こっちのけんとの歌声はどう変わった?アカペラから「はいよろこんで」・現在まで

こっちのけんとの歌声の変遷 こっちのけんと

こっちのけんとさんの歌声は、別人のように作り替えられたのではありません。
大学時代には何人分もの声を重ねて一曲を作り、ソロ活動では一人の声の中へ複数の人物を住まわせるようになりました。

大きな変化は、声の数ではなく役割です。
アカペラでは和音を完成させるために声を使い、オリジナル曲では言葉にできなかった自分を外へ出すために使い、現在は他者の物語や大きな客席まで引き受けています。

「はいよろこんで」は突然現れた奇抜な歌ではありません。
音程を保ちながら役を演じた学生時代と、自分を守るために曲を書き始めた時期が、一つの短い返事の中で結びついた作品です。

学生時代は、何人分もの声を重ねて一曲を作っていた

こっちのけんとさんが大学でアカペラを始めた入口は、歌手になりたいという一直線の計画ではありませんでした。
動画で見たビートボックスに憧れ、声だけで音楽を作る世界へ入り、やがて歌う役割も担うようになります。

所属したグループは全国規模のアカペラ大会で二年続けて結果を残しました。
さらに、就職後には一人で複数のパートを録音し、声を重ねて曲を完成させる動画も制作しています。

アカペラからオリジナル曲へ進んだこっちのけんと

この頃の中心は、一人の声をスターとして前へ出すことではありません。
低いパート、旋律、リズム、装飾を分担し、すべてがかみ合った時に一曲が立ち上がる面白さでした。

本人は、ディズニー楽曲のカバーを続けた経験から、感情を込めても音程を失いにくいことが自分の強みになったと振り返っています。
物語の人物を演じながら、合唱の中では正確な一音を置く必要があるという環境が、後の声色の多さを支えました。

2022年の「Tiny」で、声は自分へ宛てた手紙になった

会社員として働いていた時期、心身の調子を崩した経験が、オリジナル曲を書く大きなきっかけになりました。
最初の曲は世の中へ強く訴えるためというより、当時の自分と身近な人へ向けた記録に近いものでした。

2022年に「Tiny」でデビューした時、こっちのけんとという名前も、この分裂を表していました。
仕事へ向かう側の自分とは別に、好きな歌を選び、音楽へ戻る側の自分を「こっち」と呼んだのです。

アカペラ時代には、複数の声を重ねて外側に豊かな音を作っていました。
オリジナル曲では、その技術が自分の内側にいる複数の気持ちを並べるために使われ始めます。

ただし、「Tiny」を発表した時点では、音楽活動の進む方向をまだ決め切れていなかったと本人は振り返っています。
歌えることと、何を歌うべきかが初めから一致していたわけではありません。

「死ぬな!」で、個人的な記録が他者へ届く言葉へ変わった

次の大きな転機が「死ぬな!」です。
自分の経験をそのまま閉じ込めるのではなく、生きることと死ぬことを正面から扱い、同じ場所にいる誰かへ届く言葉へ変えました。

本人にとって、この曲は音楽活動の使命を見つけるきっかけになりました。
自分のために書いた歌が、聞き手の感情と結びつき得ると分かったことで、オリジナル曲を続ける理由がはっきりしたのです。

ここから歌声の役割も変わります。
上手く和音へ収まる声だけでなく、冗談のように明るい声と、命令形で踏みとどまらせる強い言葉を同居させるようになりました。

深刻さを暗い音色だけで表さない方法は、後の代表曲へ引き継がれます。
聞き手を説教で追い詰めず、思わず口ずさめる形の中へ切実さを入れる方向が見え始めました。

2024年の「はいよろこんで」で、声の空白まで表現になった

「はいよろこんで」の制作では、当初の歌詞が相手の要求を退ける方向へ傾いていました。
しかし、本人はより多くの人が抱えるSOSを中心に据え直し、言葉を増やすのではなく、むしろ削って空白を作りました。

プロデューサーとの制作から生まれた短い間は、聞き手が自分の経験を入れる場所になります。
さらに、英語の響きから偶然見つかった「ギリギリダンス」が、意味とリズムの両方を一度に運びました。

学生時代には、多くの声を重ねるほど音楽が完成へ近づきました。
この曲では反対に、歌わない瞬間を作ることで聞き手が参加し、作品が完成します。

大きな広がりを得た後も、本人はこの曲を単純な成功談として扱っていません。
明るく返事をする自分と、本当は助けを求める自分が同居する構造は、活動名の由来から続く二重性そのものです。

