藤あや子の歌い方・発声|こぶしを「後から作った」声が色気を生む理由

藤あや子の歌い方と発声を紹介するアイキャッチ シンガー

藤あや子さんの歌には、最初から演歌そのものだったような自然さがあります。
艶のある語尾、細かなこぶし、言葉の裏側まで見せるような節回し。
ところが本人の歩みをたどると、この印象はきれいに裏返ります。

子どもの頃から親しんだのは祭りの踊りで、若い頃に好んだのは山口百恵さんやロック、洋楽でした。
民謡を始めたのも、歌手になるためではなく、所属していた民謡団に残るには歌う必要があったからです。
しかも、最初は演歌らしいこぶしがうまく回らず、楽譜代わりのノートへ印を書き込みながら、一日二時間ほど練習したといいます。

つまり、藤あや子さんの色気は「演歌向きの声質」だけが作ったものではありません。
まっすぐな声に、こぶし、言葉の間、リズムのずらし方を一つずつ覚えさせ、必要な場面だけで使うようになった結果です。
この「後から作った演歌」を知ると、代表曲の聴こえ方がかなり変わります。

藤あや子は、演歌を聴いて育った歌手ではなかった

秋田県角館で育った藤あや子さんは、10歳頃から祭りの踊り手として舞台に立っていました。
踊りは好きでも、演歌歌手を目指していたわけではありません。
本人は、当時ほとんど演歌を聴かず、自分の声も飾りの少ない、まっすぐなソプラノだったと振り返っています。

転機は21歳頃でした。
民謡団で踊り続けるためには、歌も覚えなければならないと言われたのです。
目的は歌手になることではなく、好きな踊りの居場所を守ることでした。

ここが藤あや子さんの歌を考える出発点です。
民謡から自然に演歌へ進んだように見えて、実際には「踊りたいから歌う」「歌い続けるために節を学ぶ」という、少し遠回りな始まりでした。
だから演歌の型を、生まれつきの癖ではなく、後から選べる技術として覚えることになりました。

回らなかったこぶしを、ノートの記号から作った

民謡を始めた頃、最大の壁はこぶしでした。
こぶしは、一つの音を細かく上下させる演歌・民謡特有の節回しです。
文章でいえば、ただ文字を読むのではなく、言葉の途中へためらいや未練を入れるような働きをします。

藤さんは、こぶしを感覚だけで覚えませんでした。
どこで節を回し、どこで息を継ぐのかをノートへ書き、一日二時間ほど声に出したといいます。
いま聴くと自然な揺れが、最初は地図を見ながら進むような練習から始まっていたのです。

むらさき雨情のミュージックビデオに登場する藤あや子

この経歴は、「演歌の人は話し声にもこぶしが入っている」という誤解をほどきます。
藤さんの土台はむしろ直線的な声でした。
そこへ必要な曲線を足したから、こぶしを入れない場所も選べます。

飾りをたくさん持っている歌手より、飾りを外せる歌手の方が、一つのこぶしを強く印象づけられることがあります。
藤あや子さんの歌は、その好例です。

正確すぎるリズムを、演歌の時だけわざと揺らす

藤あや子さんは、共演した音楽プロデューサーから、歌い出しがシンセサイザーのように拍へ正確に合うと評されたことがあります。
本人も、普段はリズムに乗って歌い、演歌へ切り替える時だけ意識してタイミングをずらすと説明しています。

初心者には、この違いが少し分かりにくいかもしれません。
伴奏の合図と同時に言葉を置けば、歌は前へ進みやすく、現代的に聞こえます。
ほんの少し待ってから言葉を置くと、その一語を手放したくない気持ちや、相手へ言い切れない迷いが生まれます。

演歌らしい「ため」は、テンポに乗れないために遅れることではありません。
正しい場所が分かったうえで、人物の感情に合わせてわずかに外す選択です。
藤さんは、民謡や演歌以外の音楽も好んできたからこそ、まっすぐ進む時間と、待つ時間を行き来できます。

このリズム感は、歌の色気ともつながります。
すべての言葉をねっとり遅らせるのではなく、普段は拍へ乗り、見逃せない言葉だけに時間を与える。
色気を声の甘さではなく、言葉を出す直前の「待ち時間」で作っているのです。

