを作る側へ進みました。

2026年の客演で、HANAの外へ声の役割が広がった

2026年にはJISOOさんとともに、ILLITの「I Got Your Back」へ参加しました。
HANAの作品だけで完成する役割から、別のグループの楽曲へ自分の声を置く活動へ広がっています。

二つのグループは声の組み合わせも楽曲の空気も異なります。
そこで求められるのは、HANAらしさをそのまま押し込むことではなく、共演相手の世界へ入りながらMOMOKAさんだと分かる輪郭を残すことです。

日プ女子ではグループの席を得られず、No No Girlsではもう一度個人の声から始めました。
現在は、その声がグループの境界を越えて必要とされる段階まで来ています。

変わらないのは、失敗を希望の材料へ変えるところ

MOMOKAさんは、結果が出ない時期にもアーティストになる夢を手放しませんでした。
ただし、昔と現在で同じなのは根拠のない楽観ではありません。

失敗しても立ち上がる明るさは残しながら、準備不足や甘さを自分で認め、次の言葉と行動へ変えるようになりました。
その姿勢があるから、低音は強そうに見せる演出ではなく、痛みを知った人が希望を語る声になります。

JISOOさんの歌唱変遷では、自分の声を否定せず選び直す過程を扱いました。
同じ客演へたどり着いた二人でも、JISOOさんは声を受け入れる物語、MOMOKAさんは失敗の意味を書き換える物語として道筋が異なります。

まとめ

MOMOKAさんの歌声は、日プ女子で20位となりデビューを逃した時期から、No No Girlsで自分の姿勢を作り直す中で変わりました。
「1,2,3」で低音をチームの中へ置き、「KINISHY」で楽観の内側にあった甘さと向き合い、Finalでは過去の痛みを舞台へ持ち込みました。

HANAでは曲ごとに声の圧を変え、「BAD LOVE」で作詞へ進み、2026年にはILLITとの客演まで活動を広げています。
低い声が強くなったのではなく、その声に載せられる人生と言葉が増えたことが、MOMOKAさんの歌唱変遷です。

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