2015年、「Can’t Feel My Face」が大勢の耳に届いていたとき、ザ・ウィークエンドは「The Hills」でもヒットを出していました。
軽快な曲へ進む一方で、夜の不安を歌う曲も手放さなかったのです。
その前年、アリアナ・グランデとの「Love Me Harder」を持ちかけられた彼は、曲を気に入りながらも、そのままでは自分の歌として聞こえないと感じました。
そして自分の担当する歌詞を書き直しています。
声を広く届けるために、歌う人物まで別人にするつもりはなかったのでしょう。
トロントの小さな部屋で思いつくままに歌っていた人が、どうやって大勢で歌える曲へ進み、なお自分の暗さを残したのか。
作品と制作時の言葉から、その選択をたどります。
2011年|声が先に走り、曲が追いかける
活動初期、エイベル・テスファイは顔をあまり見せずに曲を発表しました。
2011年には『House of Balloons』『Thursday』『Echoes of Silence』という三つの作品を無料で公開し、翌年『Trilogy』としてまとめています。
顔より先に、歌と名前が広がりました。
共同制作者イランジェロが初めて彼と録音したのは、2010年末のトロントです。
イランジェロが鍵盤を鳴らすと、テスファイは10分以上も歌い続けたと振り返っています。
その晩には、続けて別の曲の種も生まれました。
二人が作った『Thursday』の「The Zone」でも、イランジェロが音を鳴らしてすぐに歌が始まりました。
彼が携帯電話に書いていた言葉を確かめながら、声で曲の雰囲気を探していたそうです。
制作の場では、思いついた歌を逃さないよう、マイクをいつでも使える状態にしていました。
初期の曲は、決まったサビへ最短距離で向かうより、声が見つけた道をたどるように作られていました。
その作品を広い場所へ届けるために、三作をまとめて紹介する方法もありました。
レーベルで担当したネイト・アルバートは、『Trilogy』を、無料公開時には出会わなかった人へ作品を紹介する入口だったと説明しています。
自分たちで作った世界をまとめて届け、その先で新しい曲の作り方も探す。
広く知られることと、初期の作品を届けることは、この時点から並行していました。

写真:Fred von Lohmann / CC BY 2.0
2014年|借りたポップ曲を、自分の歌詞で歌う
2013年のアルバム『Kiss Land』のあと、レーベルからアリアナ・グランデの「Love Me Harder」が届きました。
マックス・マーティンが手がけた、二人で歌うポップ曲です。
本人によれば、曲は良かったものの、最初の歌詞は一般的すぎて自分がそこにいるとは思えませんでした。
そこで担当部分を書き直し、暗い色を足して送り返します。
マーティンもその変更を気に入りました。
当時のレーベル担当者も、テスファイが最初の歌詞にはためらいを示し、自分の言葉へ直したと証言しています。
ポップの制作に加わることと、自分が歌う人物を捨てることは、別の判断だったのです。
彼は後年、この曲が多くの人に受け入れられたことを、次へ進むきっかけとして振り返りました。
新しい場に呼ばれた声が、自分の言葉を持ち込んでも届く。
その手応えが、次のアルバムにつながります。
2015年|覚えやすい曲と、不穏な曲を同時に出す
『Beauty Behind the Madness』では、イランジェロと作った「The Hills」と、マーティンらと作った「Can’t Feel My Face」が並びました。
二曲は相次いで米国のヒット曲となります。
ポップへ移った途端、かつての暗い曲を片づけたわけではありません。
共同制作者を増やす際も、誰と何を作るかを本人が考えていました。
アルバートによれば、マックス・マーティンらと仕事をしたいという希望はテスファイから出ており、本人は曲の組み立てや仕上げにも細かく関わっています。
歌う役だけを任されて別の人の方向へ移ったのではなく、届け方を広げるための相手を選んでいたのです。
この時期、本人が特に重視したのは曲そのものの強さでした。
音作りがどれだけ凝っていても、ピアノだけで演奏したときに曲が残らなければ十分ではない、と2015年の取材で話しています。
初期の録音で生まれた雰囲気を捨てたのではなく、伴奏を外しても伝わる歌を新たに作ろうとしたのです。
一方、「The Hills」では、夜の不穏さを帯びた人物を歌いました。
親しみやすいメロディーを作れるようになったあとも、その世界を手放していません。
この曲も、即興の歌をそのまま出したわけではありません。
イランジェロによれば、マノから届いたデモにテスファイが旋律を歌い、そこから約一か月、曲の入口や途中の展開、サビの響きを詰めました。
時間をかけて目指したのは、滑らかに磨かれた声ではなく、サビの強さと荒さが届く仕上がりです。
初期のようなひらめきを残しながら、それが聴き手へどう伝わるかを粘り強く選んでいました。
同年、英国の音楽番組のリハーサルでは「The Hills」の言葉がそのまま放送できず、彼は放送用に替えた歌詞へ切り替えました。
届ける場に合わせて言葉を変えることはできる。
それでも、曲の不穏さまで消してポップ曲一色にする必要はありませんでした。
「The Hills」の中で、抑えた声から強いサビへどう切り替え、録音でその差をどう広げたかは、ザ・ウィークエンドの歌い方で扱っています。
ここでの転機は、一曲の歌い分けよりも、異なる二種類の曲を同じ時期の自分の歌として出したことにあります。
2016~20年|客席と歌う声から、物語を演じる声へ
『Starboy』期の公演では、観客と一緒に歌い、反応を交わしていました。
本人は後に、客席と歌い合い、跳びはねるような時間だったと振り返っています。