「鳥」のこぶしは一つだけ。それでも藤あや子になった

2022年の「鳥」は、長年身につけた演歌の技をどれだけ見せられるかではなく、どこまで使わずにいられるかを問う録音になりました。
藤さんは事前に複数の歌い方を準備しましたが、制作側から求められたこぶしは一か所だけでした。

最初は、これほど抑えて自分の歌になるのかと驚いたそうです。
しかし、その一つを加えるだけで、作品は確かに藤あや子さんの「鳥」になりました。
本人は、この歌い方を「引き算」と捉えています。

鳥の制作時期に撮影された藤あや子

こぶしを後から苦労して覚えた歌手が、35周年の節目に、そのこぶしをほとんど使わない。
これは技術を捨てた話ではありません。
いつでも使えるからこそ、一番効く場所まで待てるようになった話です。

「こころ酒」や「むらさき雨情」の濃い情感だけを藤あや子さんの完成形と考えると、「鳥」は別路線に見えます。
けれど、まっすぐな声へ必要な分だけ節を足すという出発点まで戻れば、むしろ同じ歌手の核心が見えます。

艶っぽさは、声全体ではなく言葉の終わりに集まる

藤あや子さんの歌を「ずっと艶っぽい」と捉える人は少なくありません。
一方、歌声を教える立場からの解説には、藤さんがまず言葉を大切にし、フレーズの終わりを消えるように扱うところへ色気が集まる、という見方があります。

この説明は、すべてを濃く歌わない「引き算」とよく合います。
歌い出しから最後まで同じ甘さを塗るのではなく、言葉が終わる瞬間に息の余白を残す。
聞き手は、その先にまだ続いている感情を自分で補います。

作詞・作曲では「小野彩」という名を使い、歌詞の女性を自ら作ってきました。
声の技術だけでなく、言葉を書いた人の目線を持つことも、語尾を雑に閉じない理由の一つでしょう。

ただし、息を漏らせば同じ艶が出るわけではありません。
息だけを増やすと、言葉の輪郭も音程も弱くなります。
藤さんの魅力は、何を語っているかが届いたうえで、最後だけを言い切らずに残すところにあります。

まねるなら、傷んだ音色ではなく「選ばない強さ」

若い頃の民謡練習で、藤あや子さんは喉を二度傷めたと語っています。
もともとのまっすぐなソプラノに、少し息の混じる現在の質感が加わった背景の一つとして本人が挙げた経験です。

これは美声を作る練習法ではありません。
喉を酷使し、かすれを手に入れようとするのは危険です。
痛み、強いかすれ、普段の話し声の異常が出たら歌うのをやめ、不調が続く場合は耳鼻咽喉科などへ相談する必要があります。

安全に参考にしやすいのは、音色ではなく選択です。
こぶしを覚えても全箇所へ入れない。
拍に正確に乗れても、感情が必要とする言葉だけは少し待つ。
息の余韻を使っても、言葉そのものは曖昧にしない。

藤あや子さんらしさは、できることの多さを全部見せないところにあります。
表面のかすれや色気をまねるより、「この一か所にしか要らないものは何か」を考える方が、ずっと本質に近づけます。

藤あや子さんの歌声の変遷では、村勢真奈美名義のデビューから「雪 深深」、ジャンル越境、等身大の「想い出づくり」までを年代順にたどります。
坂本冬美さんの歌い方伍代夏子さんの歌い方と比べると、同じ演歌でも、強さを見せる位置や人物との距離が異なることが分かります。

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まとめ|藤あや子の演歌は、足した技を最後に引ける

藤あや子さんは、演歌を聴いて育ち、自然にこぶしを回せた歌手ではありません。
踊り続けるために民謡を始め、回らなかったこぶしをノートへ記し、まっすぐな声へ演歌の曲線を後から作りました。

その遠回りが、現在の自由につながっています。
拍へ正確に乗る歌い方と、演歌のためを切り替えられる。
「鳥」では、こぶしを一つまで減らしても自分の歌にできる。
語尾へ艶を残しても、言葉の輪郭は失わない。

藤あや子さんの色気は、声のすべてへ何かを足した結果ではありません。
苦労して手に入れた技を持ちながら、物語に要らないものを選ばない。
その抑制が、一つの節、一つの間、一つの言葉を忘れにくいものにしています。

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