香西かおりの歌声はどう変わった?民謡少女から「うたびと」、40周年前夜まで

香西かおりの歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

香西かおりさんの歌手人生は、民謡から演歌へ一直線に進んだ成功物語ではありません。
大会で賞を重ねた民謡少女は、自分の歌が良いのか分からなくなって契約を終え、銀行員になりました。
演歌で再出発すると、今度は民謡で得た声がそのまま通用せず、一から歌い直します。

それでも、捨てたように見えた民謡は後に戻ってきました。
ボサノバ、ジャズ、ブルース、玉置浩二さんの作品、自分で書いた歌詞まで取り込み、香西さんは「演歌歌手」という一つの枠より広い「うたびと」になっていきます。

変化のたびに過去を消したのではありません。
離れた音楽ともう一度出会い、その時の自分に必要な形へ作り替えてきた。
香西かおりさんの歌唱変遷は、原点へ戻るたびに歌える世界が広がった約40年の物語です。

1974年から1985年、民謡少女は上手いのに自分の歌を判断できなかった

香西さんが民謡を始めたのは11歳でした。
近所の女性について教室へ行ったところ、その人はすぐ辞め、香西さんだけが先生のもとに残ったそうです。

大会では入賞を重ね、1981年には日本民謡大賞の優秀賞を受賞しました。
高校時代には民謡歌手としてレコードを出し、外から見れば順調な出発です。

しかし本人の中では、四年間歌っても、民謡の心まで歌えているのか、自分の歌が良いのか悪いのか判断できませんでした。
失敗したからではなく、評価されているのに手応えがない。
その状態をつまらないと感じ、契約を終えます。

歌手を離れた後は会社員となり、銀行にも勤めました。
ここで声を失ったわけではありませんが、歌が仕事である状態はいったん途切れます。
最初の転機は新しい技術を得たことではなく、上手いと言われる道から自分で降りたことでした。

1986年から1988年、民謡の声を持ったまま歌謡曲を一から覚えた

22、23歳の頃に東京へ誘われた香西さんは、1986年に上京し、作曲家の聖川湧さんへ師事します。
そこで待っていたのは、民謡の実績を生かす仕上げのレッスンではありませんでした。

歌謡曲は、声の出し方も、言葉と言葉の間も違いました。
朗々と歌う力はあるのに、自分はこんなに歌えない人だったのかと思うほど苦戦します。

1988年の「雨酒場」で演歌歌手としてデビューした声には、二つの時間が重なっていました。
一つは民謡で作った張りと節回しです。
もう一つは、それを全部出さず、歌詞に書かれていない感情を残すための再訓練でした。

民謡から演歌へ看板を替えただけではありません。
強く歌える人が、強さの使い所を覚え直したことで、香西かおりという歌手が始まりました。

1991年から1993年、「無言坂」は完成した型より瞬間の判断を残した

1991年の「流恋草」は大きな支持を集め、日本有線大賞を受賞し、紅白歌合戦へ初出場します。
デビューから三年で、香西さんは演歌の中心へ進みました。

その勢いの中で生まれた「無言坂」は、周到に時間をかけた録音ではありません。
歌詞が録音直前に届き、ぶっつけ本番に近い約30分で吹き込まれました。

香西さんは完成した曲に強く心を動かされ、自ら表題曲にすることを提案します。
制作側の意見が最初から一つだったわけではありませんが、その判断は作品を世に出し、1993年の日本レコード大賞へつながりました。

若い頃の民謡では、自分の歌を自分で判断できないことに迷いました。
それから十年ほど後には、短い録音の中で、この歌を前へ出すべきだと決めています。
変わったのは声の太さだけでなく、自分が受け取った歌を信じる力でした。

すきを歌う香西かおり

1990年代、「黒いオルフェ」と「すき」が演歌の外に別の入口を作った

「無言坂」で演歌歌手として頂点へ近づいた頃、香西さんはジャズ系の演奏家からボサノバの「黒いオルフェ」を教えられました。
演歌や民謡とは違うリズムに触れ、歌う刺激も喜びも大きくなったと振り返っています。

別のジャンルへ寄り道したように見えますが、後の活動を考えると重要な準備でした。
歌声を大きく揺らして情感を作るだけでなく、リズムへ軽く乗り、演奏家との間で歌を変える感覚が育っていきます。

1997年の「すき」では、作曲した玉置浩二さんのデモに、最後の一語だけが残されていました。
カセットには香西かおり作詞と先に書かれ、香西さんはその一語へ至る物語を自分で作ります。

与えられた主人公を演じるだけでなく、主人公の言葉を自分で書く側へ移った瞬間です。
2000年には「浮寝草」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しますが、その声の内側では、すでに演歌一色ではないリズムと言葉が動いていました。

2015年から2017年、「演歌歌手」ではなく「うたびと」として原点を並べ直した

2015年のアルバム「うたびと ~Stage Singer~」には、民謡、ムード歌謡、ブルース、ジャズのスタンダードが一緒に収められました。
ヒット曲を別の編曲で歌うだけの企画ではありません。
長く付き合ってきた演奏家と、自分の中にあった複数の音楽を同じ場所へ戻す作品でした。