2024年には新人賞や大みそかの大舞台へつながり、作品は本人の生活圏を大きく越えました。
それでも、広がった理由を声量や高音の強さだけに求めることはできません。

短いフレーズ、踊れるリズム、アニメーション、聞き手が埋められる間が一体になり、歌を知らない人も途中から参加できる形になっていました。
一人でパートを重ねて完成させた過去から、無数の人が続きを口にして完成させる歌への転換です。

現在の声色やリズムの仕組みは、こっちのけんとさんの歌い方・発声分析で詳しく説明しています。

2025年は、自分の体験から物語の登場人物へ踏み出した

2025年の作品では、本人の内面を歌うだけでなく、作品や依頼のテーマへ声を合わせる機会が増えました。
「けっかおーらい」では、単純な正義の味方ではない物語を表すため、明るい主人公だけでなく、少しねじれた人物を思わせる声も置かれています。

アカペラで別々のパートを担った経験が、ここでは別々の役を担う声へ変わりました。
声色を増やすこと自体が目的ではなく、同じ人物の中にある反対の立場を会話させるために使われています。

同年にはEPを発表し、書き下ろしや提供曲を含め、音楽を他者へ渡す仕事も広がりました。
自分のメモを歌にしていた時期から、相手の物語へ自分の声の引き出しを貸せる段階へ進んだのです。

ここで必要になるのは、自分の経験をそのまま語る力とは少し違います。
作品の主人公が何を隠し、どの場面で本音を出すのかを考え、声の明るさや重さを役に合わせて選ばなければなりません。

学生時代にディズニー楽曲を歌って人物の感情を保ちながら音程を合わせた経験が、別の形で戻ってきたともいえます。
過去の技術が、タイアップに合わせて個性を薄めるためではなく、依頼された物語の中でも自分らしい矛盾を作るために働きました。

この変化は、個人的な切実さが薄れたことを意味しません。
むしろ、自分の中に複数の役があると知っていたからこそ、他の物語にも矛盾を残したまま入れるようになりました。

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2026年は、客席と一緒に声を完成させる段階へ進んだ

2026年には「ゴロンとドロン」が発表され、初のワンマンライブ「いっぽにほ」も開催されました。
公演は完売し、その歌唱を収めたライブ作品も同年に配信されています。

「ゴロンとドロン」では、逃げることや光を探すことが、過去の仕事や不調の経験と結びつけて語られています。
初期と同じく自分の生活から始まった言葉ですが、現在は大きな客席が一緒に歌い、共有できる形へ変わりました。

2026年のこっちのけんと

一人で何役もの声を録音していた時代には、完成した音源の中で自分自身が合唱団になっていました。
現在は、歌詞の空白や短いフレーズを客席が埋め、会場全体が合唱の一部になります。

ライブ作品として残されたことにも意味があります。
多重録音なら自分で細部を積み直せますが、公演では客席の反応を受けながら一度の時間を進めなければなりません。

完成品を一人で組み立てる歌手から、その場にいる人へ一部を預ける歌手へ。
ワンマン公演は人気の大きさだけでなく、歌の作り手と受け手の関係が変わったことを示す節目になりました。

声の技術が増えたというより、誰と一緒に曲を完成させるかが変わったのです。
一人の録音、身近な人への手紙、不特定多数のSOS、作品の登場人物、ライブの客席へと、声の届く相手が広がりました。

変わらないのは、一つに決められない自分を声へ分けること

こっちのけんとさんの歌唱変遷をたどると、派手な声色は突然身についた飛び道具ではないと分かります。
アカペラで複数のパートを担い、物語の人物を演じ、会社員の自分と歌う自分を分けた経験が、現在の歌へつながっています。

変わったのは、声を重ねる場所です。
かつては録音上の和音として重なり、現在は一曲の中の人物や感情として重なり、さらに客席の声と重なるようになりました。

明るさと苦しさ、前向きさと逃げたい気持ちを、どちらか一方の正解へまとめない。
その姿勢が「死ぬな!」から「はいよろこんで」、そして現在の作品まで残る個性です。

anoさんの歌唱変遷山口一郎さんの歌唱変遷と比べると、個人的な違和感を大勢が参加できる歌へ変える方法の違いも見えてきます。

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