写真:Salandco / CC BY-SA 4.0
ところが『After Hours』のツアーを構想していた2020年には、観客に近づくより、赤い服を着た人物の物語を見せたいと話しました。
三幕の芝居のように公演を作る予定だったのです。
新型コロナウイルスの流行で当初のツアーは実現しませんでしたが、歌う声に「一緒に盛り上がる」以外の役割を与えようとした構想は、当時の本人の言葉に残っています。
「Blinding Lights」は、強いリズムで走るポップ曲です。
しかし本人の説明では、歌の人物は孤独に耐えられず、酔ったまま夜中に相手へ会いに行こうとします。
街灯がまぶしくても止まれない、危うい状況です。
踊れる曲の中に、その危うい人物を置きました。
同じ作品には、長い展開の中で人物の気持ちを追う「After Hours」もあります。
制作したイランジェロによれば、複数の場面を持つその曲に何か月もかけました。
初期の自由な展開が消えたのではありません。
短く共有しやすい歌と、時間をかけて世界に入る歌を、同じアルバムへ置いたのです。
2022年|声がメロディー以外の音にもなる
次の『Dawn FM』では、マックス・マーティンとともに、ダニエル・ロパティンが制作に加わりました。
本人は、ふつうなら同じ部屋にいないような二人を組み合わせたのは意図的だったと話しています。
ロパティンによると、この作品ではテスファイの声を引き伸ばし、切り出し、音の素材としても使いました。
歌詞とメロディーを届ける声が、曲の空気を作る音にもなったのです。
これは喉や声質が変わったという話ではありません。
同じ声を、録音の中で違う役に置く選択です。
2025年|声を失った経験まで、作品の中心へ
2022年のロサンゼルス公演で、テスファイは歌い続けられなくなり、舞台を中断しました。
後に本人は、その経験が自分の仕事と「The Weeknd」という人物を考え直すきっかけになったと語っています。
具体的な病気や、その後の歌唱能力をここから推測することはできません。
2025年にはアルバム『Hurry Up Tomorrow』を発表し、同名の映画では、この出来事から生まれた物語を描きました。
本人は、もともと考えていた作品の計画を変え、この話へ集中したと説明しました。
かつて声を使って夜の人物を作っていた歌手が、今度は自分の声が出なくなった経験を題材にしたのです。
2014年に「Love Me Harder」を書き直したとき、テスファイは多くの人に届く曲を選びながら、自分が歌う人物の暗さを残しました。
その後も「The Hills」を手放さず、「Blinding Lights」では踊れる曲に孤独な人物を乗せています。
この歩みで広がったのは、声で何を担うかという選択です。
即興の歌を録るところから、客席と共有できるサビ、映像の人物、加工される音、そして自分の経験を語る題材へと、声の置き場所を増やしてきたのです。

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