民謡はデビュー前の古い履歴ではなく、ジャズの演奏と出会っても失われない原点として現れます。
反対に、演歌の代表曲もジャズ的な編成へ置けば、決まった伴奏だけに支えられた歌ではなかったと分かります。

2017年の30周年には、民謡集「口伝え」、新曲「標ない道」、玉置浩二作品集を相次いで発表しました。
若い頃に離れた民謡、歌手としての転機になった玉置作品、現在へ続く新曲を、記念年に別々の棚へしまわず並べています。

「うたびと」という言葉は、演歌をやめる宣言ではありません。
演歌で得たものを中心に置きながら、民謡少女だった自分も、ボサノバに夢中になった自分も、一人の歌手として引き受ける名前でした。

2020年から2021年、客席を失った時間が自分の言葉を増やした

コロナ禍でコンサートが止まると、香西さんは観客だけでなく、音楽仲間と近くで話す場所も失いました。
吉幾三さん、山本譲二さんと始めたYouTube企画は、作品を宣伝するだけでなく、歌手同士が顔を合わせてほっとできる場所にもなります。

2021年の「ホームで」は、別れを見送る駅の情景を香西さん自身が書いた歌です。
同じシングルの「ステージライト」には、舞台へ立つ人の決意が描かれました。

1997年の「すき」では、一語から物語を広げました。
この時期は、日常と舞台を突然奪われた実感から言葉が生まれています。
歌う場所がなくなったことで、歌手にとってホームとはどこか、客席と会えない時間に何を残せるかを自分で書くようになりました。

2023年から2025年、演歌を離れず大人のポップスへ歩幅を広げた

35周年後の「澪標」、2024年の「そぞろ雨」、2025年の「とどかぬ想い」は、昔ながらの演歌だけを求める人には少し意外な並びです。
ドラマの主題歌のような広がりや、大人のポップスに近い空気を持つ作品が続きました。

変化は、こぶしを捨てて若い音楽へ寄せたことではありません。
「うたびと」で異なるリズムを同じ自分の歌として並べた後だから、歌謡曲とポップスの境目でも香西さんの言葉が残ります。

初期の声は、演歌歌手として認められるために民謡の力を制御していました。
現在の声は、演歌で培った行間を持ったまま、曲の方へ自由に歩いていきます。
ジャンルを越えることが特別な企画ではなく、普段の新曲の選択になったのです。

40周年を前にした現在の香西かおり

2026年、病気で初めて過去を振り返り、40周年前夜へ戻った

2026年春、香西さんは初期の乳がんの手術を受け、短い休養に入りました。
長く大きな休止をせず歌ってきた本人にとって、立ち止まって自分の時間を考える機会になったといいます。

夏には大阪で公演へ戻り、9月には約10年ぶりのライブ形式による「うたびと2」を開催しました。
代表曲だけでなく未発表曲まで含む19曲を歌い、2027年の40周年を見据えています。

病気が声質をどう変えたかを、外から断定することはできません。
本人が語った変化は、物事の考え方が柔らかくなり、これまであまり振り返らなかった人生を見直したことでした。

民謡を離れ、銀行員を経験し、演歌を一から覚え、別の音楽へ何度も寄り道した約40年です。
それでも残ったのは歌であり、これからも楽しく歌っていきたいという現在地でした。
若い頃のように正解を探す声ではなく、自分が歩いてきた複数の道を一つの舞台へ招く声になっています。

変わらないのは、原点を保存せず今の歌へ戻すこと

香西さんの歌声は、民謡、演歌、歌謡曲、ジャズ、ブルースを移るたびに別人へ変わったわけではありません。
どの時代にも、土地の言葉を運ぶ民謡の感覚と、歌詞に書かれていない時間を残す演歌の感覚があります。

変わったのは、その二つを使える場所です。
デビュー時には「雨酒場」の主人公を演じるために使い、やがて「すき」や「ホームで」では自分の言葉を生むために使いました。
「うたびと」以降は、ジャンルの違う演奏家と歌を作るための共通語になっています。

香西かおりさんの歌い方・発声では、民謡仕込みの強い声が、こぶしを増やすより「行間」で沁みる理由を現在の歌唱から解説しています。
石川さゆりさんの歌声の変遷と合わせると、演歌の中心にいながら他ジャンルとの出会いを自分の歌へ戻した、二人の異なる広がり方も見えてきます。

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まとめ|香西かおりの歌唱変遷は、戻るたびに原点が広くなった

11歳で始めた民謡は、最初から一生の答えではありませんでした。
自分の歌を判断できず一度離れ、銀行員を経て、歌謡曲の声と行間を一から学びます。

「雨酒場」と「流恋草」で演歌歌手になり、「無言坂」で自分の判断を信じられるようになりました。
「黒いオルフェ」と「すき」はリズムと言葉の扉を開き、「うたびと」は民謡、演歌、ジャズを一人の歌手の中へ戻します。

観客と会えない時間には自分で言葉を書き、近年は大人のポップスへ自然に歩幅を広げました。
2026年の病気と復帰は、その道を初めて振り返り、40周年の先でも歌う理由を確かめる時間になっています。

香西かおりさんは原点へ戻るたび、昔と同じ歌い方には戻りませんでした。
離れている間に得たリズム、言葉、人との出会いを連れて帰るため、民謡少女の原点そのものが少しずつ広くなったのです。

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